第3話 (3)



「精霊については昨日も言ったが、守護を受けるのは簡単なことじゃない、普通の人間には絶対に見ることができない存在だ」

 デットはエルをナキーヤの泉のほとりに誘い、涼やかな静かなところで話していた。

 砂漠地にこんな憩いの町があるのは、そのナキーヤという名の泉がこの地にあるからだった。

 ナカタカ周辺には、そろそろ乾季がやってくる。砂を含んだ風は乾き、肌を灼く日差しは日毎増していく。ナカタカの町以外であれば、この過酷な季節を乗り越えるべく、水や食料を備蓄する準備を整える。ナカタカでも多くの物資がいつもよりも商隊によって運ばれ、町は賑やかしさを増す。

 乾季の間、ナキーヤの泉は小さくはなるが、干上がることはない。普通の人間には不思議に思われていることだが、魔法を操れる者なら、泉の水面に戯れるいくつかの水精の姿を目撃することができるだろう。人間の守護についていない自由な精霊は、自然界のそこかしこに存在するものだ。

 ナキーヤという名は、太古の伝説に、この地域の部族の娘があまりの水不足に自ら人身御供になり、神がその娘を憐み、娘の亡骸のあとにこの泉を作ったとされ、その娘の名を冠したといわれている。いまでは精霊のおかげで泉は枯れずにいると認識されているが、過去には本当にそのようなことがあったかもしれない。精霊は自ら人間とは関わりを持つことはないが、人間を守護することがある。だからこそ人は魔法というものを使うことができる。

 精霊に個体差はない。人の目には光であったり、自然界の小さな生き物の姿に似せて人間の前に現れる。

「あそこに水精がいる。わかるか?」

 デットは自分の目に見えている、泉の上に浮かぶ水精を指差し、エルに訊いた。エルは首を振った。

「精霊は契約をすることによって目にすることができるようになる」

 泉のほとり、点在する木の幹に寄りかかったデットの授業は進む。昼の日差しが強いが、木の陰はそれなりに涼しく、泉のそばは空気も気持ちがよい。エルもいままで以上にすっきりとした表情をしていた。

「精霊と契約するには、術者の力を借りなければならない。守護を欲する人間に適性があれば精霊は近づいてきてくれる。魅力を感じる女に男が近づくようにな。その魅力を最大限に引き出してくれるのが術者だ。ここにいるおまえの存在を広範囲の精霊たちに力を使って伝えてくれる。人と人に相性があるように、精霊と人間にも相性がり、一番惹かれ合った精霊と契約をすることができる。契約時にどの種類の精霊が来てくれるかはわからないが、最初の精霊とは一番相性がいい。一度の契約に、ひと精霊。次に契約をするならまた別種の精霊となる。資質があれば五精霊すべてと契約することもできるが、五回、術者に力を貸してもらう必要があるわけだ」

 エルは興味深げに聴いている。

「ただし、精霊と契約しただけでは魔法は使えない。例えば、水精と契約できたとする。なにもない空間に水を出現させることを魔法というわけだが、精霊の力を感じ取り、自分の力と意思を結びつけ、精霊に語りかけて初めて水を生み出すことができる。精霊の力の引き出し方、自分の力との合わせ方、魔法としての発動の力量、その制御力、それらすべてを修行によって向上させれば高度な魔法を操ることができるようになる。ここまでが魔法士の領域だ」

 エルは大きくうなずいた。

「戦士のほうはいたって単純だ。武器を持って戦えば、それで戦士だ。あとは生き残るすべを身につければいい。そして精霊と契約し、魔法を覚えれば、カドルの誕生だ。精霊に個体差はない。魔法の力量の差は、修行の成果と人間の潜在能力の差だ。魔法力を効率よく身につけるには、最初の相性がいい精霊の魔法を重点的にやったほうが伸びがいい。大抵のカドルは一種類の精霊しか持たず、その能力を極めることで名を上げる。こうやって一気に語れば短くて済むが、これからおまえは大変な努力を払わなきゃカドルになれないことがわかったか?」

 エルは真っ直ぐにデットを見つめる。

「おれは、カドルになる」

 その瞳は固く強い意志を秘めていた。

「そして、兄さんの仇を討つ」

 目の前の道を進む決意をした者の眼だ。

「兄さんに、剣を教えてもらうはずだった。いつか、一緒に戦うことができたら、兄さんを支えることができたらいいって思ってた。“炎獄”の話を、兄さんはよくしてくれた。会ったことはないけど、戦士なら誰でも手合わせしてみたいものなんだって。そのためにあえて魔法を身につけず、剣の腕だけを磨いてるって言ってた。もし実現したとしても、たぶん敵わないだろうけどって、笑って……」

 言いながら、エルは微かに笑った。

 本人に笑った自覚はないかもしれない。それでもデットはよい兆候だと思った。どんな過酷な状況下にあろうと、ほのかな喜びや希望、嬉しかった記憶があれば、人は生きていける。

「魔法を身につけるには、まず優れた術者に依頼をしないといけない。より広範囲に力を発揮することができる術者に。心あたりがないか“穴熊”の店主にでも訊いてみるかな。魔法についてはそれからだ。それより」

 デットはエルの体つきを見て、しみじみと言った。

「戦士となるなら、体をまず鍛えないとなあ。そんなひょろひょろじゃあ長剣を持つことすらできないぞ?」

 エルは自分の体を少ししかめた顔で見下ろした。縦には育っているが、肉付きの薄い、まだ少年らしい体つきだ。ほとんど毎日家から“穴熊”までの距離を走るように通っていると言うので、とりあえず足だけは鍛えられているようだが。

 エルはどうしたらいいのか問いかけるような眼でデットを見た。

「これを、おまえにやろう」

 デットは自分の腰帯に差し込んでいた短剣をエルに差し出した。

 デットがエルを助けたときに相手に突きつけた短剣だった。とくに凝った意匠もないが、ただ一点、柄に嵌め込まれた紅玉が美しい。

 エルは、両手でそれを受け取った。デットが軽く片手で差し出したので気軽に受け取ったのか、受けたエルの両手は沈んだ。想像よりも遥かに重かったのだろう。実際、鍛え上げたこの短剣は、身がぎっしりと詰まっていて、硬く重みがある。

 エルは短剣を見つめたまま手に力を入れ、沈んだ位置から上げ、鞘と柄をそれぞれ持ち、ゆっくりと剣を鞘から抜いていく。

 人の顔をも映しだすほど磨き上げられた刃。

 鞘から剣を半ばほどまで抜き出したが、そこで止め、またゆっくりと鞘に収めた。

 エルはデットを見上げた。

 人よりもさらに丈のある長身と、それなりに見える鍛えられた肉体、赤銅色の無造作な髪、そして薄い琥珀の瞳の男がエルの眼に見えているだろう。

 甘さを一切含まないデットの眼をエルは受け止めている。

「小さいが、人の命を奪うものだ。おまえはこれを受け取れるか?」

 静かなデットの声に、エルはゆっくりと、ためらうことなくうなずいた。

「それじゃ、これはいまからおまえのものだ。いまのおまえじゃ長剣はまだ早い。まずは、自分の身を守ることから覚えるんだな」

 自分を守ることが、他の誰かを守ること。

 それが“戦士”なのだと、この少年は知ることができるだろうか。


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