第四話  知恵と勇気(ついでに度胸とハッタリ)

「何事だ! この騒ぎは!!」


 パーティ会場に威厳ある声が響く。

 声の主は、金髪碧眼の美丈夫だった。綺羅びやかな衣服を纏い、頭上には冠を戴く。

 王立学園の生徒なら見間違えようもない貴人。ヴィラルダ王国の現国王、パトリック・ヴィル・ヴィラルダその人であった。

 国王は、この騒ぎの中心らしき自分の息子をじろりと睨む。


「……アルフレッド。皆が楽しむべき場で、この騒ぎとは一体何事だ? お前はいったい何をしていたのだ?」

「ち、父上……これは……」

「これは?」


 父としてではなく国王の威を以って問いただすパトリックに、アルフレッドはうまく言葉を発せなくなる。

 近年稀に見る賢王として名高いパトリックは、その実績に裏打ちされた自信と威厳に満ち溢れている。

 父を誇らしく思うアルフレッドだが、同時に偉大な父を苦手に思っていた。優秀と言われるアルフレッドも、パトリック王の前に出ると平凡なその他大勢の一人のように感じられてしまう……。


「――畏れながら、陛下」


 澱んだ空気を払うような凛とした声が響く。

 皆の注目を集めたキリハは、国王に対して恭しく膝を折って頭を垂れた。

 会場の生徒たちも慌てて彼女に続く。


「陛下。わたくしに直答をお許し頂きとう御座います」

「ふむ……許そう。キリハレーネ・ヴィラ・グランディア公爵令嬢、この騒動の原因は何なのだ?」

(……すごい威圧感だ。ここまで有無を言わさず『上位者』と周囲に認めさせる大物はそういない)


 キリハは内心で舌を巻いた。

 このパトリックという王の発する『威』は、キリハでもそうそうお目にかかれないものだった。闇の宰相などと呼ばれた昭和のフィクサーや、歴史あるマフィアのボス、そういった裏社会の大物たちといい勝負だ。

 これは気合を入れ直さねばと、キリハは腹に力を入れた。


「……アルフレッド殿下がわたくしとの婚約を破棄したいと申しまして、それが騒動の原因でございます」

「ほう……おかしいな、余は息子の婚約が破棄されるなどという話を耳にした記憶がない」

「突然の思い立ちであったようです。わたくしが、特待生のユリアナ・リズリット様を虐めたのが腹に据えかねた、と」

「平民から拾い上げた特待生の少女か。アルフレッドと仲の良い学友とは聞いていたが、よほど仲が良いのだな」


 パトリックはアルフレッドに目を向けた。

 アルフレッドがバツの悪い顔になる。

 王家と公爵家の婚約が、当事者たちだけで破棄できないのはアルフレッドとて分かっていた。だが、キリハレーネに『第一王子の婚約者として不適格』という既成事実さえ作ってしまえば後はどうにでもなる。所詮、外戚に加えても何の影響力もないというだけで選ばれた婚約者。逆に言えば、婚約破棄したところで影響もないのである。

 だが、その既成事実を作ることに失敗してしまった。

 二重に醜態を晒してしまった形のアルフレッドは顔から火を噴く思いだった。


「しかし、虐め、か。あまり褒められたことではないな、キリハレーネ嬢?」

「畏れながら、わたくしが行ったのは篩い分けに過ぎません。害意を上手くやり過ごし、時にはやり返すのが貴族の女の嗜みというものです。それが出来ねば、殿下のお側に侍ることは難しいと思いますが?」

「――ふっ、言うものだ。確かに余の後宮も、強かな女たちばかりであるな」

「生き馬の目を抜く世界に生きる男性が手弱女を愛でるなら、男性が守るべく気を配る必要があります。違いましょうか?」

「……違わんな」


 パトリック王は苦笑しながらキリハの言葉を肯定した。

 いじめは良くないことだ。それは当然のことだ。キリハだって大っ嫌いである。だいたいいじめなんて面倒なことするくらいなら、ぶん殴って大人しくさせたり、ぶっ殺して山に埋める方が手っ取り早い。

 だが『それはそれ』として、いじめ程度で折れるような女性が権力者に寄り添うのは不可能である。なんせ権力者は、始終いじめと嫌がらせの中で生きているようなものなのだ。

 この王様は、そのことをちゃんと判っている。

 であるからこそ、本当の勝負はここからだ。


「陛下、重ねてお願いしたき儀が御座います」

「許す。申してみよ」

「はっ。出来ますればアルフレッド第一王子殿下との婚約を解消したく思います。陛下のお許しをいただけるでしょうか?」


 会場がどよめく。

 第一王子の婚約者、未来の王妃という栄えある立場を自ら捨てるなどとは信じられない。

 まして、名ばかり公爵令嬢のキリハレーネとって、第一王子の婚約者であることは数少ない自慢の種なのだ。その彼女が自ら婚約破棄を望むなど……。

 だが周囲の困惑と裏腹に、パトリック王は面白そうに笑い声を上げた。


「はははっ! そなたの方からアルフレッドを捨てると申すか!」

「はい。わたくしは『未来の王太子の婚約者』として選ばれたのです。その前提が崩れた以上、アルフレッド様の婚約者である必要はありませんので」

「なっ!? キリハレーネ、貴様何を――」

「黙れ、アルフレッド! キリハレーネ嬢は今、余と話しているのだ!」

「ち、父上……申し訳ありません……」

「うむ……だが、余としても聞き捨てならないな。キリハレーネ嬢、アルフレッドは王太子に相応しくない、と?」

「現にこうして、わたくし如きを追い落とすのに失敗しています。獅子はウサギを狩るのにも全力を尽くす……王たる者は常に『完全な勝利』を得ねばなりません」

「そうだな。それが王たる者の責務だ」

「アルフレッド様には利用できる人脈も用意できる時間もお有りでした。その上で何の後ろ盾もない小娘を排除するのに失敗するということは、わたくしを侮ったということに他なりません。『完全な勝利』を得る努力を怠る者に、王の責務を全うできるでしょうか?」

「……なるほどな。そなたの言葉には頷かざるを得ぬ道理がある」

「恐縮です。そして陛下には、重ね重ね申し訳なく思っております」

「うん? 何のことだ?」


(ここからが正念場だ。はてさて、どっちに転ぶか……)


「……畏れ多くも陛下はわたくしに『息子を支えてやってくれ』と仰られました。以来、あえて道化を演じてきましたが……どうやら迂遠に過ぎたようです。もっと直接に讒言すべきであったかと、力の足らなさを恥じるばかりです」

「…………」

「陛下の期待に応えられず、誠に申し訳ありません」


 再度、会場がざわついた。

 キリハレーネが典型的な貴族の馬鹿令嬢を演じていた……キリハレーネが王の命を受けてアルフレッドの器量を確かめようとしていたとも受け取れる会話に、聴衆が驚きに眼を見張る。


(ま、一から十まで口八町なんだが)


 キリハは胸の中で舌を出した。

 息子を支えてやってくれ、なんてのはよくある言葉だ。道化というのも、キリハレーネに霧羽が宿って人格が変わったのだから演ずるも何もない。

 だが、事情の裏を読みたがるのが貴族という連中だ。思わせぶりな話をすれば、あとは勝手に『キリハレーネが王の命を受けてアルフレッドを試していた』というストーリーを面白おかしく脚色してくれるだろう。


(だが、問題はこの王様が、あたしのアドリヴに乗ってくれるかだ)


 パトリック王はじっとキリハを見つめている。

 無論、彼はキリハの意図を見抜いているだろう。婚約を解消するに際し、責任をすべてアルフレッドにおっ被せようとしている、と


(普通なら、こんなアドリヴに乗らない。普通の親なら、あえて息子に泥を被せようとはしない……普通の親なら、ね)


 キリハはこのパーティが始まるまで、唯一事情を知る執事のジェラルドから様々な情報を聞き出した。その中でも断罪イベントを切り抜ける為の鍵として重要視したのが、この国の王であるパトリックの情報だ。

 曰く、清濁併せ呑む器量を持った政治家。幼くして玉座に座った当時は侮る者も多かったが、現在は優秀な君主として尊敬を集めている。


(つまり、親である前に王だったわけだ。親じゃなく王としての判断を選ぶなら……)


「……キリハレーネ嬢はこう言っているが、アルフレッド? お前はどう思う?」

「お、俺は……」

「お前が私の後継者であることにプレッシャーを感じていることは知っていた。私に認めてもらいたいと努力していることも。だがな、王とは他者を認める者であって、他者に認められる者ではない。それを知って欲しかったが……」

「ち、父上……」

「しばらく頭を冷やせ、アルフレッド。余も考え直す時間がいるからな」

「…………」


 アルフレッドはがっくりと項垂れた。

 父に認めてもらいたいと努力し続けてきたアルフレッドにとって「お前には失望した」と言われるほどきついことはない。

 もっとも、そうやって落ち込む姿が、なおさらパトリックの失望を買ってしまうのだが。


「キリハレーネ・ヴィラ・グランディア公爵令嬢の願い、確かに聞き届けた。ヴィラルド王国の君主たる余、パトリック・ヴィル・ヴィラルダの名の下に、キリハレーネ嬢とアルフレッドの婚約をするものとする。この場にいる者全員が証人となる……これで良いかな、キリハレーネ嬢?」

「はっ。陛下の手を煩わせてしまい、申し訳ありません」

「良い。そなたは余に従っただけ。そうであろう?」


 パトリックがニヤリと笑い掛ける。悪戯を成功させた共犯者に向けるような笑みだ。


(……ド田舎で幽閉の危機を切り抜けたはいいが、どうやらこの陛下に『遊び相手』として認識されてしまったかねぇ)


 内心で苦笑しつつ、キリハもニヤリと笑い返した。


「それでは陛下、他の皆様方の迷惑になりますので、わたくしはこの場から下がらせていただきます」

「そうか、そうだな。そなたとはまた日を改めてゆっくり話そう」

「畏れ入ります。それでは、失礼いたします」


 見事なカーテシーをして、キリハはパーティ会場を後にした。

 会場の注目を浴びつつ堂々と歩み去ってゆく姿は、どう見ても第一王子の婚約者の地位を失った敗者ではない。

 己の力を誇る勝者の姿だ。

 ひと仕事終えて会場を後にしようとしたキリハだが、その背中に粘ついた視線を感じて「ん?」と軽く振り向いた。

 視線の主は、キリハに面目を丸潰されたアルフレッド王子……ではない。がっくり項垂れた彼に寄り添う亜麻色の髪の少女、ユリアナ・リズリットだ。

 清楚で献身的な見た目と裏腹に、キリハを睨む眼はねっとりした悪意が染み付いている。


「……へっ」

「っ!?」


 勝者の権利とばかりに鼻で笑ってやると、ユリアナはひくり、と口の端を引き攣らせた。

 クソ気に入らないガワ詐欺女が外面を必死に取り繕っているのを見、キリハは悠々と歩き去る。

 ……だがしばらく廊下を歩いていたキリハは、「あっ」と失敗を思い出してぴしゃりと額を叩いた。


「しまった……王子様の指をもらうの忘れてた……」

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