第五十一話 戦闘パートは突然に
ヴィラルド王国の君主たるパトリック・ヴィル・ヴィラルダに、王国北方の魔族が宣戦布告したと伝えられた時、彼は珍しく如実に舌打ちをした。
「なんともタイミングが悪い……」
彼はちょうど、気のおける腹心と国内の腐ったリンゴの処分について話し合っているところだった。
伝令の騎士を部屋から出すと、パトリック王は不機嫌な顔で愚痴りはじめた。
「まったく……ようやくバカどもを一網打尽に出来るかと思ったのだが」
バカども、というのは無論、ユリアナとその愉快な仲間たちのことだ。その中には自分の息子も混じっているのだが、パトリックには別段気にする様子はない。
彼は骨の髄から王なのだ。
人非人と呼ばれるのは百も承知。
それこそが王という歯車に他ならない。
「しかし、陛下。魔族が戦争を仕掛けてきたなら、我々は全力でそれに当たらねばなりません。計画していた粛清計画は凍結せざるを得ないと存じます」
「分かっているよ、我が右腕」
腹心中の腹心である王国宰相のクレセント侯爵に、パトリックは不承不承頷いた。
「魔族は総勢一万程度だというが、何しろ一騎当千の魔族の精鋭だ。王都駐在の第一軍、第二軍を総動員しておよそ五万。それで籠城で耐えしのいで諸侯の援軍を待たねばならん。持久戦の最中に内輪で争い始めたら戦にもならんからな」
「御意」
「しかし、何故このタイミングなのだ? 余はそれなりに魔族たちに配慮してきたと思ったが……」
パトリックが玉座に付いてから行った改革は数多いが、その内の一つが魔族の待遇改善だ。
なんせ代々の王たちが、国内に住まわせる対価として、北の魔物に対する生きた壁として使い潰してきた歴史がある。パトリックが王になった時点で、魔族たちの不満はかなりのものになっていた。
パトリックは魔族に対して国内の移動の自由や、職業選択の自由をある程度認めた。魔族が冒険者として登録できるようになったのも、ごく最近のことなのだ。
戦闘力に秀でた魔族と本格的な争いになれば、ヴィラルド王国のダメージは計り知れない。だからこそ、パトリックは宥和政策を推し進めてきたのだが……。
「それが臣の調べたところ、商人たちが魔禍病の薬の流通を絞っていました」
「バカな。魔禍病は魔族たちのもっとも敏感になる問題だ。取り扱いを任せた商会も、そんなことは分かっているはずだ」
「それが……絞っていたのはブライド商会とのことです」
「……面倒をかける駄賃は国から補填されていた筈だが?」
「見事に横領されていましたな。中抜きのシステムだけは今でも独立して機能していました。ブライド商会の流通を引き継いだ商会も、すぐには気付けないほど周到なものでした。つい先日、慌てて自分の無罪を訴えながら報告してきました」
「……失脚したとはいえ、マリウス・プライドはそれなりに有能だったということか。まさか国の援助資金を横領して、これまでまったく気付かせずにいたとはな」
ちなみにゲームのシナリオだと、『商人の息子』シリウスのルートのクライマックスでこの横領が発覚することになっている。
すべてを失いながらも父親からの呪縛が解け、父親とは違う真っ当な商人になろうと決意したシリウスに、ヒロインが寄り添いながら荷馬車で旅に出ていく――というエンドスチルはかなり気合いの入ったものだったが、おそらくこの世界では決してお目にかかれはしないだろう。
「魔禍病の特効薬の流通量は、正常な状態の半分以下にまで落ちていたということです。最近ようやく実態が判明し、急ぎ流通量を戻そうとしていたのですが……」
「ふむ……絞られていた特効薬を無償で差し出すことで戦を収めることは出来ると思うか?」
「難しいでしょう。魔族たちが決起したのは、薬がないからではありません。薬の流通を握られている現状に怒っているからです。いま薬をばら撒いたとしても、また同じことが起きない保証がない限りは……」
「矛を収めたりはせんだろうな」
パトリックは不機嫌に頷いた。
魔族との交易の実態調査の遅れは致命的だが、それを咎めることは出来なかった。何しろパトリック自身、魔禍病の特効薬の流通量の減少など想像していなかったのだ。
「しかし、ブライド商会が失脚してからそれなりに時間が経っているではないか。何故流通状態の把握でこれほど後手に回ってしまったのだ?」
「……遺憾ながら北方の流通経路の担当者が、さっきまでの主題にも含まれていまして」
クレセント侯爵は、さっきまでの打ち合わせの資料を、改めてパトリックに差し出した。処分する予定だった『腐ったリンゴたち』のリストだ。
「……余としたことが、大失敗だな。毒も使い方によっては役に立つと思って放置していたが……」
「毒は毒でも猛毒でしたな。もっとも陛下には、女の毒というものがいまひとつ想像しづらかったのやも知れませんが」
「そこよ。実のところ、余には女に溺れるというのが今ひとつよく分からん。眺めて愛で、使ってすっきりする。女はそれだけのものであろう?」
フェミニストが聞いたら発狂しそうなセリフだが、政治に携わる者としては有能この上ない言葉でもある。ようするに、パトリックが自分の性欲や情欲を、理性ときっぱり切り離しているからこそ出た言葉だからだ。
もっともこれは、単純にこの王の趣味から出た感想でもあるのだが。
「だいたい、周りの者どもが目の色を変える美女とやらだが、何処に面白みがあるのだ? 男の喜ばせ方が上手いなど、何の役に立つのだ? それなら書類の一枚でも処理してくれる方が、よほど有意義な人材ではないか」
「……陛下は有能な女性がお好きですからな」
「うむ。それを考えるとキリハレーナ嬢……おっと、グランディア女公爵は、近年まれに見る逸材だ。こちらの底を見透かそうとするあの眼が実に面白い。まるでナイフの切っ先で胸元を擽られているようで、思い返しただけでもゾクゾクしてしまう。あと十年早く出会えていたら、有無を言わさず余の后にしたのだがな。きっとあの野生の雌獅子めいた美貌を、いかにも面倒くさそうに歪めてくれるだろう」
「…………」
くつくつと笑う主君を、クレセント侯爵は呆れ半分諦め半分に眺めた。
つまりパトリック王の女の趣味は、見た目より性格重視……その性格も、世間一般とはだいぶ趣を異にしている。
こんな特殊な趣味をした王なら、女の毒というものにピンとこなくても当然だろう。
しかし悲しいかな……大抵の男性は、女の毒という奴にめっきり弱い。なんせ世の大部分の男は、即物的で俗物的な助兵衛なのだ。
「しかし、その担当者が腐ったリンゴになったのは単なる偶然か? それとも何か意図があってのことなのか?」
「意図と言われましても、魔族と戦争になることに何のメリットが……」
二人が首を捻っていると、会議室のドアがノックされた。パトリックが入室を許可すると、伝令役の執事が戸惑い顔で報告する。
「失礼します、陛下。アルフレッド殿下が、陛下に上奏したき義があると……」
「アルフレッドが? この忙しい最中に何の用だ?」
宰相を連れて謁見の間へ向かうと、すでにアルフレッドが控えていた。他にも多くの貴族がパトリックの入来を待っていた。
「……余に何か言いたいことがあるそうだな、アルフレッド。一体何の用だ?」
「はい、父上。魔族との戦、私に先陣をお任せいただきたく罷り越しました」
「先陣だと?」
パトリックは一笑に付した。
先陣、などと言い出すということは、つまり魔族と野戦するということだ。
魔族たちの進軍速度を考えれば、開戦は遮蔽物のない王都近郊の平原で行うことになる。機動力を邪魔することのない平原で、単騎の戦闘力に優れた魔族と野戦などしたら、自軍の戦線はかき乱され、強力な魔法で壊乱状態に追い込まれることは目に見えている。
そもそも、魔族の精鋭と戦うなら、五倍どころか十倍は兵数がいる。
「馬鹿も休み休み言え」
「父上! 魔族どもは王国への恩を忘れて戦を仕掛けてきたのです。王都に籠もっての防衛などしたら、我が国は飼い犬を御せぬと笑われることになります!」
「言葉を慎め、アルフレッド。魔族たちも我が国の民だ。飼い犬などと呼ぶのは止めよ。そもそも野戦など馬鹿げている。もし余がそれを命じたとして、どれだけの兵がそれに従うか」
「それならば心配ありません」
その言葉を待っていた、とばかりに、アルフレッドが眼を輝かす。
「私と同じように国を憂う者たちが協力を表明してくれました! 彼らの兵を中核にすれば、魔族など恐れることはありません!」
「……この者どもか?」
謁見の間にいる貴族たちを見回す。
下は男爵から上は伯爵まで混合しているが、彼らには一つの共通点があった。
この連中は、パトリックが一掃しようと思っていた腐ったリンゴたちだ。
「それに、慈神教会の聖堂騎士も協力を表明してくれました! いまこそ邪悪なる魔族を討つ時だと!」
「……教会もか」
舌打ちしたくなるのをぐっと堪える。
パトリックは腐敗した教会の改革を後押ししていた。だが現在は教会を正常化しようという総主教の調子が優れず、運営を肩代わりする大司教とは政治的に対立している。
デリケートな扱いが必要な教会の主張は、パトリックも一定の配慮をせざるを得ない。
「……なぜ教会がそなたに協力を?」
「それはもちろん我らが聖女の叡慮の賜物です! 教会が百年ぶりに認めた聖女が、王国の平和のためにこのアルフレッドに力を貸してくれると!」
「……聖女だと?」
「はい! 紹介しましょう、教会の認めた聖女を!」
アルフレッドが誇らしげに言い放つと、貴族たちが動いて道を作った。
貴族たちが壁となって隠していたのは、パトリックにとっては鼻持ちならない華美すぎる僧衣の大司教。
そして大司教の横には、一人の可憐な少女が控えていた。
「――陛下、ご紹介します、我が慈神教会が認めた、光と闇の両属性を併せ持つ聖女、ユリアナ・リズリット嬢でございます」
大司教に仰々しく紹介され、可憐な――外見だけは可憐な聖女そのものの、ユリアナ・リズリットが歩み出て挨拶した。
「拝謁しまして恐縮の至りです。ご紹介に預かった、ユリアナ・リズリットでございます」
――聖女、か。とんだ皮肉だな。
なるほど、魔族に戦を起こさせたいわけだ。自分がもっとも見栄え良くお披露目する舞台を整えたということなのだろう。
聖女のごとく微笑むユリアナを無表情に見下ろし、パトリックは胸中で毒づいた。
――そなたの言う通りだったな、キリハレーネ女公爵。どうやら余は、この女を見くびっていたようだ。
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