第八話  乙女ゲーヒロインは闇の中で嗤う

 ユリアナ・リズリットに転生した『彼女』の前世は、ごく普通の家庭で生まれ育った。

 父はとある企業のエンジニアで、母は週3日ほどパートに出かけていた。ただ、不況に喘いでいた時代に郊外とはいえ一軒家を購入してローンも払い終えていたから、中流家庭でも余裕がある方だったろう。

 父と母の仲は良好で、喧嘩はするがすぐにころっと忘れて一緒の食卓を囲む、どこにでもいる普通の夫妻だった。

 子供の教育にとって幸福と言えるほど一般的な家庭の中で『彼女』は生まれ育った。


 そんな『彼女』が、なんで他人のものを奪い、他人が悔しがり嫉妬に狂う姿に幸福を感じるようになったのか、当の本人にもまったく理由が分からなかった。

 が、分からなくても一向に構わない。

 重要なのは、自分が自分の『幸福のカタチ』を認識できていることだ。

 多くの人間は、漠然とした『人生の幸福』を追いかけて時間を無駄にしている。だが自分は、自分を幸福にしてくれるものをはっきりと自覚できている。その他多くの人間と比べ、なんて自分は恵まれているんだろうと、『彼女』は自分の幸運に感謝した。


 そして『彼女』は、多くの人間から多くのものを奪っていった。

 失敗もしたが、その度に学習し、より多くの幸福を得る方法を確立していった。

 そして最終的に、自分が堕とした人間を利用するやり方を覚えた。

 自分の手を汚すなんて下策だ。自分が幸福になるために他人の恨みを買うなんて、本末転倒である。

 汚れるのは他人に任せっきりにしてしまえば、『彼女』は永遠に幸福でいられるのだ。


「ユリアナ! あの厭味ったらしいキリハレーネへの援助を止めさせたぞ!」

「まぁ……でもそんなことをしたら、キリハレーネ様がお困りに……」

「君は優しいな、ユリアナ。だが、これであの女も自分のしたことを少しは思い知るだろう。王家を侮辱しておいて援助を得るなど、許されることではないからな」


 アルフレッド第一王子がユリアナに笑いかける。

『彼女』――ユリアナも表面上はキリハレーネを心配しているかのように困った顔をするのだが、腹の中では何度も何度も舌打ちしていた。


(ちっ……その程度のことしか出来ないのかしら、この王子サマは。とっととあのムカつく女を死刑にでもなんでもすればいいのに)


 国王から直接叱責された直後の低下した影響力では、出来ることなどそれほど多くない。

 アルフレッドは自分の功績のように語っているが、彼との婚約が破棄されれば、キリハレーネへの王家からの援助が絶えるのは既定路線だ。彼がしたことは、援助の打ち切りをいくらか早めた程度のことでしかない。


(それでもマシ、と考えるべきかしらね。学費が払えなくなって学園から追い出されれば、あとは何とでもなるもの)


 王立学園の敷地内は、数多の警備員と幾重の魔術防御が張り巡らされている。貴族の子女を預かるのだから当然だ。


(学園の外にさえ出されてしまえば、暴漢に襲われても不思議じゃないものね。そして貴族の娘がレイプされたなんてことになれば、社会的に死んだも同然。いえ、もしかしたら暴漢に攫われて、奴隷に落とされるかも知れないわねぇ)


 ヴィラルド王国には奴隷制度はない。だが大陸の一部では、まだ奴隷制度が幅を利かす国がある。『この愛おしい世界に慈しみを』のアペンドディスクには、奴隷であった過去を背負う陰のある冒険者とのロマンスがあったから間違いない。

 そういう国に売り払われてボロ雑巾のように使い潰される……悪役令嬢に相応しい最後だろう。


(あの女も金がなくて追い出されると分かったら、追い出さないでくれと縋り付いてくるかも知れないわね。ふふ、でも決まりは決まりなんだからしょうがないわよね。でもそうなったら知らない仲じゃないから、知り合いにお世話を頼んでおこうかしら)


 ゲームの知識があるユリアナは、すでに王国の裏社会の住人とも顔を繋いでいる。

 名ばかりとはいえ公爵令嬢、多少キツい顔付きだが十分以上に整った容姿……そんな女がいると囁やけば、彼らも喜んで引き取りに駆けつけてくれるだろう。

 散々男たちの玩具にされた後で薄汚い路地に捨てられる……そんなキリハレーネの惨めな末路を夢想して、ユリアナは腹の中でほくそ笑んだ。


「あれだけ虐めた相手にも心を配るなんて、ユリアナ嬢はほんとうに心優しい方ですね。それに比べて、わたしの婚約者は……」

「君の婚約者ならまだマシだろう? 僕の婚約者は、幼馴染みといってベタベタ馴れ馴れしくて……ユリアナの慎ましさが少しでも彼女にあれば……」

「貴族様は大変だな。もっとも、俺も婚約者と結婚したらその仲間入りなんだろうが……正直、王子と陰険女の関係を見ると、親の都合で決められた結婚なんて御免こうむりたいね」


 王子の取り巻きたち――クール系眼鏡男子のユニオン、文系後輩男子のエリアルド、ツン系毒舌男子のイリウスが嘆息している。

 彼らは口々に自分たちの婚約者の愚痴を漏らすと、救いを求めるようにユリアナに目を向ける。


「ユニオン様、宰相閣下のご子息であると言うだけで威の沿わぬ相手との結婚などおかわいそうに……ユニオン様のご両親も、友達と夫婦が全く別物だと分かってくださればいいのに……イリウス様が金で結婚を買ったなんて言われるようになるのは、私も許せませんわ……」

『ユリアナ……』


 労い慰めるユリアナを、女神でも見るかのように見つめる三人の攻略対象。

 ユリアナは彼らの自分への依存ぶりを確認しながら、ふと新しい遊びを思い付く。


(……この三人の婚約者は悪役令嬢ではないから没落はしないけど……ふふ、ただ待っているのもつまらない。彼らの婚約者を使って、愉しむとしようかしら)


 慈悲深い聖女のような笑みの裏で、ユリアナは新しい玩具の遊び方を考えてワクワクと胸を躍らせるのだった。

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