第十九話  執事はミタ!

「まったく……何考えてるんだ、あの人は……」


 ジェラルドは鬱々とした声で呟いた。聞いてる方まで憂鬱になりそうな声だが、幸い耳にする者はいない。

 今も彼の目の前を化粧直しした女性が通り過ぎたが、彼に気付いた様子はなかった。

 迷彩の魔法で姿も気配も完全に消しているのだ。

 ジェラルドは仮にも世界の管理者。その器となる肉体はチート性能の塊だ。誰にも気付かれず潜伏するくらい朝飯前である。


「……問題は僕のこの能力で、何で更衣室の見張りをしなきゃならないのかってことなんだけど……」


 それも、女子更衣室だ。

 女子更衣室の物陰に、ジェラルドは潜んでいた。

 世界の管理者、この世界の神が、女子更衣室に潜んでいる……こんなことが知られたら神への畏敬の念が大暴落だ。


「……そもそも、こんなことして何の意味があるんだ?」


 事の発端は、キリハのドレスが汚れたことだ。リッタニアたちとの歓談中に『きゃあ。ワインのせいで下着まで濡れてしまったわ』とわざとらしげに驚き、その後ジェラルドとともにこの更衣室にやってくると、

「あんたはここで見張ってな。何があっても動かず、全部見聞きしとくんだよ」

 と言い置き、キリハはさっさと着替えて出ていってしまった。

 それから小一時間、ジェラルドはこの女子更衣室に潜んでいる。

 すでにパーティも終わる時刻だ。主催者をはじめとして従者たちも帰り客の見送りに掛かり切りになっているだろう。女子更衣室の周囲はぱったりと人気が絶えていた。

 こんなところに潜ませて、いったいキリハは何をさせたいのだろう?


「まさか、ただの嫌がらせなんじゃ……いや、そんな無駄なことさせるタマじゃないな、あのヤクザ令嬢は……」


 本来召喚するはずだった魂と違ったのはジェラルドとしても痛恨の極みであった。やることがいちいち悪どく容赦がないし、ジェラルドがせっせと整備した世界観をぶち壊すことばかりしている。

 だが、その能力の高さ、順応性の高さは舌を巻くしかない。

 本来ならジェラルドがチート執事として転生者の右腕になる予定だったのだ。なのにジェラルドがこれまで貢献したのは情報提供だけで、後はキリハが自分で築いた人脈と力によるものだった。

 下手に知識のあるだけの一般人よりはるかに強かで抜け目がない。そんな彼女が単なる嫌がらせで自分を使うなど考えにくい。


「でもいったい何の……ん?」


 キリハの意図を掴めず訝しんでいると、更衣室の扉が音もなくゆっくりと開いた。

 こんな時間に一体誰がと首をひねったジェラルドは、入ってきた人物を見て目を見張った。


「ナンデ? サイショウナンデ?」


 足音を忍ばせて入ってきたのは王国宰相、グラード・クレセント侯爵その人だった。

 スマートでダンディでご婦人方から大人気の宰相閣下が女子更衣室に何の用なのか?

 ジェラルドが疑問に思っていると、侯爵は目当てのものを見つけたのか目を輝かせた。

 彼が見定める先にあるのは、キリハが着替えて置いていったドレス一式だった。

 クレセント侯爵は足早に駆け寄ると、キリハのドレスにそっと手を差し入れ、


「……むっふうぅぅううううっ!! けしからん! ああ! ほんとけしからんぞぉおおおおっっ!!」


 取り出したキリハのブラジャーに、鼻息荒く頬擦りし出した。


「ダンスの時からあからさまに押し付けてきおって……なんてけしからん胸をしておるんだぁぁあああっ! そしてけしからん胸を包むに相応しい、実にけしからんデザインだっっ!!」


 確かに、キリハの下着はかなり凝ったデザインだった。薄手のレースに細やかな刺繍と、見えない物になんで此処まで手間を掛けるんだ? と言うくらい細緻で豪華である。


「ぬおおおおっ! パンティなんてスケスケじゃないか! だが下品になる一歩手前ギリギリを攻めるデザインセンス! やはり私が見込んだ通り、下着も一級品だったァァあああっっ!!」


 キリハのパンツを顔に被り、神に祈るかのように膝を付く王国宰相クレセント侯爵。

 そこにはスマートでダンディな紳士の姿はない。

 変態だ。

 そこに居たのは変態だった。


「ぬはぁぁあああっ!! もう辛坊たまらん!!」


 興奮に顔を赤らめた侯爵は、おもむろに自分の服を脱ぎ出した。

 バッサバッサと服を脱いで全裸になると思いきや……。


「……………………」


 おっさんのストリップを見せつけられたジェラルドは、あんぐりと口を開いた。

 そう、ストリップだ。

 クレセント侯爵の服の下にあったのは、女性もののブラとショーツであった。


「ふぉおおおおっ!! キリハたんの下着ふぉおおおおっ!!」


 身に付けていた下着を脱ぐと、キリハの下着を身に着けはじめた。

 新しい下着の肌触りに小躍りしていた侯爵だが、服を着直すと「キリッ」とした顔に戻って更衣室を出ていった。

 スマートでダンディな紳士……しかし彼が服の下に身に着けているのは、下着ドロしたブラとショーツである。


「………………………………僕はどこで間違ったんだ……?」


 公明正大と噂の遣り手宰相の裏の姿を目にしてしまったジェラルドは、まるで我が子のベッドの下から見つけたエロ本が特殊な趣味だったと知ってしまった母親のように、『おおっ、神よ!!』とばかりに天を仰ぐのだった。


※   ※   ※


「……リッタニア、クレセント侯爵が謝罪しに来たと聞いたが?」

「その通りです、ミラミニアさん。二日前、侯爵が我が家にお越しになり、ご子息ユニオン・クレセントの廃嫡を決定したと伝えてきました。これでわたしとユニオンとの婚約は白紙撤回されました。のみならず、侯爵は監督不行き届きと自らの非を認めて、我がアールエイム公爵家へ慰謝料を支払いました。そして最後に、わたしと父に土下座して詫びました」

「……全面降伏」

「エノラさんの言う通りです。クレセント侯爵は全面降伏しました。遣り手の宰相閣下が、顔を青褪めさせて冷や汗を滝のように流していました。怒り心頭だった父が心配するほどです。いったいどのような脅され方をすれば、あそこまで怯えるのか……」


 シン、とした。

 リッタニア、ミラミニア、エノラの三人はめでたく婚約破棄による没落の危機を脱した。

 ホッとした彼女らだが、同時に何とも言えないもやもやとした気分もある。それもあってこうして集まったのだが……。


「……まさか、本当に解決してしまわれるとは思いませんでした」

「ちょっとでも私たちの受けるダメージが減らせれば儲けものと思っていたんだが……」

「終わってみたら、完全に自由になっていた……」


 三人の口から漏れ出すのは、キリハへ対する戸惑いの言葉だった。

 上手くアルフレッド王子との婚約を破棄したとはいえ、キリハレーネ・グランディアは所詮名ばかりの公爵令嬢。実家の援助もなく、後ろ盾になってくれる有力者もいない少女にすぎない。

 キリハに相談を持ちかけた彼女たちも、はじめはそれほど期待はしていなかった。

 だが、キリハに煽られた反発心から、三人は彼女に『そこまで大口を叩くのなら、助けられるもんなら助けてみろ』と挑発し返した。

 三人の要請に笑って応えたキリハは、己の力のみで三人の婚約者をその実家ごとこてんぱんにしてしまった。

 侮りは怒りに。

 怒りは驚きに。

 そして驚きは今……感動に変わっていた。


「何の後ろ盾もない、名ばかり公爵令嬢のはずのキリハレーネさんが、自分ひとりの力ですべてをひっくり返してしまうなんて……」


 貴族令嬢である三人には信じられないことであった。

彼女たちは家の名を背負っている。だから家に不利益になるような真似は慎まねばならないし、だからこそ家も彼女たちを支援する。

 そんな彼女たちにとって、己の身一つを頼りに闘う女性は驚き以外の何物でもなかった。

 強かで、ふてぶてしく、なにより自由だ。

 自立した女性の強さを見せ付けられた三人には、驚きと憧れが自然と湧き上がった。

驚きと憧れ……即ち感動である。


「……次はいったい、何を見せてくれるのでしょうか?」


 リッタニアが微笑むと、ミラミニアとエノラも笑みを浮かべた。

 同じ小娘でありながら、この国有数だった大商会も、歴史ある貴族も、王国宰相すらも手玉に取ってみせたキリハレーネ・ヴィラ・グランディア。

 彼女がいったい何処までいくのか?

 その行く先、その活躍をもっと見たい、もっと間近で目に焼き付けたい。

 そうすれば、もっともっとすごい感動で心が震えるに違いない……!


「……ミラミニアさん、エノラさん。わたし、ひとつ考えていることがあるのですが、お二人の考えも聞かせてくれませんか」


 そう言って、リッタニアは悪戯を思い付いた小娘のように無邪気に笑った。彼女の考えを聞かされたミラミニアとエノラも、すぐに同じように笑い返す。

 三人の少女たちは、無邪気に自由に、くすくすと笑い合うのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る