第4話 いつもと違う点に着目せよ
そうだった。午後三時半過ぎの遺体発見時まで、女優の自室には誰も近付いていない。
「その点は失念していましたけど、でもたいしたことなのでしょうか」
疑問を呈したのは依頼人。こんな些末な事柄に執着していないで、早く叔父を何とかしてと言わんばかりだ。
「いつも行われていることがいつも通り行われなかった。そしてその日に塩崎さんは亡くなった。関連を疑うのは当然のステップだと僕は思う」
「あの、お言葉になりますけど……叔母さんは体調が悪いと訴えていたんですよ? だったらその段階で立石さんは執事として今日は午後のお茶をお出しする必要があるかどうかを、叔母さんに確かめたんじゃないですか」
「なるほど。理屈は通る」
異議を認めた天馬は、しかし一向に気にする様子がない。
「だったらこういうのはどうかな。立石氏の役割には、塩崎さんから頼まれて買い物をしてくることも含まれているんだろうね」
「もちろんです」
「では事件当日、調味料の買い物を頼まれたのが立石氏ではなく、君の叔父さんだったことには何か理由があったのだろうか?」
「え――あ、そう言われてみればおかしいような」
ぽかんと開けた口に右の手のひらをあてがい、しばらく困惑した様子の依頼人。天馬は続けざまに尋ねた。
「何の説明もなかった? たとえば立石氏は他の用事に掛かり切りだったとか、立石氏に頼んでいたが、たまたまその店のある方角へ達彦氏らが向かうと分かって急遽頼む相手を変更したとか」
「何にも聞いてません」
依頼人は髪をなびかせる勢いでしっかりと首を左右に振った。
「なあ、天馬。こだわりは分かるが突き詰めれば確かめようがないんじゃないか?」
ふと引っ掛かりを覚えたので、私は即座に質問しておくことにした。
「と言うと?」
「誰に何を頼むかなんて、すべては亡くなった塩崎澪吏の気まぐれだったかもしれない。少なくともその可能性を完全には排除できまい?」
「確かにね。そこは議論するまでもなく認めるよ。ただ、僕が気にしているのは『調味料を買ってきてくれるように頼んだ相手が何故執事ではなく夫だったのか』ではないんだな」
「え? でも」
「まあ聞きたまえ。立石氏は優秀な執事なんだよ。そんなできる人が、主たる塩崎澪吏お気に入りの調味料が切れていることに気付かずにいる、ないしは補充を忘れているなんてことがあるだろうか」
「ああっ」
私も依頼人も同じような短い叫びを上げていた。どうしてこんな単純なポイントに気付かなかったんだろう。
「もちろん、どんなに優秀な執事であっても生身の人間なのだから、うっかりすることがないとは言いきれない。だが、うっかりするパーセンテージは相当に低いだろう。そしてその希なうっかりが、仕える主の死亡した日に重なったとなると偶然で済ませてはいけない気がするのだよ」
ましてや、お茶が届けられなかったことに続いて二つ目ともなると、いわずもがなであろう。
「天馬さんの仰る疑問については、よく理解しました。だけど」
言い淀み、かすかに首を傾げる依頼人。ほどなくして思い切ったように口を開く。
「だけど、立石さんが澪吏叔母さんを殺した犯人だなんて、どうしても考えられないです。あり得ないって」
決然とした面を上げ、探偵に訴える。
天馬は肩をすくめた。
「早とちりは感心しないな。僕はまだ何も言っていないはずだが。立石氏が殺人犯だなんて説は一言もね」
「えっ、でも立石さんの行動がおかしいって言ってるのと同じです」
「それは実際に、不可解な行動を取っていると言えるから。事実の指摘をしただけだ。まだ犯人かどうかを決められる段階じゃない」
「なんだ、よかった」
傍から見ても明らかにほっとする依頼人。彼女が叔父さんにだけでなく、執事に対しても一定の好感を持っているのがよく分かった。
「次は大きく想像を膨らませての質問になるんだが、塩崎さんが亡くなった部屋に音楽を掛けられる機械はCDプレーヤーだけだった?」
「いいえ。確か、レコードプレーヤーがありました。とても古めかしくて、特別な機能は付いていない蓄音機みたいな。でも音はいいらしくて、普段はそちらばかり聞いてた……」
答えながらその不自然さに気付いた様子だ。
「いつもと違う行動です。これも何か関係があるんですか」
「今は分からない。想像を膨らませたと前置きしただろう」
「その想像でいいですから、聞かせてください」
「君は推理小説を読んだり、ミステリドラマを観たことはあまりないのかな。探偵、特に名探偵を自負している人間は結論が確定しない間は、まだ材料が足りないとか言って途中までの推理を語らないものだよ――」
「そ、そうかもしれませんが、でも」
「――そういう勿体ぶる連中が常にそのルールを自らに課しているかというと、そうでもない。何故先送りにしたのか理由の分からない、ただ単に格好を付けているだけとしか考えられないものもいっぱいある。ひいては、作者の都合でそう言わされている名探偵すらいる始末だ」
これはいけない。天馬の奴、スイッチが入ったみたいだぞ。
つづく
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