芳冬

いちや

芳冬

 午前6時15分。東の空が白み始めていた。

 北風が強く吹き付けるバス停で、雅巳は飛びそうなマフラーを手で抑えながら車道の先を見つめている。

 今日は半月ぶりの登校だ。先天性の疾患によって入退院を繰り返しているため、あまり登校することができずにいた。

 クラスにはあまり馴染めていない。高校生になって一年近く経つが、ときおり話しかけられるものの会話についていけず愛想笑いにも疲れてしまった。

 橋の向こうからハロゲンランプと電子板の文字が見え、ショルダーバッグを担ぎ直す。

 空気シリンダーが犬の溜め息のように鳴いて扉が開いた。

 この音を聞くと、病院の外であることを実感する。何気ない楽しみのひとつだ。

 定位置となっている最後尾の席でバスに揺られる。

 30分ほど活気づく街並を眺め、学校から程近いバス停で降車した。

 この時間帯は学校付近でも歩いている生徒が少ない。故に校門に先生がいない。その方が気が楽なため早めに登校していた。

 1年生の教室は5階にある。疾患のある雅巳は一度に登りきれず、途中で休みながら登りきった。

 教員専用のエレベーターの使用を特別に許可されているが、乗ったら負けな気がしてしまう。

 何に負けるのかも分からないのだが、雅巳は意地でも乗ろうとはしなかった。

 教室手前の廊下で違和感を覚え足を止めた。

 何やら教室が賑やかなのだ。声を抑えてはいるが、大勢の話し声が聞こえてくる。

 怪訝な面持ちで室内を覗くと、「あっ!雅巳おはよー!」という声と共にクラッカーの派手な音が響いた。

 そこにはクラスメイト全員の顔があり、雅巳の席に菓子が山のように積まれている。

 呆気に取られた雅巳を見て数人がからからと笑った。

 黒板には『雅巳!退院おめでとう!!!3日遅れのバレンタインだヨ!』と書かれていた。

「遅刻常習犯の俺が1時間以上も早く来たんだぜ?褒めてくれ!」

 そう言いながらクラスのムードメーカーの颯太が雅巳の肩に手を乗せた。

 颯太が雅巳の席を指さす。

「あれ、全部友チョコな」

 雅巳は何か言わなければと頭を巡らせるが、上手く言葉が出てこない。

「本命もあるかもよー?」と女子数人が合いの手を入れ、そこかしこから笑い声が上がった。

「今まであんま話せてなかったけどさ、せっかく同じクラスになったんだから一緒に楽しくやろうぜ」

 颯太が片手を差し出す。雅巳は颯太の顔を見て、クラスメイトひとりひとりの顔に視線を移していく。

 今まで愛想笑いをしていた。寄り添おうとしてくれる人たちを遠ざけていた。

 幼い頃から受け入れられる場所など無いと思いながら生きてきたのだ。

 心の中で固く握りしめて離さないようにしていた何かが、すうっと消えていく。

 颯太の手をゆっくりと、強く握った。それを合図にクラスメイトが雅巳を囲んで声をかける。

 目尻の熱さも、震える喉も、全ては自分のものなのだと。誰かとの間にあるものなのだと。そう教えてくれる人達に出会えて。


 16歳の冬が、始まった。

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芳冬 いちや @shino3124

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