第3話 営業マン

 子供が1歳になった。

朝から何が不満なのか大声で泣いている。

妻の綾香が、息子の栄太を抱っこしながらあやしている。

僕は、ワックスで髪の毛を整えてネクタイを絞めて背広を着る。

誰からも見送られる事なく、玄関に置かれているゴミ袋を持って出社する。

会社に着くと、朝礼で部長が先週の営業成績を発表し、成績の悪い者には遠回しに嫌味を言う。

僕は、入社してからこの朝礼でいつも名前を挙げられる。

それは、嫌味を言われる方で。

本来の僕の性格なら部長を殴ってクビになっても構わないという性分だが、今はそういう訳にもいかない。

何故なら家には家族がいるから。

中学生の頃は親友達と、将来の夢について色々と語ったものだ。

当時の僕は、サッカーをしていて高校も全国大会に出場するような名門から推薦をもらいその高校に進学した。

だから、僕はサッカー関係の仕事に就く事が夢だったが、大学に進学をして就職活動の時期になると、普通に就職をして、普通に結婚をして普通の人生を送る事が目標となった。

そう考えると、僕の夢は叶ったのかもしれないが、毎日決まった時間に出社をして決められた時間だけ働き、決まった時間に帰宅をして変わり映えの無い毎日の出来事を妻に話し、まだ、喋れない子供と適当に遊ぶ。

これが、僕が思っていた普通なのだろうか。

最近気づいた事がある。

それは、僕もそうだが、世間がよく口にする普通に生きる事が出来れば良い。

この普通というものは、あまりにも漠然とし過ぎている。

結婚をして、普通に子供を産んで普通に歳をとりたいという者も少なくないが、

もしも、生まれてきた子供が五体満足で生まれてくる事が出来なかった時、そいつ達は、きっと思い描いていた普通ではないと言う。

離婚をした時、普通ではないという。

しかし、世の中にはそれを世間と何ら変わりなく普通や普通で無いなどと捉えずに生きている人がいる。

普通なんてものは、人それぞれのものというだけで多数派が正しいと思い込んでいる者が言う言葉だと思う。

マイノリティが、胸を張って生きている事が羨ましいが、自分がそれと同じように生きる勇気が無い者が発する言葉が普通という言葉だと思う。

少なからず、僕はその勇気を持ち合わせていない人間だ。

僕には、暫く連絡を取っていないが、自分の夢を追いお金が無く、ギリギリの生活をしている友人がいるが、彼が羨ましく思う。

マイノリティの中で、後ろ指を指されようとも僅かな光に人生を懸ける事を真底普通だと信じてやまないのだから。

僕は、人生の分岐点でいつも選択肢を間違える。

それも数年してから気付く。

もっと、やりたい事をやれば良かった。

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