ファースト・コンタクト

 朝食後。


「お嬢様、本日のご予定はありませんでしたよね?」

「あなたがそれ把握はあくしてなくてどうするのよ」

「いやですね、お嬢様。念には念を入れたのですよー」

「じゃあメモしておきなさい」

「ああ、その手がありましたねぇ」


 ケイトの口元をぎこちなく拭うイライザは、若干雑な対応をされても、楽しそうな笑顔のままでゆるくそう言った。


 そんなおつきのメイドの様子に、頭のネジが緩んでバカになっているんじゃないか、とケイトは疑っていた。


 もちろん、口には出さなかったが。


 そうこうしている内に、イザベラ達が食器を片づけ終えていて、残っているのは2人とアイリスだけになっていた。


「おや、どちらへ?」

「書庫よ」

「お勉強ですか」

「そんなところ」

「お供しますよー」

「待ってて良いわよ」

「お嬢様ったら素直じゃないですねぇ」

「その自己評価の高さはどこから湧いてくるのよ……」

「おめに――」

「褒めてないから」

「ありゃ」


 もう1杯お茶を飲んでから立ち上がったケイトは、楽しげにてこてこと付いてくるイライザの方を見ずに歩き出す。


 水回りとは逆の短辺側にある扉が書庫で、蔵書は経済学の書物がほとんどを占めている。


 北側にあるそこへ向かう道中、中庭を囲う回廊型の廊下を歩くケイトとすれ違うのは、メイド6人と執事、シェフ各4人の計14人いる使用人達ばかりだった。


 彼女の家族は、街の中心部に近い本宅に住んでいて、彼女の住んでいるのは別宅だった。

 そこは辺りの住宅の中では敷地は一番狭く、建物はこぢんまりとしていて、外連味けれんみもあまりない。


 とはいえ、庭でトランペットを吹いても、隣家のそこで昼寝出来るぐらいには広く、屋敷もメイド5人がかりでないと、掃除が行き届かない程の面積はある。


 ケイト1人には広すぎる屋敷の廊下を行く、ややムスッとした表情の主人とは違い、彼女の後ろを付いて歩くイライザは、無闇むやみに楽しそうな様子でいる。


「……」

「どうされましたか?」


 背後からそんな目線を感じてケイトが振り返ると、イライザは小首を傾げてそう訊く。


「何がそんなに楽しいの、って思っただけよ」

「お嬢様と共にあること、ですね」

「どっかの名君の妻みたいなこと言うわね」

「おお、言い得て妙、でございますな。流石さすがはお嬢様」

「あなた、もしかして内心、私のことけなしてない?」

「いえー、滅相もございません」


 怪訝けげんそうな目で見るケイトだが、イライザからは超高純度の尊敬の念以外を感じなかった。


「前から思っていたけれど、あなたマゾヒストなの?」

「? マゾヒストとは?」

「……わからないなら良いわよ」

「左様でございますか」


 あんまりにもふわっと言葉のとげを包み込まれて、すっかりばつが悪くなったケイトは、それ以上は何も言わず足の運びを速くした。


 ややあって。


 書庫に到着し、書庫を担当する壮年の執事・ロバートへ、目当ての本のタイトルが書かれたメモを渡したケイトは、窓を背にして部屋の中央に置かれた書斎机についた。


「それは私が」

「このくらい自分でやるわよ」

「承知いたしました。では、私は何を致せばよろしいでしょうか」

「何もしないで良いから、じっとしてて」

「はいっ!」


 イライザのお節介を断り、書き写すための紙とインクを準備したところで、ロバートが指定された本を5冊ほど卓上の隅に積んだ。


「……、あなた、初めて私の言うこと聞いたわね?」

「ははっ、ご冗談を」


 イヤミで言ったのだが、イライザはおどけた様子で肩をすくめ、当然のごとくそれをスルーした。


「そう思うなら、今までの自分の言動を振り返りなさい」

「はいっ! 不肖イライザ、全力で振り返らせていただきます!」


 声高に宣言したイライザは、ケイトの傍らで腕を組んで、真剣な顔で命令通りに振り返りを始めた。


 そんな道化フールじみた挙動のイライザに、ケイトはもう怒る気にもならず、


「はあ……」


 代わりにため息を1つ。


 なんでお父様は、こんなダメなメイドを私へ……。


 スラリと背の高い身体ごと首をかしげる変なメイドを横目に、一番上に積まれた本を手に取りつつ、主人はそんな事を思って顔を曇らせていた。




 現在から1年ほど前のこと。


 よく晴れたある日、ケイトは都市部の外縁部にある本宅へ久しぶりに父親から呼び出された。


 もしかしたら本宅暮らしに戻れるのか、と彼女は多少なりとも期待していた。


「これ以上メイドを増やして、どうしようというのですかお父様!」

「まあまあ。そうツンケンしなくてもいいじゃないか」


 だが、実際は新しくメイドを入れる、という話だったため、テーブルの向こうにいる父親へ、つかみかからんばかりの勢いで憤慨する。


「私は帰ります! もうメイドは要りませんので! 行くわよチェルシー」

「はっ」


 苦笑い交じりにそう言って、なだめようとする父親をキッと睨み付け、ケイトは後ろにいた同伴のメイドに呼びかけてソファーから立ち上がる。


「まあ待ちなさい。せめて顔を見てから決めても遅くはないだろう? 頼むよ」


 すぐさま出ていこうとしたが、そう言われると袖にする訳にはいかないので、一応父親の言う通りにすることにした。


 1つ安堵あんどの息を吐いた父親は、


「入りなさい」


 少し声を張って、ダークブラウンの重厚な扉の向こうにいる、そのメイド――イライザを呼ぶ。


「はい」


 そう返事をした彼女は、ゆっくりと扉を開けて部屋に入ってきた。


「失礼いたします」


 シンプルなメイド服に身を包むイライザは、七分丈のスカートを持ち上げ、ケイトに向かって一礼する。

 スカート上からでも分かるほどに長い、引き締まった脚が膝下程度まで露わになる。


 澄み切った冬の朝の様な、凜とした雰囲気をまとっていた彼女だったが、


「イライザ、と申します」


 ケイトを正面から見た途端、そのクールさが霧散して、尻尾を振る子犬の様な人懐こい笑みを浮かべて自己紹介した。


「ケイトお嬢様。これ以後、よろしくお願い申し上げますね」


 再び恭しく一礼するイライザの表情は、現在のそれと同じ、無闇やたらと楽しそうなものだった。


「……よろしく」


 そのあまりの変貌ぶりに、先程までの断固拒否の態度をすっかり忘れて、ケイトはキョトンとしていた。

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