第四十四話 この領地、ヤバすぎる……
「こりゃひどいな……」
自分の領地となったグランディア領へ初めて立ち入った、キリハの第一声がこれだ。
女公爵に叙せられたキリハは、手早く出発の準備を整えて王都を出発した。何か問題もなく思いの外すんなりと領地に辿り着いたのは、移動手段を用意したジェラルドのおかげかも知れない。
『貴族のお嬢様が高級な馬車に乗ったら盗賊が出る! そんなファンタジーのお約束に乗っかることはありません!』
と言って彼が用意したのは、駆け出しの行商が最初に手にするような中古の荷馬車だった。まぁ、確かにこんな馬車に貴族が乗っているとも、ましてや大した財貨があるとは見えない。ファンタジーの定番の盗賊に出会うことなく順調に街道を進んだキリハ、ジェラルド、ヒエンの一行は、関所を越えてグランディア領に立ち入ってすぐに顔を顰めた。
この領地の荒れ具合はすぐにわかった。
なんせ、馬車の揺れが目に見えて酷くなったのだ。
「道路は、社会の安定と発展の一番わかり易い指標だからね……」
道を整備し正常に維持し続けるには並々ならぬ努力がいる。現代日本でさえ、常に何処かで道路のアスファルトを張り替え続けているのだ。
踏み固められただけの街道を自然に抗って維持し続けるには、資金と、なにより人を集める力がいるものだ。
「……トンネル抜けると荒野だったとか……」
「大地に活力がないな」
ジェラルドとヒエンの声も苦味を帯びている。
馬車からの景色も激変している。
大地は彩度が落ちた力無い色をしており、草木はまばらで森の木々も枯れ木が目立つ。
荒野一歩手前の荒れ地である。見てるだけで肩が重くなりそうだ。
「予想してたより悪いな……」
「けれど、天候自体はさほど周辺と変わりないはずです。なんでここまで……」
「人間どもが荒らしたのだろう。食う物がなくなれば草でも森でも何でも食う。そうやって大地の力が減っていく。飢えたヤギがよくやることだ」
ここでは美味いものが食えそうにないなと、ヒエンが深々と嘆息した。
おそらく、ヒエンの言う通りだろう。
飢饉が起こっても十分な援助がなされておらず、領民たちは自然の恵みを片っ端から採取し、それが続いて自然回復力が徐々に徐々に弱まって……その結果がこれだ。
森の保水力がなくなれば洪水も起こるし、肥えた土も留まらなくなる。これでは作物の収穫が覚束なくなって当然だ。
「ヤバい領地だとは思ってたが、ここまで来ると笑うしかないね」
「しかし、この領地を何とかしないと、キリハ様の立場が……」
「どうにかなるのか? お前の言葉を借りれば、こんなの『無理ゲー』だろ」
キリハはお手上げとばかりに両手を上げた。
そう。現状、キリハはほとんど詰んでいる。
逃げるのは駄目。
義務を放棄したとして地位を剥奪されるだろう。
闘うのも駄目。
領民が減少して経営が破綻すれば、それもまた地位を取り上げるネタになる。
だから、協力を申し出てくれた騎士団や冒険者たちには丁寧に断りを入れた。下手に戦力なんて持ってったら、その時点で戦闘に突入しかねない。
女公爵となったキリハは、あくまで平和的に領内の治安を回復させねばならないのだ。
しかし、腹を減らして怒り狂った人間が、そう簡単におとなしくなるわけがない。そもそも反乱なんて起こした時点で、連中は背水の陣。死に物狂いの農民一揆の恐ろしさは、日本史を齧れば嫌というほど分かるだろう。
これからキリハは、いわば一向一揆を平和的に解決せねばならないのだ。第六天魔王だって『無理ゲー』と呆れるミッション・インポシブルである。
「あたし一人を陥れるのにここまでやるとは、あのクソ女もいよいよ手段を選ばなくなってきたな」
「……やっぱり、これはユリアナの仕込んだことなんでしょうか?」
「王様が言ってたろ? 前公爵はユリアナの犬だって。このタイミングであたしにババを引かせるのを偶然と思うほど、あたしは頭の中お花畑じゃない」
女公爵に叙せられた後、キリハは内々にパトリック王と話したが、あの国王もそろそろユリアナを処分するタイミングだと思っているようだった。
害虫が湧くのは想定内だが、害虫は害虫。だがこの害虫、潰そうとすれば周囲に毒を撒き散らしかねないので、処理にはいささか手間がかかる。カメムシみたいに厄介な女だ。
『ここを乗り切れば、女公爵の地位と立場は盤石のものとなる。ユリアナ嬢も、これが乾坤一擲の最後の策だろう。さて、どちらが生き残るか見ものだな』
『よく言うよ。どっちにしろユリアナを生かしとく気はないくせに。使えないクズは十分に引き付けてくれた。そろそろ全部まとめてポイするつもりなんだろ?』
『そうだな。出来ればもう少し獅子身中の虫を惹き付けて欲しいが、あまり欲張りすぎても良くない。ま、君の父親の前公爵含め、それなりのゴミを集めてくれたからな。これくらいで刈り取るのが理想だろう』
『けど、あまり見くびるなよ? ああいう女は、生き残るためならどんなあくどい事も平気でやる。爆弾は解体の仕方を間違えたら、盛大に周りを巻き込んで自爆するよ?』
『そうならないためにも、女公爵にはユリアナ嬢の目を惹き付けてもらわねばな。どんなに優秀なハンターも、獲物に集中すればそれ以外が疎かになるものだ』
期待しているよと笑った国王陛下だったが、キリハはよく言うよと呆れてしまった。
キリハが鎮圧に成功したら御の字だし、失敗したら役に立たない公爵家をひとつ潰せる。
どっちにせよ王国に損はない。実にあくどい為政者ぶりだ。
もっとも、だからこそ信用もできる。
自分が上手く踊る限りは、それなりに配慮もするし協力もしてくれるだろう。
「……とりあえず、一番近い村に向かうぞ。宿は期待できなかろうが、馬を休ませて水を補給しないとな」
領堺から領都まではおよそ三日かかる。道の荒れ具合も考えれば道程は伸びるし、馬はこまめに休ませなければならない。
キリハたちは満場一致で、領堺に一番近い村へ向かった……のだが。
「……なんか、煙が上がってないか?」
村に近づくと、黒い煙が上がっているのが見えてきた。
煮炊きの煙ではない。
不吉な色合いの、明らかに問題がありそうな黒煙だ。
「どうします? 近づくのやめておきますか?」
「……いや、どっちにせよ何処かの村で情報収集はしないといけないんだ。先延ばしにする利点はない。むしろ恩を売る機会かも知れん。ヒエン、悪いがお前の力を借りるぞ?」
「うむ、姉御を乗せて飛べば良いのだな」
「ああ、よろしくたのむよ。ジェラルドは様子を見ながら近づいてきな」
キリハは竜に戻ったヒエンに跨って空へ駆け上がる。
あっという間に村の上空に至ったキリハは、見下ろして何が起こっているのかをすぐに察した。
「これは……」
『魔物の暴走だな。我と姉御が出会った時よりは小規模だが』
村は無数の魔物に襲われていた。
魔物よけの空堀と柵でなんとか防いでいるが、一部が破れて魔物の侵入を許してしまっているようだ。村の一部が家事になり、それによって混乱が拍車がかかっているようだ。
『どうする?』
「もちろん、加勢する。助けりゃ恩を売れるからな」
『了解だ!」
キリハの許可を受け、ヒエンは魔物の群れへ急降下する。
その巨体で群れを蹴散らすと、結晶鱗から炎を吹き出して全方位を焼き払う。獣系統で構成された魔物たちが、火達磨になって転げ回った。
「ブレスもお見舞いしてやれ!」
『うむ!』
炎のブレスが魔物たちを薙ぎ払う。
普段は食い意地の張ったショタであるヒエンだが、さすがはこの世界で最強の生物であるドラゴン。魔物の群れはあっという間に駆逐され、生き残りが散り散りに逃げていく。
「ヒエン、村の上空に飛んでくれ、あたしは村の中の魔物を斬ってくる」
再び飛び上がって村の上で対空したヒエンから、キリハはひらりと飛び降りた。
ジェラルドに請われて何度も練習したスーパーヒーロー着地を決めて竜から降りてきた少女に、村人たちが驚愕の声を上げる。
「冒険者だ! 村に侵入した魔物は何体だ!?」
「あ、ああ……ヘルハウンドが三体だ……」
「わかった」
村人の答えを聞くやいなや、キリハは騒ぎの起こっている方角へ走り出した。
傷付いた母親をかばって必死に棒を振り回して魔物を追い払おうとしている少年を見つけると、腰に吊った名刀ヨシカネを引き抜き、少年に飛びかかろうとしていた狼を胴で真っ二つにする。
呆然とした少年に、キリハはにやりと笑いかけた。
「頑張ったな、坊主」
ぽんぽんと頭を撫でてやると、少年が顔を赤らめた。
可愛らしい反応をする少年に「母親の手当をしてやんな」と言い置き、次の魔物を探して駆け出す。
程なく、村に侵入した魔物はキリハに切り降された。
急場を脱したと悟った村人たちが、脱力したように座り込む。
刀を納めたキリハに、村長と思しき老人が寄ってきて頭を下げた。
「……感謝します、冒険者様」
「いいってことよ。それより、怪我人は結構いるのかい?」
「はい……魔物に傷付けられた者もいますし、火事に巻き込まれて大きい火傷しした者も……」
「もう少ししたら、あたしの同行者が馬車でやってくる。薬も多少はある。もちろん、なんらかの対価はもらうが」
「……この村に払えるでしょうか?」
「とりあえず、宿と井戸を貸してくれ。あと、使えそうな魔物の素材はあたしがもらう、ってところかな?」
「……分かりました。素材は好きなだけお持ちください。宿もこちらで用意させていただきます」
再び村長が頭を下げた。
程なくしてジェラルドが到着する。村人たちに薬と包帯を渡すと、キリハは馬車の荷台から村の様子を観察した。
「……襲撃にあったってだけじゃなく、それ以前から被害があったようだな」
補修跡が目立つ家、壊れたまま放置された家屋がちらほら見える。これまで何度か小規模の襲撃があったように見受けられる。
思った以上に問題が多そうだと眉を顰めていると、馬車に少年が駆け寄ってきた。キリハが助けた、母親を庇って勇敢に魔物に立ちはだかっていた少年だ。
「姉ちゃん! もっと良く効く薬はないか!?」
「……何があった?」
「母ちゃんが死んじまう! お願いだよ、もっとよく効く……ポーションを分けてくれ!」
彼の母親はよほど重症なのだろう。通常の薬ではなく、即効性のあるポーションが必要なほどに。
「お願いだ! 金はないけど、オレを買ってくれ! 奴隷でもなんでもなるから、頼むよ!」
「…………」
少年は必死に言い募って土下座した。
キリハは荷台から降りると、地面にこすりつけている少年の頭をボカッと殴った。
「いたっ!?」
「アホか。あんたがいなくなったら、誰が母親の面倒を見るんだ? 自分のために犠牲になった息子を見て、母親がどれだけ悲しむと思うんだ? 軽々しく奴隷になるとか言うんじゃねぇ、餓鬼が!」
「うっ……」
「あたしは親不孝者を助ける気なんてさらさらないよ。あたしに何かを頼みたいなら、もっとあたし好みの頼み方をしてみな」
「…………」
少年がじっとキリハを見つめる。
キリハも、少年の目をじっと見返す。
……やがて、少年が、言葉を選びながらゆっくりと喋りだした。
「……姉ちゃんに、必ず、恩返しする。一生かかっても、必ず恩を返す。だから……助けてください……!」
「うん、いいよ」
満点、とはいかないがぎりぎり及第点だ。
キリハはジェラルドに振り返った。
「ジェラルド、魔法薬でもポーションでもなんでもいいからよく効くやつをくれ」
「いえ、急に言われても……積んでませんけど?」
「……役に立たない執事が」
チッと舌打ちされ、ジェラルドは慌てて言い訳した。
「このメンバーで強力なポーションなんて必要と思わないじゃないですか!? それにいざとなればヒエンがいるし!」
「? なんでそこでヒエンが出てくるんだ?」
「竜の血に治癒の力があるのは定番でしょう? 彼の血も、不死やら治癒やらの力がある筈です。ポーションなんて必要ないでしょう?」
「それを早く言え」
キリハは少年を連れ、村の外で待機しているヒエンのもとへ向かった。
呑気にあくびをするヒエンに、キリハは血を分けてくれるように頼んだ。
『分けるのは良いが……多分その母親が我の血を飲んだら死んでしまうぞ?』
「そうなのか?」
『我の血には治癒の魔力が籠もっているが、それは我というドラゴンの為の治癒だ。ただの人間が取り込めば、毒にしかならん』
「そいつは困ったねぇ……薄めるのじゃだめなのか?」
『魔法薬用の中和液で薄めれば良いが、すぐには用意できないだろう? 後はそうだな……我の涙か? 十分に血の魔力が薄まっている筈だ』
「涙、ねぇ。今流せるか?」
『そんなにすぐ涙腺を緩めることが出来れば苦労はしないぞ?』
「だよねぇ……」
「あの……姉ちゃん? 涙を流させれば良いのか?」
「ああ、そうだ。しかしドラゴンを感激させるような小噺なんてすぐには思い浮かばないしねぇ……」
「なら、これを食べると良いよ」
少年はそう言うと、そこらに生えていた雑草の一つを引き抜いた。
「昔から『苦虫』って呼ばれてる野草だ。涙が出るほど苦いんだ。これなら……」
「ふぅん……まぁ、ものは試しだ。ヒエン、食ってみろよ」
『わざわざ不味いものを、か?』
「もしかしたらドラゴンの舌には合うかも知れないだろ? 食わず嫌いは良くないぞ?」
『ふむ……そうだな。食わず嫌いは良くないな』
そう言って、ヒエンはキリハの手にあった苦虫をパクリを口に入れる。
しばらくもぐもぐしていたヒエンだが、やがて動きを止め、しばらくしてピクピクと体を震わせ、そして「GWAAAAAA!!」と咆哮して身悶えはじめた。
『うぎゃあああああああああああっ!! 苦い! 苦すぎる!! なんじゃこれはぁぁぁぁああああっっ!??』
どうやら、ドラゴンの舌にも合わなかったらしい。
びったんばったんと尻尾を地面に叩きつけながら悶えるヒエンの目から、やがて一筋の涙が『ダバー』と滝のように流れ、キリハと少年の全身をびしょ濡れにした。
「……まぁ、こんだけあれば大丈夫だろ。絞り汁でも母ちゃんの傷にかけてやんな」
「……ありがとう、姉ちゃん」
ドラゴンの涙でびしょ濡れになった少年が村の中へ引き返してゆく。
キリハは服の裾を絞りながら、未だ悶え苦しむヒエンに目をやった。
「……よく考えたらさ」
『うぐぐ……なんだ、姉御?」
「血の薄まった体液って、もしかして汗とかでも良かったんじゃないか?」
『……我の汗を飲みたいか?』
「いやまぁ、嫌だけど」
ドラゴンの汗よりドラゴンの涙の方が傷に効きそうだし、なにより清涼な印象がある。
世の中、イメージは大切だ。
「……ついでだし、あたしの絞り汁も村の奴に分けてやるか。まだまだ怪我人は多そうだからね」
『ふむ? そんなに怪我人が多いのか? 魔物の数はそれほどでもないと思ったが?』
「男手が足りなかったんで、守り手がいなくて被害が大きかったそうだ」
『なぜだ?』
「村長に聞いた話じゃ、男たちは反乱軍とやらに引っ張ってかれたらしい。この先の村でも同じような感じらしいな」
『巣を守るオスがいないのか。それでは襲ってくれと言っているようなものではないか?』
「その通りだね。この先の村でも、厄介なことになってるかも知れないな」
これから先の旅の憂鬱さを思い、キリハは深々と嘆息した。
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