第3話 (2)
時間をかけて気を落ち着け、顔を上げたエルの瞳は、なんらかの意志を感じさせるものだった。金に近い薄茶の睫毛はまだ濡れていたが、もう涙は出尽くしたようだ。
店主の好意の葡萄果汁を少しずつ飲んでいたエルは、真摯な瞳でデットに問いかけた。
「あなたは、カドルなの?」
できるだけ自分の素性を隠しているつもりのデットは少年の率直さに苦笑する。
「まあ、昔のことだな。いまは魔法士で食ってる」
「なぜ?」
さっきと立場が入れ替わったなと思いつつ、デットは答えてやった。
「答えにくい質問だな。んー、簡単に言うなら、戦場に興味がなくなった、というところかな」
エルは首を傾げた。
「興味で戦場に行っていたの?」
「そう言われると語弊があるな。あー、語弊でわかるか? わからないか」
「わかります」
エルの教育習得程度がわからず、デットが言葉の使い方に悩んでいると、エルはあっさりと答えてきた。確かにエルの眼には知性の色がある。もしかしたらこいつは俺よりも頭がいいかもしれんとデットは妙に納得する。
ともかく自分の答えの続きを探す。
「うーん、なんだろうな」
デットはいままであえて目を向けていなかった自分の気持ちを適切な言葉に変える作業をこころみる。
「戦士ってのは」
思ったよりも真面目な声が出たなと思いながら続ける。
「自分の力を誇示したがるもんだ。戦士として、カドルとして、人間として、な。人を殺す、そういう職業でいるってことは、それしか生きる手段がないか、それによってなんらかの利益を自分が受け取っているからだ。金のことじゃない、気持ちのことだ。人は交戦的な生き物だ。それは各国の歴史が物語る。だが戦士はただ人を殺すことを目的としているわけじゃない。強い者と出会い、戦い、勝利する、その快感を得るためもあるだろう。俺は、若いころは強さを追い求めた。だけど、いまは戦いに勝利しても快感を得ることはない。ならば戦士でいることはない。他に食っていく手段はある。だから、いまは魔法士なのさ」
デットの言葉を自分の中に取り込むように聞き入っていたエルは、少しためらいながらさらに訊いてきた。
「魔法を身につけるには、どうすればいい? カドルになるには、どうしたらいいの?」
エルの瞳にもう迷いはなかった。
「魔法を覚えて戦士になる。あるいは、戦士が魔法を覚える。どちらも同じに聞こえるが、大きく違う。まず戦士は誰にでもなれるものじゃない。人を殺める職業だ。身体的にも精神的にも適性がないと無理だ。普通の魔法士が戦士になるのは難しい。かといって、魔法を身につけることが簡単かというと、それも違う。誰でも精霊の守護を受けられるわけじゃない。ま、一番いいのは、両方の修行を同時にすることだな。おまえも知ってるだろうが、魔法を身につけるには、精霊の守護を受けなければならない」
久々に長話をしているなと思いつつも、デットは丁寧に続ける。
「精霊を呼び出すには、術者の力が必要だ。術者のことはわかるか?」
エルは首を傾げ、申し訳なさそうな顔をする。
「あー、詳しく説明すると話が長くなるから省くが、ともかく、術者の力を借りて精霊を呼び出す。そのとき人間が精霊を選ぶことはできない。精霊のほうが、人間を選ぶんだ。魚釣りみたいなものかな。竿を術者の力だとする。術者が竿を振る。餌は、守護を頼んだ人間の資質だ。水面下が見えない人間には釣る魚を選べない。釣れるまで、どんな魚が餌に食いつくかわからない。長い年月をかけて待ってみても、一匹も釣れないこともある。そんな感じかな」
いったん言葉を切ったデットを見つめるエルの瞳は、まだ知りたがっているようだった。
デットは笑う。
「今日はもう遅い。明日にしないか? 姉が心配するだろう? 昼に宿に来たらなんでも答えてやるぞ。夕食がまだなら奢ってやる。ここの食事はいけるぞ?」
夕食は終えていたようだが、少しためらったあとエルはうなずいた。まだ子供の味覚なのだろう、食べづらそうにしていたものもあったが、興味深げに料理の味を噛みしめる様子は表情は乏しいが、いままでに比べれば格段に感情がうかがえた。エルがどこか嬉しそうに見え、デットはようやく安堵する。
どこまでエルが自分自身を取り戻せるのかはわからないが、この少年が兄が生きていたころのように憂いなく過ごせればいいと思う。
翌朝、デットはミーサッハを訪ねた。昨夜はエルに自分のところに来るように言ったが、思い直したのだ。デットの宿とエルの家は通うには少し遠い。
デットはミーサッハに、陽が出ている間エルを預かることを申し出た。ミーサッハは快く承諾し、エルに言った。
「わたしのことはなんの心配もいらない。しばらく彼にいろいろと教わるがいい。おまえの兄は、まだなにもおまえに教えぬまま逝ってしまったが、それはおまえに、自身の道を選択する機会を与えたかったからだ。戦士になりたいと言ったおまえが、本当にその道を進んでいくのか、誰も読みきれぬ。おまえが歩くその先には違う道が待っているかもしれない、シリューズはそう考えていた。いまおまえが目指す道は、険しく困難に満ちている。その道を進み続けるか、それともまた違う道を行くのか、それを決めるのはおまえ自身だ。そのことを肝に銘じるがいい」
デットは大きくうなずいているエルを見つめ、過酷な試練が待ち受ける道を選ぶ彼に課せられるものが、悪戯に彼を打ちのめすものではないことを願った。
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