駆け込み乗車
「もう大丈夫ですよ。お嬢様」
「え、ええ……」
目をつぶっていたケイトは、1つ息を吐いて目を開けた。
その直後、周囲の人々からイライザへ、敬意がこもった拍手や他のチンピラ達から恐れの視線を注がれた。
拍手に答える事無く、2人はそそくさとその場を去った。
「ちょっと休憩したいわ」
「承知しました」
そこそこ歩いた上に、駆け足をしたこともあって、疲れを訴えたケイトをイライザは細い路地へとつれていく。
「やっぱり、直接見ないと空気は分からないわね……」
横倒しにしたアタッシュケースに腰掛け、顎に手を当てて考え事をしつつ独りごちる。
「お茶、飲まれますか?」
「ええ。いただくわ」
タイミングを見計らって訊いたイライザは、主人の答えに従って、アタッシュケースに入っていたコップつき水筒にお茶を注いで渡した。
ケイトはお茶を念入りに覚ましてから、口の先で確かめつつ慎重に
「これ、イライザが入れたの?」
「はいっ。……あ、お味がよろしくありませんか?」
「違うわよ。私が飲んでるところ、いつもそんなじっと見ないでしょ」
ちゃんと美味しいわよ、とケイトは小さく笑って、気が気でない様子で見ていたイライザは褒めた。
「ふふ、それは良かったです」
ややあって。
「そろそろ行くわよ」
「承知いたしました」
ケイトに褒められた事に、イライザはいつもの100倍嬉しげに言いつつ、水筒をケースにしまって
路地を出て東に2ブロック移動し、個人経営の工房が建ち並ぶ通りを横断したところで、
「この辺りね。あなたの実家は」
塗り替えられた橋をイライザが懐かしそうに見ているのを見て、ケイトがそう言うと彼女は、はい、と答えて少し笑みを浮かべる。
その橋が架かる通りは中央が川になっていて、石積みの護岸で水路になっていて、ならんでいる家は粗末な掘っ立て小屋で、そこは明らかにスラム街だった。
橋の上につくと、イライザは遠い目をしてゴミだらけの水路や道をしばらく眺めていた。
30分程、どこかを見て
「では、そろそろ帰ってもよろしいでしょうか?」
後ろ髪を引かれる様子もなく、そう問われた傍らの主人は、あなたが良いなら、と言って従者と共に帰路へついた。
「でも本当に、あれだけで良かったの? もっとじっくり見て回るとか、ご実家に挨拶に向かうとかしても良かったのよ」
「はい。お心遣い感謝します。しかし当時の物は、橋以外どうやら残っていない様ですので」
イライザは、ほんのすこしだけ表情と雰囲気に、寂しそうなものを混じらせた笑みを浮かべた。
「あ。もしかしてご家族の方達は……?」
辛いことを思い出させてしまったか、と思った彼女は、神妙な面持ちでそう訊いたが、イライザは、いえいえ、とにこやかにケイトの懸念を否定した後、
「私が傭兵となってすぐ、家族は北海岸州傭兵組合の団地に移住しておりますので」
ですのでご心配なく、と続けた。
その団地は、州都外縁部のさらに外にあり、一切大火の被害は受けていない。
「なら良かったわ」
杞憂だった事がわかり、ケイトは安心した様子でため息を吐いた。
「お嬢様は、本当にお優しい方なのですね」
「当たり前でしょう、このくらい」
「ふふふ。はい」
照れ隠しにそう言うのを聞いて、イライザは誇らしそうにそんな主人を見つつ、笑みを浮かべてそう言った。
来たときとは別のルートで駅へと向かう2人は、貧困層と中流層の居住地の境目にある広場でもう一度休憩をとる。
「ねえイライザ。他に行きたい所ってない?」
「そうですね……」
イライザは辺りを見回し、西側の低層ビルの上に目を留めたが、
「――いえ。ありません」
フッと小さくため息を吐いてふんわりと笑った。
「そ。なら、疲れちゃったからタクシーで戻るわ」
「はい。承知いたしました」
気を遣って、と言う様子でもないのを見ると、そう言ってイライザを従え、広場の北西方向にあるタクシー乗り場へ向かう。
そこは古ぼけたビルの前で、歩道を一部削って設けられている。
ちょうど1台、東地区タクシー協会公認マーク付きの、やや古いタイプの黒いセダンのものが
助手席をノックすると、運転席にいる若い運転手はくるり、と振り返って小さく一礼した。
「どうぞ」
降りてきて後部座席のドアを開けた彼女は、安物の派手な色のパーカーを着ていた。
ケイトが先に乗って奥に詰めた所に、その運転手が乗り込んでドアを閉め、運転席側のボンネットの陰に隠れていた、もう1人の女性が運転席に乗り込んだ。
すぐさまアクセルをべた踏みして、キュラキュラ、と音を立ててその場から逃げた。
「悪く思うなよお嬢ちゃん!」
「こうしねえと生きていけねえんだ!」
誘拐犯2人はじっとりと脂汗を掻きながら、虚勢を張りながら言う。
その直後、
「では、南駅までお願い致します」
後部座席のドアが開いて、アタッシュケースを小脇に抱えたイライザが、スッと乗り込んできた。
彼女は急発進したタクシーに、常識外れの脚力で平然と追いついていた。
「あっ、はい」
「かしこまりました」
「……ええええっ!?」
つい普通の反応をしてしまったが、人間業ではない事に理解が追いついて、後ろの彼女は目を剥き、運転手の彼女はちょっと運転がふらついた。
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