第十八話  大人の特権

「なかなかうまく変装しているつもりだが、君には分かってしまうか」


 キリハと踊るパトリック王は、断罪イベントのパーティで出会った時とまったく違う印象の外見だった。

 威厳を醸し出す髭はなく、髪の色も黒く染めている。それだけで、この王様はずいぶんと若々しい外見になる。威厳さも鳴りを潜め、どこか軽薄なナンパ師じみた雰囲気だ。


「王様の時の方が変装していらっしゃるわけですね。髭を取って髪を染めるだけでここまで印象を変えるとは恐れ入りましたわ」

「無理することないぞ? もっと遠慮なくざっくばらんに話し掛けてくれ。ここで君と踊っているのはこの国の王でなく、ただの貧乏貴族の三男坊なのだからな」


 暴◯ん坊将軍か! と内心突っ込むキリハ。

 無理して尊敬語を続けるのもバカバカしくなった。


「それで、なんでこんな所へ? まさかちょっと前まで息子の婚約者だった小娘を口説きに来たんじゃないんだろ?」

「そうだと言ったら?」

「こうする」


 ダンスのステップに紛れ込ませて蹴りつけようとしたが、パトリックは上手く足を引いてターンする。


「ふふ、思い切りの良い女性は好きだ」

「あまり巫山戯ると、今度は足じゃなく手が出るけど?」

「おいおい、仮にも一国の王の頬を叩く気か?」

「今あたしと踊っているのは貧乏旗本の三男坊じゃなかったっけ?」

「ふふふ、いささか本気で口説きたくなってきたが、それは別の機会にしようか……君が何やら面白いことをしていると風の噂に聞いてね。直に様子を見に来たのだ」

「面白いこと、ねぇ。ちょっと友人の相談に乗っただけだけど」

「君は友人に相談されて、この国有数の大商会を没落させ、歴史ある伯爵家を乗っ取る手伝いをするのか?」

「男と女の仲を修復するよりは楽なんでね」

「……く、くくくくっ……冗談に聞こえないのが怖いな」


 冗談も何も、キリハは本気で言っている。殴って目を覚ますならまだしも、ああも女に溺れた男どもをマトモに戻すなど、考えただけでゲッソリしてしまう。

 しかし、パトリックのこの物言い……やはり事態をかなり前から観察していたらしい。


「あんたがさっさとユリアナを排除してくれてたら、あたしだってこんな苦労しなくて済んだんだけどねぇ」

「あれか……あれは確かに厄介な毒だが、あれくらいでダメになるなら所詮それまでだ」

「……やっぱり全部知ってて放置してたか」

「立身出世を望む下級貴族や平民と上級貴族を一つの場所に押し込むのだ。王立学園は巨大な篩だよ。欲望に呑まれてダメになるなら早い方が良い。国政を担うようになってから溺れられるよりはるかにマシだ」


 厳しいが正しい、とキリハは思った。

 人の上に立つ者に求められる資質は数多い。カリスマ性、判断力、行動力……だが何より必要なのは自分をコントロールする力、克己心だ。これに比べたら、他の資質などおまけのようなものである。

 自分を御せない者が、どうして他人を御せるというのか。


「若者を正しく導いてやるのが大人の責務だと思うのはあたしだけかねぇ?」

「大人の補助が必要なのはせいぜい十五までだ。そこから大人がすべきなのは手助けでなく見守ることだ。いつまでも大人が手を貸せば、却って惰弱になるだけだ」

「……だから手を出さない、と?」

「であるからこそ、そなたの邪魔もしていないであろう? それに、若者が苦労する姿を眺めて楽しむのが大人の特権というものだ」

「……さすが、賢王と言われるだけある。あんた、イイ性格してるよ」


 キリハがにやりと笑えば、パトリックもにやりと笑い返す。


「次の標的は我が右腕であろう? あの食えぬ狸をどう料理してくれるのか、じっくりと楽しませてもらおう」


 一曲踊りきって別れる間際、パトリックはキリハに耳打ちする。

 意気揚々と引き上げていく王様を見送り、キリハはこっそりと苦笑した。


「楽しませるためにやってるんじゃないんだけどねぇ……けど、期待されたら応えたくなるのが人情ってもんだ。せいぜい、面白おかしく頑張ろうじゃないか」


 表情を引き締め、キリハは今日の目的である王国宰相クレセント侯爵の元へ歩いてゆく。

 次のダンスのお相手にと多くの御婦人に囲まれている中へ、キリハは臆することなく堂々と入り込んでゆく。


「閣下、よろしければわたくしと踊っていただけませんか?」

「……キリハレーネ嬢か。ずいぶんと印象が変わったね?」

「変わったのが印象だけか、確認してみませんか?」

「……ふふ。本当に変わったな。なんとも魅力的におなりだ」


 クレセント侯爵はそう言ってキリハの手を取った。

 互いの背中に手を添え、流れるようなステップを刻みながら、キリハと侯爵は会話する。


「先程は、陛下と何をお話になっていたのかな?」

「宰相閣下は陛下の悪癖をご存知なのですね」

「悪癖か……そうだな。陛下は少々悪戯っ気が抜けないところがお有りだ」


 侯爵は苦笑しながら、ターンしたキリハの身体を優しく受け止める。


「君は陛下に期待されているようだ。あるいは似た者同士だからかな?」

「あら、ひどいですわ、宰相閣下。わたくしはあんなにやんちゃじゃありません」

「そう言っている時点で似た者同士に思えるがね……それで? 今日は珍しいお召し物を拵えてまで、私に何の用かな?」

「無論、わたくしの友人と、あなたのご子息のことですわ。このまま婚約破棄などということになったら、リッタニア様が厳しい立場に置かれてしまいます」

「……息子のおいたには私も頭を痛めているよ。頭の出来は悪くないと思っていたんだがな……しかし、だからといって我が家が醜聞を被る訳にはいかない。君も貴族なら、メンツというものの重さは分かっているだろう?」

「それは勿論」


 まぁ、貴族もヤクザも似たようなもんである。


「アールエイム侯爵家との仲はこじれるかも知れないが、私もこっそりと嫡男を廃することになるだろうからね。互いに痛み分けということで手を売ってもらう他ないな」

「自分の息子がしでかしたことなのに、ずいぶんと他人事ですね? 公明正大と名高い宰相閣下の言葉とは思えませんわ」

「私の良心に訴えるつもりかね? だが残念ながら貴族というものは良心では動かん。良心深いと思わせる必要はあるがね」

「リッタニア様が哀れとは思いませんの?」

「哀れとは思うよ。だが、それとこれとは別だ。それとも私が被る汚名以上の見返りを、君が用意してくれるのかね?」

「……さすがは宰相閣下。損得勘定に厳しいのですね」

「どれだけ冷酷と思われようが名誉と利益を優先できるからこそ、私は陛下より王国宰相の立場を任されているのだ。……ありがとう、キリハレーネ嬢。楽しいダンスだったよ」


 曲が終わり、キリハと侯爵は礼をして別れる。

 ホールから離れたキリハに、見守っていたリッタニアが近寄ってくる。


「……どうでしたか?」

「うん、曲者だね。狸だよ、あれは。それも腹の中が真っ黒な」

「……では、覆すのは無理だと?」

「いんや? そうとも限らないさ」


 ニギニギと動かす掌を眺めていたキリハが、顔を上げてリッタニアを見つめる。


「ま、あたしの予想が正しければなんとかなるだろ。それでさっそくだが、あんたにやってもらいたいことがある」

「え、ええ。私に出来ることなら……」

「そうか、ならあたしにワインを引っ掛けてくれ」

「………………はい?」

「聞こえなかったか? あたしに向かって派手にワインをぶちまけてくれ」


 戸惑うリッタニアに、キリハは悪戯を思い付いたようにニヤリと笑った。

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