なりふり構わず

                    *



 翌朝、イライザのおかげでスッキリとした目覚めを迎えたケイトは、仕事を午前のうちに全部片づけて、昨日に引き続きイライザとセシリアと共に練習を始める。


 ケイトは昨日のうちに注文して、昼に届いた蛍光グリーンのサイクルジャージを身に纏っていた。


「もうこうなったら、なりふり構っていられないわ。プライドなんか捨てるわよ!」


 しかし、一向に乗れるようになる気配がなく、そう宣言して大至急補助輪を用意させた。


「ちょっと高めに着けて頂戴イライザ」

「承知しました」

「……やっぱりもう少し低めで」

「はいー」

「あ、でももう少し高い方が……」

「はい」


 そんな調子で微妙な位置の上下動を何回か繰り返し、直立すれば補助輪が着かない程度の位置に落ち着いた。


「お嬢様。一応私が併走は致しますのでご安心を」

「ありがと。でも流石にこれで転ばないわよ」


 心配性なんだから、と苦笑いしつつそう言って、意気揚々と多少ふらつきながらもペダルをぎ始めた。


「あっ! お嬢様ッ! そこは根っこがありますッ!」

「えっ――」


 だが、前輪がレンガを押しのけて飛び出した、太い庭木の根を乗り越えたときに、左にハンドルが傾いた事に焦りすぎてケイトはバランスを崩した。

 

「ちょっ! イライザーッ!?」

「お任せあれ」


 転倒しかかって悲鳴をあげるケイトの身体を、イライザは昨日と同じ様にがっしりと受け止めた。


 なお、勢いが昨日よりあったため、ケイトは額に追加でイライザの厚い胸板を感じた。


「お怪我はありませんか」

「え、ええ……」


 何をどうしたら、そんな柔と剛が両立出来るのかが気になったケイトだが、なんだか訊くのははばかられる気がして飲み込んだ。


「自分がここまで運動できないなんて思わなかったわ……」


 イライザと共に何往復かしたケイトは、虚無の表情でティータイムをしていた。


 座面が1枚の分厚い白い布で出来ている、折りたたみ式のアウトドア用ガーデンチェアに深く腰掛けている。

 

「慣れていらっしゃらないだけ、でございますよ」


 ため息を漏らしている主人へ、傍らでパラソルを持っているイライザは、いつもと同じくにこやかにポジティブ全開な言葉をかける。


「そうだといいのだけれど……」


 フォローしてくれたイライザへ、ケイトは、ありがと、と元気なさげに薄く微笑んで言う。


「お嬢様っ。わ、私に出来て、お嬢様に出来ない事はありませんよ……っ」


 そんな意気消沈の彼女に、イライザの斜め後ろでヘルメットを持って立っていたセシリアが、小刻みに震えつつたどたどしく言う。


「セシリア。そこまで深刻に思い詰めてないから大丈夫よ」

「は、はい……」

「それにそんな事言うものじゃないの。気持ちはありがたいけれど、あなたの自尊心を犠牲にしちゃだめよ」

「あっ、はい……」

「あなたに出来て、私に出来ない事なんていくらでもあるわ。例えばしみ抜きとか」


 イライザにカップとソーサーを預けると、よいしょ、と立ち上がり口の端を少し持ち上げ、自分より少し低いセシリアの頭を優しく撫でた。


「あわわ……」

「もう少し自分に自信持って良いのよ。あなたが思っているより、あなたは良いメイドだから」


 耳まで真っ赤にして照れるセシリアは、ありがとうございますぅ、と蚊の鳴くような声で恐縮しきりの声で言った。


「さてと、今日こそ乗れるようになるわよ!」


 イライザからカップだけを返して貰い、残りを飲み干したケイトは、ヘルメットをセシリアから受け取って被ると自転車にまたがった。


 そこから3時間程ぶっ通しで練習をし続けて、補助輪を1度も着かずに乗れるようになった。


「もう外して乗るわよイライザ」

「承知しました」


 イライザが素早く補助輪を外した自転車にまたがって直立すると、ケイトはスタンドを蹴り上げてとにかく慎重に漕ぎ始める。


 もちろん、イライザは少しも遅れずに併走していたが、多少ふらつきはするものの、彼女の出番が一切無いまま、ケイトは折り返しまでしてスタート地点へ戻った。


「やりましたねお嬢様」

「お、おめでとうございますっ」

「あなたたちのおかげよ。ありがと」


 スッと降りてスタンドで立てたケイトは、祝福するメイド2人をまとめて抱きしめ、達成感に満ちた笑みを浮かべた。


「さてと。乗れたのは良いけど、しばらく乗ってられる体力つけなきゃね」

「もう少し慣れられたら、道に出てみるのも良いと思います」

「そうしましょう。じゃあ、セシリア。デボラにも声をかけておいて貰える?」

「は、はい……。その、私も、でございますか……?」

「ええ。そうよ」


 おずおずと聞いたセシリアはその答えを訊いて、ええっ、と、意外そうな声をあげて目をパチパチさせた。


「でっ、でも私……」

「慣れてる人が多い方がいいじゃない。特にイライザは、ずっと私と一緒だからちょっと鈍ってるだろうし」

「そうですね。かれこれ3年程は乗ってないので」

「し、承知しました……。でも、ご粗相そそうがあるかも知れませんが……」


 指をもじもじと動かして、セシリアは上目使いでケイトへそう前置きをした。


「大丈夫よ。イライザで慣れてるわ」

「いやー。面目次第もございません」


 ちらっと口元に笑みを浮かべて、ケイトにちらっと視線を向けられつつ、そう言われたイライザは、申し訳なさげに笑いながらそう言った。


「あ、私のためにっていうのが空回りしてる、っていうのは分かってるわよ」

「ええ。存じ上げておりますとも」

「でも最近はちゃんと出来る事も増えたわね」

「いやあ、照れますねぇ」

「顔がだらしないわよイライザ」


 もはや目線だけでいちゃつく2人に、セシリアは半ば置いてけぼりをらっていた。

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