第11話 (1)
ミーサッハ出産の報がもたらされたときには、ビルトランは自分の邸宅を出ようとしていた。イグニシアスの容態が安定したため、部下に任せていた侵入賊の尋問に立ち会うためだ。部下からある程度の報告は受けているが、賊の首謀者が口を割る様子は見せず、長期戦とするか早期決着のためにもっと締めあげるかを見極めねばならない。
イグニシアスと話すべきことがあるが、それは状況が落ち着いたときにと、軽く溜息を吐いてから、ビルトランは賊の留置されている場所へと向かった。すでにその表情は国家兵団長の厳ついものに切り替わっていた。
時刻は夜半をとうに超え、もう明け方に近い時刻だが、フォルッツェリオ国家兵団の留置施設は煌々と周囲に灯りを焚き、不審者の接近を許さない。
堅牢な石造りの建物は、たとえ魔法に心得のあるものが不法に侵入しても、分厚い石壁や頑丈な金属格子が魔法の行使を阻み、生身の人間が物理でそれらを破壊することも困難だ。
ビルトラン宅侵入の首謀者の男は、兵団留置施設の特殊な一室に入れられていた。
ビルトランはその部屋の手前に設けられている控えの間に入り、そこにいると分かっていた人物の顔を見た。
「ようやくお出ましですか。傭兵の鑑と称されるビルトランともあろう男が、行動が遅いのでは?」
冷静沈着かつ慇懃無礼、およそどんな人物を相手取ったとしても態度が変わることのない男が脚を組んで椅子に座っていた。中肉中背、年齢は読みにくく、二十代とも三十代とも見える。明るい茶色の髪は柔らかさを保ったまま整えられ、同じ色合いの茶の瞳は感情を出すことなくビルトランを見つめていた。一見優しげな風貌だが、抜け目のなさそうな雰囲気と相反する飄々とした佇まいがこの男を異質に見せている。
「おまえこそ、本来ならば捕物に参加すべきものを、不在のために若き術者を代わりに酷使することになったぞ」
ビルトランの硬く低い声に男はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「“西方”が不穏なようなので、国境付近を警戒してるんですよ。情報の遅れは困るので、確認しにちょっと西へ行ってたんです。私がいなくとも“代わり”が十分力を尽くしたようですし、問題なしですよ。術者封じには間に合いましたしね」
男はユッカンティシアナンという長ったらしい名を持ち、フォルッツェリオにおいては国家兵団参謀長という重責を担っている。フォルッツェリオ建国の立役者の一人であり、国王レイグラントの腹心の側近でもある。
ユッカンティシアナンがこの留置施設にいる理由は、役職のためだけではなく、世界を見渡しても高い実力を誇る術者だからだ。
魔法士や術者が犯罪者の場合、魔法への対策を講じなければ逃亡されてしまう恐れがある。とくにさまざまな術を会得している術者相手ならば、魔法や術の発動自体を封じなければならない。唯人や魔法士では太刀打ちできるものではない。
術者の力を抑えられるのは、同じく術者でしかない。それも、相手よりも上回る力の持ち主だけ。
「なにか吐いたか?」
表情を変えずビルトランが尋ねると、ユッカンティシアナンは飄々とした口調で答えた。
「詰問では無言を貫きましたよ。序盤に指を一本折ってみたけれど、耐えましたね。催眠誘導術も試してみたいところではありますが、あの術者では耐性がある可能性が高い。術を構築する修行の際には高度な精神力が必要になるので、被験者となったときにはある程度精神力で抵抗できるものなのでね」
「拷問には耐えるか」
「そうでしょうねえ。ある種の薬を使うべきかもしれません。あれは、並の犯罪者ではない。いわば、狂信者のようなものですよ」
立ったままのビルトランに、脚を組んで座ったままのユッカンティシアナン。淡々と会話するこの二人は、人の命や尊厳などを問答する次元などをとうに超えてきている。多くの命を奪い、多くの命を救ってもきた。
「狂信者?」
ビルトランが眉を寄せた。
「黙秘が続いたんで、いったん引き上げようと私が部屋を出る際に、あの男はこう言ったんです」
ユッカンティシアナンはわざわざゆっくりと笑みを浮かべてみせた。
「神よ、ふさわしき者に、ふさわしき力を」
ビルトランはすぐには口を開かなかった。脳裏にあらゆる宗教を思い起こす。
「あの者の住処には宗教的なものはなかったが」
「自然精霊の推奨者ではあったんでしょ? 精霊を重んじ、精霊王たちを神と崇める信仰も世界にはありますからね。そうなると、やはりシリューズの件も、無関係とは思えなくなる」
ビルトランの眼光が鋭さを増す。
「シリューズの殺害が、水の精霊王持ちだと知ってのものだったと? それを知っているのはごくわずかのあいつの親しい者だけだ」
ユッカンティシアナンは無表情に戻り、小さく息をついてみせる。
「世の中には、人知を超えることなどザラにあるものです。精霊と人の関わりしかり。精霊王たちの存在、闇の眷者、光の御方。“人の叡智の限度“の認識。自然界と人の共存には、一定の理がある。それを神の力というのかもしれません。シリューズの件よりも不可解なのは、ミーサッハ拉致を試みたことですよ。生まれてくる子に水の精霊王が守護につくなど、それこそ予測できるものではない。ああもう、なんということでしょうね、“御神”の思し召しはその信者たちに予言されたものかもしれませんよ」
可笑しそうに笑い始めるユッカンティシアナンの表情は、自身の発言を全くもって信じていない。
「遊ぶな」
「ふふ、嬉しいんですよ。亡きシリューズの形見ともいえる者に、彼のもう一つの形見が側にあることが。知っていますか? 魔法を一切使うことのなかった男の側にいた、心がないはずの精霊の思いを。大切に、大切に、彼が守ってきた水の御方。頑なだけど清々しく尊い精神を持つ男に、その半身は同じだけ思いを向けてきたのです。水の御方のその思いが、報われることなく終わったのだと、哀れに思っていたのですよ。どのような理が動いたのかはわかりません。それこそ、神の差配かもしれない。そう信じたくなるほど、この巡り合わせは、救いだ。こういうことがあるから、神を信仰したくなるものなのかもしれませんね」
「だからこそ」
「ええ、だからこそ」
ユッカンティシアナンは笑みを深くする。
「どんな手を使っても、あの者が真実を告げるようにしてみせますよ」
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