メイド・イン・ソルジャー

「あッ、ぐ……ッ」


 身体がくの字に曲がったイライザは、3メートル程吹っ飛ばされ、食堂の中心と出入り口の両開き扉との中間地点で、横向きにぐったりと倒れ込んだ。


 流石のイライザも表情を歪めて、ビクッビクッ、と震えながら浅く速い息を繰り返す。


「おいおい! やっぱり弱くなってんじゃねえか!」

「ウ――ッ」


 それでも素早く体勢を立て直そうとするが、イライザは四つん這いの腹を蹴り上げられ、メイガンの腰の高さまで浮き上がって、どしゃり、とうつ伏せに倒れる。


「……ッ」


 胃の中の物をはき出し、咳き込むイライザは、手を突いて立ち上がろうとするが、力が抜けて崩れ落ち、自分の吐瀉としゃ物で顔を汚した。


「これで仕舞いか? 話しになんねえぞゴラァ!」


 イライザのつややかな黒髪を乱暴につかんで、メイガンはぶら下げる様に無理やり立たせる。


「く……」


 ダメージの蓄積のせいで、イライザはその手を振り払うことも出来ず、


「何がメイドだオラァ!」

「うッ」


 ノーガードの右下腹部に強烈なボディーブローを喰らう。


「首輪つけられちまいやがってよぉ!」

「がッ」

「クソよりダセえ犬じゃねえか!」

「かはッ……」

「オラァ! 噛みつくぐらいしやがれ!」

「うぁ……」

「おい立て!」

「ぁ……」


 追加で何発か喰らったイライザは、手を離されると力なく崩れ落ち、膝を立てた状態で仰向あおむけに倒れ込んだ。


「チッ! 気絶しやがったか」


 ぐったりと浅い息をするばかりで、脇腹を蹴ってもイライザは反応しない。


「まあいい。起きたときにどんな顔をするか楽しみが出来た」


 先程よりさらに口の両端をつり上げて独りごちるメイガンは、腰のポーチから出した、金属製の注射器で薬物を彼女の太股に注入しようとする。


 ……いやまて、コイツなら目が覚めるまでに利かねえ、って事もあるな……。


 その前に、念には念を、と、メイガンは、何か彼女を拘束出来る物はないか、と立ち上がって辺りを見回した。


 こいつらのベルトでいいか。5本もあれば流石にエレインでも動けねえだろ。


 手下の死体を見て、そう思いついたメイガンがイライザに視線を戻すと、


「な――」


 脚の力のみで立ち上がっていた彼女に、メイガンは手にしていた注射器を蹴り上げられた。


 それは天井で、突き刺さる、というよりも、めり込んだ、という方が正しい状態になっていた。


 パラパラ、と石膏せっこうの粉が落ちるのを目で追い、自分の手を見たメイガンは、自身のそれがグチャグチャな形になっているのを目の当たりにした。


 そのごく僅かな間に、喉笛を食いちぎらんばかりの動きで、イライザは半歩踏み込んでメイガンの胸ぐらを掴み、無造作な動きで後ろにぶん投げた。


「ぐぁ――、ガアアアアッ!」


 メイガンは全身の骨と筋肉が破壊される音と共に、鴨居かもいにぶち当たって大きくのけぞった後、力なく腹から床に落下した。


「畜生が……」


 すぐさま悪態をつきながら起き上がろうとするが、1撃のダメージが甚大すぎて、仰向けになる以上は全く動けなかった。


「演技して、やがったな……」


 黒い血の塊を吐き出したメイガンは、怒髪天を突く勢いで憤怒ふんぬしながらイライザをにらむ。


「はい」


 あれほどぐったりしていたにもかかわらず、短く返事をしたイライザは、平然とした様子で顔に付いた吐瀉としゃ物をハンカチで拭きとる。


「畜生……。コケに、しやがって……」

「いいえ。万が一にでも、お嬢様がお気に召していらっしゃる、シャンデリアと絵画を傷付ける訳にはいきませんので」


 ちょうどテーブルの左横にある油絵と、シャンデリアを順に見てイライザはそう答えた。


「手ぇ……、抜かれねえと……、相手にすらならねえのか……」

「あの日から、私も精進いたしましたので」


 それでは失礼、と言ってメイガンに一礼すると、50口径を回収してからその横を通る。


「クソ……、エレイン……、殺しやがれ……」


 歯を砕ける程にみしめると、悔しさを前面ににじませてメイガンはイライザへ言う。


「殺しはいたしません。お嬢様に火の粉が飛ばぬよう、あなたは利用させて頂きます」


 そして、私はイライザと申します、とだけ言い残し廊下へと出て行った。


「殺せぇー! 殺せぇ……っ」

「こちらイライザ。侵入者の制圧完了」


 怨嗟えんさの声を背に受けつつ、もう相手にする価値もない、とばかりに一切振り返らずに、イライザは親愛なる主人の下へと向かっていった。




 2階の私室で、吐瀉物や血で汚れた服を交換したイライザは、


「お嬢様。ただいま戻りました」


 物品倉庫に戻ってくると、戦っているときのクールな表情から、いつもの様に人懐こい笑みに戻り、ケイトへそう言って恭しく一礼した。


 スツールの上で膝を抱えていたケイトは、顔をハッと上げた。

 半泣きのその表情は、緊張から解放された事と、イライザの無事を確認した安堵あんどに満ちていた。


「おやおや」


 全速力で駆け寄ってきたケイトは、無言でイライザのその大きな身体に抱きついた。


 ぎゅう、と力一杯しがみつく様にしている、親愛なるご主人を愛おしげに見つめるイライザは、その背中にそっと手を回した。



                    *



 屋敷の襲撃事件から数週間後。


「イライザ!」


 屋敷の裏庭に多数干された洗濯物を前に、ケイトは半ギレで後ろにいるイライザを呼びつけた。


 今年一番の暑さということもあって、彼女はクリーム色のふわりとしたワンピースに、つば広の白い麦わら帽子を被っていた。


「はいはい。なんでしょう」

「なんでしょう、じゃないわよ! これを見なさい!」

「タオルでございますねー」

「そこじゃないわよ!」


 ケイトは眉間にしわを寄せて、相変わらず昼行灯あんどんなイライザへ強めにそう言い、一番高い位置に干されたタオルを指差した。


 そこには、色移りして変な色のシミが付いた、白いタオルがぶら下がっていた


「あわわわ……」


 シミを発見したケイトに、どうしたのか、と聞かれ、イライザが自主的に洗濯をやっていた、ということを伝えたセシリアは、自分が叱られてないのにあたふたしていた。


 ちなみにセシリアは、掃除と洗濯がピカイチに得意なため、屋敷の掃除洗濯の主任を任されている。


「だからね、出来ない事やらないで、って言ってるでしょ」

「面目次第もございません。いやあ、洗濯とは難しいものですなぁ。ははは」

「なにが、ははは、よ。あなたが自分から難しくしてるんじゃないの?」

「おー、なるほど。その解釈は頭にございませんでした」

「ああそう……。今度からせめてセシリアに訊きながらやりなさい」

「はいー。以後気を付けますねー」

「あなたのそれは当てにならないわねぇ」

「ありゃあー」


 いつもの様にすっとぼけた無駄に楽しげな物言いに、呆れた様子の半笑いを浮かべながら、しょうが無いわねぇ、とケイトは1つ息を吐いた。


「この話はもう良いわ。ところでどうなのよ、今回は上手く行ったの?」

「というと?」

「クッキーよ。ケーシーが焼いてたって教えてくれたわ」

「ああ! それならご安心ください! 先日よりも上手く焼けておりますよ!」


 主人の問いに、イライザは自信満々な様子でそう言って、大仰に一礼した。


「そういうことなら、お茶の用意しないといけないわね」

「では私――」

「セシリア。アイリスにお願いして」

「へっ、あっ、はいっ!」

「あれま」


 ポン、と胸元に拳を当てて、張り切って引き受けようとしたイライザだが、先に指示を出されてしまいガクッとする。


「ど、どちらへお運びすれば?」

「中庭は暑いから、応接間でお願いするわ」

「あっ、はいっ!」


 無線で連絡しているセシリアへそう指示を出すと、ケイトはイライザに目配せし、彼女を従えて使用人が忙しく出入りする、浴室前の掃き出し窓へと歩みを進める。


「どれだけ美味しいか楽しみね」

「ふふ。ご期待くださいませ」


 ケイトが最近見せるようになった、楽しげな表情を見て、尻尾があれは高速で左右に振られていたであろう笑みをイライザは浮かべた。


 初夏の爽やかで柔らかい風が、ふわり、と小さな主人と大きなメイドの背中を撫でていった。

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