第四十三話 公爵令嬢からランクアップ?

 いつの間にか、キリハの日常は忙しいものになっていた。

 冒険者ギルドに顔を出して依頼をこなし、闇ギルドの集会に参加して儲け話に精を出す。かと思えば学園カーストでも五本指にはいる貴族令嬢三人の姉となっているので、よく相談事を持ち込まれる。

 キリハが突然の呼び出しを受けたのも、学園でちょっとした相談に乗っている時だった。


「あー、完全に浮気してるわね、あんたの婚約者」

「……やはり、そうですか」

「けど、婚約者のご両親にも気に入られているんでしょ? なら、攻めるなら婚約者よりもご両親だ。精一杯媚を売って、精一杯しおらしくしておきな。不出来な息子を持つと嫁に期待するものだからね。舅と姑を味方にすれば、そうそう婚約破棄されることもないさね」

「はい、ご忠告ありがとうございます。これで結婚しても彼に浮気してもらえると思います」


 キリハに礼を言って、相談に来たご令嬢が足取り軽く茶会を開く庭を辞退した。

 彼女を見送って、キリハは学園の妹たちに苦笑した。


「いやはや、強烈だったね、今回の相談は」

「はい……まさか浮気する男性が好みなんて女性の相談は、私たちも経験がありませんので……」


 侯爵令嬢のリッタニア・アールレイムが、理知的な顔に歪な笑みを浮かべた。


「ごくごく稀にいるんだよ、ああいう娘。モテる男性が好みっての。まぁ、男の魅力としては分かりやすいからね。ただ、自分と結婚した後も浮気を続けてもらいたい、なんてのはなかなか強烈な好みとは思うけど……」

「うむむ……私には分からんな。気に入った男は自分だけのものにしてしまわねば我慢できんのだが……」


 まるで未知の生物を見たという顔でしきりに首を傾げるミラミニア・クリスエア伯爵令嬢。

 婚約破棄しようとした幼馴染を無理やり婿養子にして囲っている彼女からすれば、浮気容認どころか浮気推奨なんて男の好みが理解できないのだろう。


「婚約者を愛していないからあんなふうに考えるのか……?」

「違うと思うわ、ミラミニア。わたしが思うに、あれは純粋な好み。たぶん、寝取られ属性のタイプC」

「なんなんだエノラ、そのタイプCとは……?」

「わたしが仮分類したカテゴリー。娼館のお姉さんたちの話を総合するに、寝取られ好きにも様々なタイプがいる。タイプCは、裏切りの境界で焦らされるのが好きなタイプ。かさぶたを剥がすのが好きなプチ自虐趣味型」

「……エノラ、いつの間にそんな知識を……」


 エノラ・ルタリア子爵令嬢の説明に、ミラミニアが乾いた苦笑を浮かべる。

 小柄で童顔なエノラはこの場で一番無垢な少女な外見をしているのだから、まさかNTR趣味の生々しい分類なんてものを話すのはとんだ皮肉である。

 だが、彼女は他ならぬキリハの仲介で、こっそり娼館と契約して高級娼婦の家庭教師なんてアルバイトをやっている。そのおかげか一般的な貴族令嬢なんかより性や女の事情に詳しい。いまさら特殊な性癖のひとつやふたつで慌てるほど初心ではなかった。


「けど、タイプCは決定的な裏切りを前にすると何をするかの予測がつきにくい。完全に興味を失うタイプCⅠ型なら問題ないけど、執着心の強いタイプCⅡ型だと大問題になる」

「……ごめんなさい、エノラ。あなたの言っていることがよくわからないわ……」

「まぁ、あのご令嬢は舅と姑をがっちり掴んでいるようだ。なら多少遊ぶのはお目溢ししても、離婚なんてものを許すことにはならないだろ」


 キリハは肩をすくめ、紅茶で喉を潤した。

 竜騎士の冒険者や闇ギルドの影の支配者などと勇名を馳せるキリハだが、王立学園においては今や『婚約解決人のキリハレーネ』などという異名が定着し始めていた。

『キリハレーネ様にご相談すれば婚約を瑕疵なく破棄できる』

『キリハレーネ様にご相談すれば、婚約者を尻に敷くことができる』

 などといった噂が広がって、しかもそれがほぼ真実なので、いまやキリハは王立学園の令嬢たちのお悩み相談員だった。


「けど、やっぱりこういうのは向いてないね。ダンビラぶん回す方が性に合ってる。どうにも肩が凝っていけないねぇ」

「すみません、キリハ姉様。ですが相談もこれで一段落です。もう落ち着くと思います」

「そういえばリッタニア、落ち着くといえばあのクソビッチはどうしてる? この頃とんと騒ぎを聞かないが?」

「ミラミニアさんの言う通り、ユリアナ・リズリットはこの頃おとなしくなっています。第一王子は陛下から叱責され、わたくしたちの元婚約者たちも軒並み没落しましたからね。それでおとなしくなったと思っていたのですが……」

「……流石に静かすぎる。何か企んでいるに違いない」


 エノラの断定の言葉に、リッタニアとミラミニアも頷く。

 無論、キリハも同意だ。

 ユリアナは誰かを食い物にしていないと幸せを感じられない人間だ。そんな人間が何の騒ぎも起こさず静かにし続けられるわけがない。


「……どうやら案の定らしいよ」


 慌てて走り寄ってくるジェラルドを見つけ、キリハはカップに残っていた紅茶を飲み干した。空のカップをソーサーに戻すのと同時に、駆け付けたジェラルドが口を開く。


「お、王城からの呼び出しです! キリハレーネ・ヴィラ・グランディア侯爵令嬢は本日一六:〇〇時までに王城へ来るようにと!」

「ふぅん? いよいよ大仕掛けを打ってきたかな?」


 そのまま王城へ向かうと、驚くべきことにほとんどフリーパスで謁見の間まで通された。王への謁見は待ち時間も演出の内だと言うのに、威儀を正す間もなく背を押されるようにスピーディだ。

 なかなかのイレギュラーな事態が進行中らしい。


「――よく来たな、キリハレーネ・グランディア」


 謁見の間には、国王とその側近数名だけがキリハを待ち構えていた。

 うやうやしく跪いたキリハに、パトリック国王が感情の読み取れない無表情で言葉を紡いでゆく。


「今日来てもらったのは他でもない。そなたの実家、グランディア公爵家のことだ」

「はい」

「グランディア公爵家の領地で、大規模な反乱が起こったことは知っているかな?」

「はい、いいえ。初耳でございます、陛下」

「その割には落ち着いておるな?」

「はい、いいえ、国王陛下。驚いております」


 ――などというのはもちろん嘘だ。

 用意周到なキリハは、今生の実家とその領地のこともジェラルドから聞き出している。

 グランディア公爵家が名ばかり公爵家などと呼ばれているのは、その領地の困窮ぶりが原因だ。十数年前に大飢饉が起こったのだが、そのときの失敗からかなりの借金をこしらえ、その借金のせいで領地の整備が滞った。大飢饉の際には森の恵みも片っ端から消費したので、減少した森から追い出された獣が人を襲うようになり、血の匂いに惹かれて魔物も跋扈するようになった。

 それでも十数年もあれば少しずつ回復も出来るものだが、先代からのグランディア公爵は荒れた領地を代官に押し付け、自分たちは物資に余裕がある王都に留まり続けた。そして飢饉が収まってそろそろ領地に戻ろうかとしたときには、いい加減な代官のいい加減な統治で退っ引きならぬところまで荒廃してしまった。

 グランディア公爵領は今やブラックホールのように資金を溶かす呪われた土地だった。おまけに当代の公爵――つまりキリハレーネの父親も統治者としての才覚はゼロどころかマイナスに振り切れており、何もしないことが一番の貢献とされるほど。

 いつ一揆が起こってもおかしくない状況ではあった。

 

「ついさきほど、そなたの父が反乱を防げなかった罪を悔いて、当主の座から引退すると申し出た。そして次の公爵位はそなたに譲り渡したい、とも申し出ておる」

(……なるほどねぇ。こいつは厄介だ)


 ちらりと謁見の間を見回せば、しきりに汗を拭いている肥満男が目に入った。キリハレーネの父親であるグランディア公爵――いや、いまではもうグランディア前公爵か。

 前公爵はキリハの目線に気付くと、さっと顔を背けた。

 が、その顔にはいかなる罪悪感も後ろめたさも感じない。早くこの場から立ち去りたいという、自分勝手な居心地の悪さしかなかった。


「キリハレーネ・グランディア。グランディア公爵の地位を継承することに不服はあるか?」

「――あろうはずもございません。陛下の臣として、非才ながら全力を尽くす所存にございます」

「うむ。略式ではあるが、この場にて公爵位の継承を承認する。今後とも余と王国の力となれ、キリハレーネ・ヴィラ・グランディア女公爵よ」

「御意」


 こうしていとも簡単に、キリハは女公爵に仕立て上げられたのであった。

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