第十五話  異世界式M&A

 アルフレッド第一王子の学友であるイリウス・ブライドの実家であるブライド商会は、イリウスの祖父が一代で立ち上げ大きくした大商会である。

 たった一代でヴィラルド王国の政商の一角にまで上り詰めたイリウスの祖父は、商人たちの間では伝説として語られている。

 現在、ブライド商会を率いるのはその伝説の商人の息子であり、イリウスの父であるマリウス・ブライドだった。


「……イリウスの奴め。婚約者が気に入らないと言っていたが、まさか婚約破棄しようとするとはな」


 部下が調べた息子の近況報告を読み、マリウスは忌々しく舌打ちした。


「……奴を呼び出して叱り付けねばなるまい。ブライド商会をさらに大きくする為にはあの娘が必要なのだからな……ああ、そうとも。ブライド商会はもっと大きく、もっと強くならねばならない。誰も儂を恐れるほど大きく強く……!」


 ブライド商会の代表になってから、マリウスは常にコンプレックスに苛まれていた。

 伝説的商人の息子として、マリウスは勉強もしたし苦労もした。大きな取引も成功させている。だが何をやっても、『ブライド商会の規模を考えれば当然の結果』、『先代の畏光があれば楽なものだろう』と言われてしまう。

 常に付いて回る偉大な父の陰を払拭するには、誰もが認めざるを得ない結果を出さねばならなかった。

 子爵令嬢のエノラと息子のイリウスを婚約させたのはその第一歩だ。爵位を手に入れて貴族たちの権益に深く食い込むのもあるが、重要なのはルタリア子爵家の領地だ。密かに調べたところ、あの領地には未発見の鉱山が多く眠っている。


「大規模に掘り出せばひと財産なのに、田舎貴族のジジイめ。何が『領民が愛する山の恵と綺麗な川には代えられない』だ。無欲な貴族など、虫酸が走るわ」


 だから先代のルタリア子爵が亡くなると、マリウスは密かに手を回してルタリア家を追い込んだ。そして援助をチラつかせてエノラの父に接近し、あの家に楔を打ち込むことに成功した。


「イリウスがルタリア子爵家の婿養子になればこっちのものだ。山を切り開き川沿いに巨大な精錬所を建設する。ブライド商会がルタリア子爵領を手に入れるのだ」


 ルタリア子爵領を大規模開発して流通を握れば、もはやブライド商会に逆らえる商会など存在しなくなる。貴族も、国ですら一定の配慮をせねばならない存在になるだろう。

 その時こそ、マリウスは偉大な父を超えたことになるのだ。


「もう少しだ。もう少しで……ん?」


 執務室のドアがノックされ、マリウスは思考の海から復帰した。入室の許可を出すと、商会の番頭が慌てた顔で飛び込んできた。


「だ、旦那様! いまお客様が武器売り場で『責任者を出せ!』と大声で叫んでいます!」

「それくらい貴様たちで対処しろ。用心棒の連中だって居るだろうが」

「そ、それが……いま売り場で居座っているのはA級冒険者でして……力づくで追い出すには……」

「A級冒険者だと? ちっ、面倒な……分かった、儂が言い聞かせよう」


 マリウスは不機嫌顔に営業用のスマイルを貼り付けて売り場へ向かった。

 ブライド商会は総合商店であるが、一番の主力は武器関係だ。それも質の良い高級武器を扱っている。

 売り場には、筋骨逞しい男がどっかと居座っており、やってきたマリウスをじろりと睨んだ。


「お前が責任者か?」

「はい、商会長のマリウスでございます。本日はいったい何の御用でしょう?」

「御用、だぁ? そんなのはこれを見てから言いやがれ! 昨日買ったばかりの大剣に罅が入ってやがる! アーマーモールを斬りつけても負けない頑丈さが売りだからお買い得だからと100万エラも出したんだぞ! なのにいざ斬りつけたらこの有様だ! いったいどうなってやがる!?」

「それはそれは……では今すぐ同じ品を用意します。お題は結構ですので――」

「ふざけてんのか!? 俺たち冒険者は常に命を賭けてるんだ! 下手すりゃこうして文句をいうことも出来なかったんだぞ!? ウリ文句が当てにならない武器を売りつけたってのはな、俺を殺そうとしたのと同じだって言ってるんだよ!」

「……では、どうしろと?」

「どうしろだと? 詫びを入れろよ詫びを! 俺に頭を下げて不良品を掴ませた謝罪文を出してもらおうじゃねぇか!」


 学のない野蛮人が賢しいことを、とマリウスは内心で舌打ちした。

 頭などいくらでも下げられるが、謝罪文などそうそう出せるものではない。商人にとって評判は何よりも重要だ。謝罪文など出して自ら評判を落とせるわけがない。

 ましてや、いまはブライド商会にとって重要なタイミングなのだ。


「失礼ですが、その剣は本当に戦闘中に破損したものですか?」

「あぁ?」

「我々から金を取るために、態と傷つけたのでは?」

「……へぇ? 俺がはした金のために乗り込んできたと、そう言うわけか」

「そうは申しておりません。わたくしたちも責任を感じておりますので、しっかりとした代えの品を用意させていただきますので――」

「舐めるな! 詫びを入れればそれで済ませたのに謝罪一つ出来ねぇとはな! こんな店でもう買物なんてしてられるか! 二度とてめぇのとこの武器なんて使わねぇ!」


 冒険者の男はヒビの入った大剣を放り捨て、肩を怒らせ荒い足取りで去っていった。


「……ふん。野蛮人め」

「旦那様、よろしかったのですか……?」

「A級冒険者の一人が去ったくらいで落ちる評判などたかが知れている。謝罪文を出すより安上がりだ」


 つまらないことに時間をかけたと、マリウスはすぐにこの騒ぎを忘れようとした。

 ……が、そうはならなかった。

 次の日から、多くの冒険者がブライド商会に怒鳴り込んでくるようになった。

 やれ弓の弦が簡単に切れた、やれ槍の柄が曲がった、やれ杖のスペックがカタログ以下だ、などなど。

 一つ一つは大したことがなくても、それが続いて目撃されれば不信感が出る。

 ブライド商会の武器はだんだんと売り上げを落とし、あまつさえ返品さえされるようになった。


「旦那様、今はまだ大したことありませんが、これ以上続けば無視できない損失に……」

「戦うことしか脳のない野蛮人共が! 誰のおかげで戦えてると思っているのだ!」


 腹が煮えくり返る思いであったが、マリウスは正式にブライド商会としての謝罪文を出した。その上でまた文句をつけてくるなら全面闘争だと憤っていたが、謝罪文を出したら冒険者たちの文句はあっさりと消えてしまった。


「……ほんとうに謝罪文が欲しいだけだったのか?」


 肩透かしを食らったマリウスだが、この騒動の本当の目的は数日後に判明した。

 国が推める大口事業の入札。勝利間違いなしの金額で望んだマリウスであったが、入札はブライド商会より幾分格の落ちる商会が勝利してしまった。それもたった数百エラ、子供の小遣い程度の金額の差で。


「誰かが情報を漏らしたな……あの騒動は裏切り者が儂の目を誤魔化すために仕掛けおったか!」


 そう悟ったマリウスは、入札に関わった部下たちを調べて裏切り者を炙り出そうとしたが……彼が内側に目を向けたタイミングで、本命の攻撃が外からやってきた。

 ブライド商会と鎬を削り合う大商会たちが、一斉に買収攻勢を開始した。

 冒険者たちの騒ぎも、入札の失敗も、すべてはこのための目眩ましでしかなかったのだ。

 抗おうとしたマリウスだったが、各商会はブライド商会の各部門の弱点や資金繰りの情報を熟知していた。下請けの一次産業、二次産業の者たちは次々に離反し、ブライド商会はあっという間に蚕食された。


「この裏切り者どもめ!」


 もはや国の政策に関わる政商としての力を失ったブライド商会の幹部会で、マリウスは絶叫した。

 幹部たちのほとんどがマリウスに反旗を翻した裏切り者だった。各商会がブライド商会の各部門をスムーズに取り込めたのは、内部協力者(インサイダー)が情報を流していたからだったのだ。


「……我々はもう、あなたには着いていけません。マリウス様……あなたはもはや儲けること、大きくなることしか考えていない」

「それのどこが悪い! 儲けて大きくなるのは商人の基本だろうが!」


 父の代からブライド商会を支えてきた古参の幹部を、マリウスは罵倒する。

 古参の幹部は、怒り狂うマリウスを見て、ゆるゆると首を振った。


「儲けて大きくなる……それが商人です。しかし商人は同時に、自分の部下を、部下の家族を守らねばなりません。会社を栄えさせるのは、そこに所属する者たちを守るためです。そうではありませんか?」

「…………」

「先代は、我々部下を家族として大切にしてくれました。だからこそ、我々もあの方を父のように尊敬して盛り立ててきたのです。しかしあなたは、我々を道具としてしか見ていない。そして使えない道具はすぐに捨てようとなさる……」


 マリウスの代になって、ブライド商会はリストラに遠慮しなくなった。儲けの伸び悩む部門への資金投入を渋り、赤字になれば容赦なく切り捨てた。


「そしてあなたは、ご自分の息子でさえ道具となさった。本当の家族すら道具として扱う者に、どうして安心して付いて行けるでしょうか? 自分を道具としてしか見ていない者に、どうして誠心誠意尽くすことが出来ますか?」

「……だから裏切ったというのか?」

「裏切ったのではありません。着いて行けないと申しております。我々を受け入れてくれた各商会は大規模なリストラはしないと契約してくれております。あなたが我々を守ってくれないのなら、我々が部下たちを守らねばなりません」

「貴様らぁ……!」

「先代への御恩があります。ブライド商会を潰すのは我々も本意ではありません。あとはあなたの心がけ次第……真に部下を思いやる姿勢を見せれば、挽回する機会もあるでしょう」

「儂に説教をする気か!? たかが道具の分際で!」

「……長らくお世話になりました」


 落胆顔をして、幹部たちはぞろぞろとブライド商会を去っていった。

 誰も居なくなった部屋で、マリウスはぶつぶつと呟き続けた。


「……大きくするんだ……ブライド商会を大きく……そうすればとうさんだってぼくを認めてくれル……とうさんにまけない商人になるんだ……」


 ※   ※   ※


「面倒をかけたね」

「姫姐さんの頼みだ。どってことないさ。それにブライド商会にムカついてたのも事実だからな。最近は殿様商売でぼったくるように武器を売ってやがった」

「骨を折ってもらった礼はちゃんと弾むよ。あんたたちの意中の娘たちに声を掛けておいたからね」

「そ、そうか? それじゃあオレたちはこのへんで……」


 キリハの労いに、冒険者たちは応接室から足早に出ていった。

 冒険者たちが出ていくのと入れ替わりに、扇情的なドレス姿の女性が応接室に入ってくる。彼女はこの応接室を貸してくれている娼館で、娼婦たちの纏め役をしている女性だった。


「あの男たち、ずいぶん足取りが軽かったけど、上手く行ったの?」

「ああ。全部うまく行ったよ」


 彼らは、ブライド商会にイチャモン付けに乗り込んだ冒険者たちである。

 適当なイチャモンを付けて、ブライド商会の代表を苛つかせてくれ……そんな依頼をしたキリハに、彼らが代価に頼んだのは、

「気になる娘がいるんだけど、仲立ちしてくれないか?」

 という、小心な男子みたいな告白の代行だった。怖いもの知らずの冒険者も、意中の女性に告白するのは勝手が違うらしい。

 幸い、キリハが仲立ちした娘たちは、相手の冒険者たちを憎からず思っていた。きっと今頃、いつも以上に熱い夜を過ごしているに違いない。

 大金を用意していた者もいるので、このまますぐ身請けの話になる者もいるだろう。


「しかし驚いたわ……あのブライド商会を潰してしまうなんて……」

「潰しちゃいないよ。弱らせただけさ。貴族の家に婿養子なんて入れないくらいの規模に、ね」


 ブライド商会の一連の没落の絵図を書いたのはキリハだ。

 前世のキリハは、昭和のフィクサーと呼ばれるような老人たちに気に入られ、彼らの手練手管を茶飲み話に伝授されていた。総会屋やインサイダー取引のノウハウはたっぷりと蓄積されている。

 公正取引委員会など存在しない世界ならやりたい放題だ。


「でも、ブライト商会といったら、結束の強さで評判だったのだけど……」

「だから、だよ。結束が強く義理堅いからこそ、義理と人情を欠いたトップに愛想が尽きたんだ。少なくとも義理と人情があると思わせることも出来なけりゃ、下は安心できないさ」


『いいか、キリハ嬢ちゃん。内通者を作るなら、義理堅い男を選べ。金に汚い男は選ぶな』

『逆じゃないのか、御前様?』

『金に汚い男は抱え込んでも頭を悩ますだけじゃ。裏切られる前提の短期雇用ならありじゃがな。だが水面下でじっくり根回しする時には、内通者にも一定の信頼が要る』

『でも、義理堅いんならそもそも裏切らないんじゃないのか?』

『裏切らせるのではない。見限らせるのじゃ。義理堅い男は上司にも義理堅さを求める。狙いを付けた企業に先ずすることは、トップの悪評を広めることよ。金儲けしか頭にない輩がトップなら濡れ手に粟じゃな。上が義理と人情を欠いた俗物なら、義理堅い男はあっさりと見限るものよ』


 嬢ちゃんも気を付けろよと忠告してくれた老人を思い出す。

 彼に教えられたテクニックには何度も助けられたが、異世界でも依然として有用だ。


「ところでエノラは役に立ってるかい?」

「ええ。みんな熱心に彼女から学んでいるわ」


 ブライド商会からの援助がなくなるだろうエノラに、キリハはアルバイトを紹介した。娼館の娘たちに貴族子女が受ける令嬢教育を伝授して欲しい、と。

 礼儀作法や知識を身に着ければ、娼婦たちの価値は高くなる。娼館側も高額を提示できるし、娘たちも自分を買い戻す金を得られる。エノラは結構なバイト代をもらえてwin-winな関係である。

 自分を道具だと卑下していたエノラだが、それだけみっちりと令嬢教育を受けてきたということでもある。教師としてとても優秀であった。


「貴族の娘さんがこんなところに来て大丈夫かしらと思ったけれど、意外にすんなり溶け込んでるわ。若い子たちも彼女を可愛い可愛いって気にいってるし」

「貴族令嬢だからって偉ぶる余裕もなかったから、いい意味で自己評価が低いからね。けど可愛がるのはいいが、ちゃんと夜には返してくれよ? あの子はあたしの抱き枕なんだから」

「……ふふっ。キリハちゃんは本当に不思議な娘ね。あの子を抱き枕にするために、この国有数の大商会をぶっ潰しちゃったの?」

「ただの抱き枕じゃない。最高級抱き枕だから、さ」


 キリハは嘯くとニヤリと笑った。

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