第6話 天馬栄智は動かない
私は無言で首肯し、席を立った。依頼人の座る椅子に近付き、話し掛ける。
「あらましは分かりました。天馬はこれから推理に集中するみたいですから、今日のところはこれで」
「あの、現場を見なくてもいいのでしょうか?」
身体をねじって私の方へ振り返り、訴えかける依頼人。必死さが目に現れていた。
「私、皆さんを説得して、探偵さんを連れて来ることに同意は取り付けてあります。だから必要でしたらいつでも言ってください」
「そこまでしてくれているとは、ありがたい。調査がやりやすくなると思います。ただ、判断するのは天馬なので……おーい、天馬。聞こえていたか?」
「ああ、もちろんだとも」
多少面倒臭そうな響きの声ではあったが、天馬は柔和な表情で応じた。
「我々もさすがに今日これから動くという訳には行かないので、明日、寄らせてもらうとしよう。いいかな?」
「はいっ」
元気よく応じると依頼人は、別荘の住所と交通手段を詳細に記述した紙をくれた。訪ねる時間帯についても決めたあと、彼女の方から切り出してきた。
「それから依頼料のことなんですが」
「今はいい」
おっ被せるように即答する天馬。
「え、でも。着手金とか交通費とか……」
「用意できているというのならば受け取ってもいいが、塩崎澪吏さんの血縁者から我々の調査を反対される可能性、なきにしもあらずと踏んでいる」
「そんなことはありませんっ。さっき言ったように私、みんなから了解を得たんです」
「だが、親族全員ではないのでは?」
「確かにそうです。でも事件当時、別荘にいた人達だけで充分じゃあ……」
「まあそう焦る必要はない。依頼料云々も含めて明日、現地に着いてからでかまわないでしょう」
「本当にそれでいいのでしょうか」
「いいよ。無駄足を踏まされるとなったとしても、興味深い事件だ。交通費ぐらいは自腹を切ってかまわない。すまないけれど、僕は早く集中したい」
「は、はい、長居してごめんなさい。よろしくお願いします」
がたごとと音を立てて椅子から立ち上がり、慌て気味にお辞儀すると、依頼人の神田知子は出て行った。ドアのところでもう一度お辞儀する様子が健気だった。
私は窓から外を眺め、制服姿の依頼人が遠ざかるのを確認してから、天馬を振り返った。
「どうして帰したんだい?」
「どうして、とは?」
とぼけた返事をよこして、こちらに背を向ける探偵。私は彼のすぐそばまで行って、机に片手をついた。
「このあと我々に特段の予定は入っていないだろう。だったら、この依頼に対して今日の内にできることはいくらでもあるはず。あの子さえよければこれからすぐにでも現地へ出発できたかもしれない」
「そうだね」
回転するタイプの椅子をゆらゆらさせて、つまらさそうに応じる天馬。こっちは少々腹が立ってきた。
「普段の君は、現在進行形の事件やえん罪の可能性がある程度考えられる事件であれば、依頼に対して即座に行動に移している。なのに、今回動かないのには何か訳があるのか。あるのなら言ってくれ」
「なんだ、何を怒っているのかと思って心配したが、そういうことか」
椅子のゆらゆらを止めて、天馬は両手を合わせる。もみ手をしながらにやりとした。
「まさか君が気付いていないとは思ってなかったから。説明を省いてしまったが、それがよくなかったんだな」
「気付いていない、だって?」
そう反応することが気付いてない証なのだが、どうも反射的に口走ってしまう。癖のようなものだ。
「ぼ、僕が何を気付いていなくて、それが即行動に移さない方針とどうつながるのか、ちゃんと説明してもらおう」
「ちゃんとと言われると、ちょっと困るんだが。パーフェクトな厳密さを有した説明は、この事件の真相を完全に解き明かすことと同等だと思えるからね」
「じゃあ、推測混じりでかまわないから聞かせてくれよ」
「よろしい。が、話す前にお茶を所望する」
私は召使いよろしく、いそいそと簡易キッチンに立ち、新しくお茶を入れた。
「さあ話してもらおうじゃない」
湯飲みで緑茶をごくりとやって一息つく探偵に、私はワトソン役として求めた。
「依頼人の話を聞いていて、君は真相は何だと思った?」
「そういうテストみたいなことはやめてくれないか。恥をかくのは嫌だし、事件簿に嘘を書きたくもない」
メモ用紙を鉛筆の先でちょんちょんつつきながら、先を急がせる。
「神田達彦が犯人ではないとすれば、自ずと絞られてくるだろう。大別すれば、塩崎澪吏の自殺、もしくは執事の立石の仕業と」
「そうなのか」
私は探偵の返事を受け止めながらも、さほど衝撃は受けていなかった。多分、同じことを想定する人は結構な割合でいると思えた。ただし、その二つのどちらかが真相だと言い切る自信は全くなかった。
「これらの仮説について、いかなる推理を経て疑いを強めたのかは後回しだ。君が求めているのは僕が動かない理由なんだからね」
「ああ。頼むよ」
「理由は非常にシンプルだ。どう転んでも、依頼人から恨まれそうだからだよ」
続く
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