メイドの帰郷

 いつもの様にイライザを連れだって、北海岸州都にある商工会議所での講義を受けた後、ケイトは用意された控え室で休憩していた。


「イライザの実家って、たしかこの街なのよね?」

「はい。正確にはこの町の東地区の南部ですが」


 イライザに膝枕して貰って休むケイトは、にこやかな表情の彼女へ唐突にそう訊いた。


「やっぱり、懐かしかったりするの?」

「そうですね……。1度まるごと変わってますし、前に帰ったのはずいぶん前ですから、そこまでは感じませんね」

「そうなのね」


 とはいえ、焼けていない7ー4から9ー12ブロックまで行けば、その限りではないでしょうが、とイライザは補足する。


 北海岸州都は、イライザが傭兵ようへいになって街を離れた後、現東25ー3の港で発生した燃料火災が暴風にあおられて延焼していった。

 その当時は、ほとんどが古い木造建築であったため、街の3分の2を焼きつくす大火となった。


 焼け跡からの再建時、市長の発案で街を元に戻すのではなく、建物を木造以外で統一し、広場をあちこちに作るなど、防災と効率化を図るために、市域全体を半ば強引に整備した。


 市域の中心に市役所を建て、ラウンドアバウトで囲い、そこから東西南北に太い道を延ばし、さらに少し細い道を造って碁盤の目状にした。


 反対運動を押し切って急ピッチで進めた結果、9年の歳月を要して、横25本・縦29本の道路で区切られた、200メートル四方・計672ブロックの計画都市が完成した。


「せっかく来たんだから、見に行ってきたら?」


 里帰りがしたいだろう、と思って何の気なしに言ったケイトだが、


「……ああ、ごめんなさい。――私が見たいから付いてきて貰える?」


 主人である自分の身の安全を、イライザはその身を投げ打ってでも優先する事を思い出し、謝ってからそう言い直す。


「はいっ。喜んで」


 何も言わずとも意思疎通が出来た事に、主従2人は小さく笑みを浮かべた。


「では1時間後に、ですね」

「ええ」

「かしこまりました。お休みなさいませお嬢様」


 予定通り、ケイトは目を閉じて昼寝に入り、イライザは下にずれていたブランケットをかけ直した。


 それから、小さく胸を上下させている主人の頭を、彼女は母親がそうするようにそっとでてから手を離す。


 すると、ケイトの腕がゆっくりと動き、それを阻止する様につかんだ。


「……承知しました」


 独りごちたイライザは、目を細めながらケイトの頭を撫でるのを再開した。



                    *



 縦28・横12番通りが交差する地点にある南駅付近の裏通りに、2人と運転手の乗った黒い自家用車が止まっていた。


「――で、こういうのを着るわけね」

「はい。大変心苦しいのですが……」


 普段のシンプルだが上品な格好のままだと、ケイトが目立つため、イライザは汚れ加工を施したフードを彼女に手渡した。


「良いわよ、別に。それより、あなたの格好の方が目立つんじゃないの?」


 特に抵抗なく羽織って前の紐を結んだケイトは、いつも通りにメイド服を着ているイライザへたずねる。


「その方が良いのです。逆にメイドという『異物』が混じっていた方が、お嬢様から目をらすにはちょうど良いのでございますよ」

「なるほど、視線誘導ね」

「はいー」


 それに、商業エリアはたまにメイドがいる事もございますので、と言うと、イライザは足元に置かれた、自身の腰ほどの横幅があるアタッシュケースを手に降車した。


 イライザにドアを開けて貰い、ケイトは車から降りると、彼女と並んで駅の方向へと歩き出した。


 そのまま人通りの多いところに出ると、作戦通りイライザに視線が集まり、ケイトの存在感はほとんど無くなっていた。


 駅前から東に進む度、真新しい道路に区切られるくすんだ古い建物、という一見すると奇妙な光景になっていく。


 それを見ながら4ブロック程進んだところで、縦16番通りの商店街に到着した。


「思えば遠くにきたもの、って感じ?」

「ふふ。はい」


 2人が出会ったそこを歩くイライザは、少し苦々しそうな様子の笑みで返した。


 相変わらず、当時と同じ様に人通りも活気もあるが、車両が人を押しのける様に進んでいた土道は舗装され、店もいくつか建て直しやリフォームされている。


 ちなみに、そこでもイライザは目立っていたが、彼女がかつてエレインだったと気が付く者はおらず、あの燻製くんせい屋の店主も同じだった。


 大道芸人がいたり、と活気に満ちているのはそこまでで、1本隣の道路に行くと、露天商や物乞いが道ばたにいたり、古く粗末な建物が建ち並ぶなど、様子が一変する。


 首都でも良くある光景とはいえ、ケイトはそれを目の前にして、心が痛むのを感じていた。


「……残念なことですが、我々には受け止める以上は、大した事は出来ません」


 ささやくように言われた言葉に、ケイトは少し唇をみながら頷いた。


 そんな2人の前に、


「おいそこのメイドのねーちゃん。ちょっと面貸せよ」

「はい?」


 チンピラにしか見えない、人相の悪い3人組が立ち塞がった。


 いつも通り穏便に済ませるのか、と目線で問うイライザにケイトは、そう、と頷いた。


「お引き取り、くださいませんか?」


 いかにも社交辞令的な笑みで返すイライザは、冷え切った目をしていた。


「ほう? 良い度胸じゃねえか」


 イライザの身体をなめ回す様に見つつ、話しかけてきた男はケイトを交渉材料にしよう、と彼女に手を伸ばした。


「プゲッ」


 その瞬間、イライザはノーモーションでジャブを繰り出し、容赦なく男の鼻っ柱に一撃食らわせた。


「なっ!? てめ――いででででッ!」


 鼻血をタラタラ流しながら倒れた仲間を見て、右後ろにいたチンピラが今度はイライザに掴みかかろうとして、彼女にその手首を掴まれて骨をきしまされた。


 ゴロッと引っくり返ったチンピラその2は、赤くなった手首を押えてうめく。


「こんのぉ――」


 チンピラその3が、懐の粗悪な拳銃サタデーナイトスペシヤルを抜こうとした瞬間、イライザは目にもとまらぬ速さで踏み込み、アタッシュケースのアッパーでその3の顎をかち割る寸前で止めた。


「はひ……」


 イライザから放たれた殺気に死を感じ、その3は腰を抜かして漏らした。


「お、覚えてろ!」


 ベタベタの捨て台詞ぜりふを吐きながら、チンピラ達は全力疾走で逃げていった。

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