第五十話 魔王

「具合はどうだ、リディリィアーネ?」

「悪くありません、ヴァナルアーダお兄様」


 ベッドに横たわる少女に、屈強な体躯の男が気遣わしげな声を掛ける。

 青白い肌に赤い瞳、そして頭から角を生やした、魔族の兄妹だ。

 仕立ての良い高い身分を感じさせる衣服を纏う兄は、野性的でどこか危険な雰囲気を薫らせる美丈夫である。だがその鋭く整った顔には、暗い苦悩の影が落ちていた。

 窶れがちな、しかしそれでもなお美しく優しげな美貌の少女が、気遣わしげに覗き込む兄に向かってにこりと微笑み返す。


「むしろ、今日はいつもより調子が良いんです。お兄様こそ、目の下に隈が出来ていますよ? 無理は禁物ですからね?」

「……アーネには敵わないな」


 妹の白髪をさらりと撫で付けながら、ヴァナルアーダは優しく苦笑する。


「……もう少ししたら、まとまった休暇が取れる予定だ。そうしたら、ゆっくりと眠るさ。休暇中は、書類を持ってくる部下は追い返してやる。ずっとお前と一緒に居るよ」

「お兄様ったら……そんなことをしたらエーラやエーメが頭を抱えますわ」

「あいつらも良い歳だ。そろそろ俺抜きでも仕事を回せるようにならねばな。奴らには良い試練になる」

「まぁ」

「……ではな、アーネ。愛しているよ」

「わたくしもです、アーダお兄様……」


 ヴァナルアーダが頭を撫でていると、すぐにリディリィアーネは目を閉じて寝息を立てはじめた。

 妹の呼吸が整っているのを確認し、ヴァナルアーダは足音を立てないよう気を付けて寝室を出る。

 廊下には、メガネを掛けた文官の雰囲気を漂わせる女魔族――ヴァナルアーダの側近であるクルルエーラが控えていた。


「……陛下、王妹殿下は……?」

「眠った。今日は調子が良いなどと言っていたが……やはり辛いのだろうな。すぐに寝入ってしまった。呼吸が整っているのがせめてもの救いだな」

「……急がねばなりませんね」

「ああ」


 ヴァナルアーダは、クルルエーラを伴って歩き出した。

 石造りの廊下に、二人の足音が反響する。


「エーメが準備を整えております。あとは、陛下のご下知があれば……」

「……我は、ひどい王だな。妹の為に、民を巻き込んで戦争しようだなどと……」

「何をおっしゃられるのです。リディリィアーネ殿下がご自分の薬を臣民に分け与え、ご自身は苦しみに耐えているのを皆が知っております。我らの母も、リディリィアーネ殿下からお譲りいただいた薬のおかげで快方に向かっております。皆も慈悲深いリディリィアーネ殿下をお助けするために戦うことに反対などしません。むしろ臣民一同、よく決断いただけたと士気が高まっております」

「……そうか」

「それに、これは我ら魔族の悲願でもあります。陛下の願いは我らの願いでもあるのです。どうぞ、ご随意に」

「……分かった。もう迷うまい」


 廊下の終端は、外に張り出したテラスになっていた。

 テラスには、鎧装束を身に着けた、クルルエーラに瓜二つの女魔族が待っていた。

 クルルエーラの双子の妹にして、魔族軍の将軍であるクルルエーメであった。


「陛下、魔族の精鋭一万、いつでも出陣出来ます。どうぞ、陛下のご下知を」

「ご苦労だった、エーメ」


 ヴァナルアーダがテラスに姿を見せると、大きな歓声が上がった。

 テラスから見えるのは、荒涼とした岩肌と、岩肌をくり抜いて造られた住居。そして一際高い岩山を削られ造られた城から見下ろせば、戦装束に身を包んだ魔族の軍勢が。

 魔族たちは姿を現したヴァナルアーダを讃える声を上げていた。


「……我が臣下たちよ」


 ヴァナルアーダが手を翳すと、魔族の軍勢は口を閉ざして不動の姿勢を取る。これだけでも、ヴァナルアーダに向けられる忠誠の程が分かろうというものだ。


「……我ら魔族が大陸の東西から追われ、このヴィラルド王国の北方に居を構えておよそ二百年。強大な魔物と戦うことを条件に、父祖はここを安住の地とすることを王国と取り交した。だが、この過酷な環境で魔物と戦う我らに対するヴィラルド王国の見返りは、いつでも微々たるものであった」

『…………』

「王国の北の防壁として戦い続ける我らを、王国の人間たちは虐げ続けた。並々ならぬ高値で物資を売りつけ、我らが魔物から得た素材は安く買い叩いた。それだけなら、我らはまだ我慢しただろう。だが王国は、とうとう魔禍病の薬すら値上げしはじめた!」


 魔禍病は、内在魔力が高すぎて体が耐えられなくなって衰弱する病だ。魔力の自家中毒、というのが分かりやすいだろうか。

 魔禍病は人間にも発症するが、より魔力量の大きい魔族は人間の倍以上の発症率になる。さらに、過酷な環境が魔力量の上昇を促し、この地の魔族にとっては風土病と呼ぶほど深刻な問題となっていた。

 幸い、魔禍病の特効薬は存在する。一定期間の継続的な摂取は必要だが、治る病ではあるのだ。

 しかし特効薬の材料となる薬草は魔族たちの生息域には存在せず、ヴィラルド王国からの輸入に頼る他なかった。

 食料以上に、この魔禍病の特効薬で、魔族たちは首輪をかけられた状態にあった。


「奴らが魔禍病の特効薬を値上げし、輸出量を絞ることで、魔禍病で命を落とす者たちが急増している! もはや猶予はない! 我ら魔族は仲間の命のため、長年我らを良いように使ってきたヴィラルド王国に宣戦布告する! 我らの父母の、兄妹の、親友の為に! そして、我らの子らの未来の為に!」

『うおおおおおおっ!! 陛下!! 陛下!! 陛下!!』

『我らが魔王陛下!!』

『魔王ヴァナルアーダに栄光あれ!!』

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