61 降り注ぐ翠、発動した黒

 

 暴雨龍が鎌首をもたげた時、遠くの方できらりとひとつ、何かが煌めいた。それが光の速さで飛来してザーザフルの眉間に直撃すると、刺さりはしないものの大きな打撃的ダメージを負わせ、大きく頭部を仰け反らせた。そして一足遅れてやってきた太いみどり一線が顎にドスンとぶち当たり、さらに野太い首筋を後ろへと押し込んだ。


「ちっ。やっぱ刺さらんかぁ~。あの龍鱗、ホント硬ぇなぁ……。よっし! じゃあ、これはどうだよ暴雨龍さん!」


 そういうと、助は貫通力の高いとがり矢ではなく、やじりを平べったい形状に加工したいわゆる平根矢ひらねやを取り出した。これも火竜素材で造られている。


「さぁ、どうかな。こいつはひと味違うぜ!」


 みなぎる鮮やかな翠の魔力を銀の長弓に載せながら助は言う。つがえた平根矢に魔力が這いずっていき、矢全体がしっかりそれを纏うと、弦が限界まで引き絞られた。狩人の眼がギラリと光り、狙いを定めた。目標までの距離はおよそ50mほどか。助の手がスっと矢から離れると、先程と同じようにそれは光の速さで眼前から消えていった。


 矢そのものの姿はまるで光の粒で、状態の変化を視認することなど出来ない。実際、貫通力が落ちている以外にさして差はない。しかし、尖り矢と違うのは後ろから追ってくる魔力の塊の質である。尖り矢は一本の太い翠の線が追従するが、この平根矢の場合は二本である。刃先の右側と左側から尾を引くそれは、螺旋らせんを描いて矢の後ろを追ってきていた。


 ザーザフルは口を開けたまま前方に睨みをきかせた。突然脳味噌を襲った大きな衝撃に慌てて、何が起きたか解らないといった風である。目前に迫る強敵の他に、実はこの強靭な巨体の動きを止めることができる厄介な敵が遠くにもうひとりいるのだと理解するまでに、彼は強烈過ぎる一撃を余分に喰らうことになってしまったのだった。


 放たれた光の一矢は、ザーザフルの口内にすっと入っていった。火竜製の平根矢がズドンと喉の奥に突き刺さり、さらには薄らと残った火属性が助の魔力を吸って活性化し、傷の周りを僅かに熱で溶かした。その衝撃とあまりの痛みに堪らず天を仰いで、オに濁点をつけたような悲鳴を上げかけようとした時、到着した細長い翠の螺旋がザーザフルの顎の裏に連続して着弾した。その繚乱は鋭い風の刃となり、円を描くようにして喉元の龍鱗に激しく傷を付けながら、巻き込んだ突風をも味方に付けて無理やりに口を閉じさせた。


「おっほほほ! うっひょー! こりゃあ抜群だねぇ。風が違うわ、風が。なんかもう倍量はあるね。爽快だわぁー! おまけになんか知らんけどめちゃ鋭いってこれ最高!」


 満足気に頷く助だ。


「でも風を口にねじ込むのは難しいな。どうしても遅れてくるからなぁ……。あっ、そうだ。佑のあれ……」


 ぶつぶつと独り言を言う助を横目に、佑はじりじりと距離を詰めていく。ザーザフルは激しい痛みにのたうち回っているが、既に間合いの中だ。いつあの牙が飛ぶように自分に食らいついてきてもおかしくない。遂に、黒を用いた魔纏酒を解放する時が来たのだ。


「来たれ、黒龍の闇……!」


 足元からズズ、と固形の黒い塊が溢れ出すと、それは佑の体を一遍に包み込んだ。七色龍湖で出したそれより、一段と濃く、厚く、強い。よりしっとりと肌に馴染んで、全ての闇を従えている感覚が佑にはあった。そして背中からは霧状の暗黒が噴き上がり、周囲をどんどんと黒に染めていく。それは猛烈な強風に煽られることなく真っ直ぐに立ち上り、頭上を制圧していった。そしてザーザフルの魔力によって顕現した黒雲に触れるや否や、なんとそれをもぐもぐと咀嚼そしゃくし、呑み込み始めたのだ。


 遥か上空まで昇っていった黒霞くろがすみには、チラチラといつぞやの赤と白が見え隠れしていた。それはいつの間にか、右から左までびっしりと生え揃っていた。


 佑の魔力をその目で捉えた釜瀬は、目を見開いて驚愕した。


「そ、その黒い魔力は……! ぬぅ……貴様、それをどこで手に入れた……?」


「どこでもいいだろ。敵んなった奴に答えたる義理はねぇな」


 黒という酒が余りにも身体によく染み込んで全能感に酔いしれる佑だが、その頭は意外にも冷静沈着であった。釜瀬の問いに、心底どうでもいいように佑は答える。煽り文句という訳ではなく、いまさらそんな事はどうでもいいと心から思ったのだ。


「その黒龍の魔力、どこで手に入れたッ!!」


 釜瀬は身体に稲妻を纏い、それを全て黒雲に打ち上げた。釜瀬が腕を前に突き出すと、黒雲の中を稲光が走り抜け、佑の黒霞に迫った。


「……なんで黒龍の闇を知っとるんだ。師匠、あんたは一体何をどこまで知っとる?」


 釜瀬が放った稲妻は、瞬く間に佑の黒霞に突撃していき、幾つかの口と歯を焼いた。動かなくなったそれは黒霞に呑まれるようにして引っ込むと、また新たな口と歯が黒霞からにょきっと生えて、空いたスペースを埋めた。周りに散った稲妻は、他の口達に呑み込まれて闇の中に消えていった。


「それは貴様にはどうでもいいこと……。地獄龍様の妨げとなる者は全て排除するのがワシの役目。どうあれ、ここで貴様が死ぬのに変わりはない」


 佑の後ろから光の粒が迫る。助の二連三段撃ちである。矢は真っ直ぐ黒霞に突っ込んで行くと、黒霞はトンネル状になってそれを迎え入れた。闇は意志を持って矢の角度を歪ませ、ザーザフルの頭部に向けて飛ぶように調整した。計六つの光の粒が急に角度を変えてザーザフルの顔面に押し寄せ、その後から計十二の繚乱りょうらん風刃ふうじんが追従して押し寄せたのだ。


 強風豪雨の中で、光の粒と翠がくすんだ紫雲色にぶつかり地を揺さぶる爆音を轟かせた。その上空では、黒と白と赤と稲光があちこちで交錯し、爆発したり炎上したり鎮火されたりしている。目で追うにも忙しいギラギラとした戦場の奥から、ザーザフルの悲鳴が小さく聞こえた。


「地獄龍……? 何を言っとるのかわからん。聞いたこともねぇな。そいつぁともかく、なんだ。じゃあ知らんうちに師匠は人間側でなく悪事を働く龍側についてて、俺達に仇なそうってぇのか?」


 佑の足元から這い出した闇の塊がヌルヌルと地面を移動して、ひっそりとザーザフルに接近していた。やがて辿り着いたそれは、龍を足元から侵食しようとしているのだ。異変に気が付いたザーザフルは、瞬時に噛み付きを繰り出して闇をとり払おうとするが、地面ごと噛みちぎった途端に闇は霧散して塊の元へと自動的に戻っていく。そうして訳の分からぬまま闇にべっとりと取り憑かれたザーザフルの右前脚の爪が、琥珀色から紫色へ、紫色から黒へと変色していく。壊死が始まっていた。


「ふん……。人間など、滅んでしまえばいいのだ。貴様も歳を食ったならある程度は知っていよう。奴等はあまりに利己的で貪欲。恩を恩とも思わず、都合の良い事ばかりを口にし、欲や見栄の為に命を無駄に狩り、限り有る資源を取り尽くし、自然を破壊する。この世にとって何も益をもたらさない害虫共よ。それを粛清する為に復活成されたのが地獄龍様だ!」


 ふと王都での事を思い出す佑に向かって、ザーザフルが渾身の力を込めて尻尾を振るった。足元の闇を取り払うべく、術者目掛けて放たれた超重量のそれは、例えば王都の頑丈な家屋を何棟分も跡形もなく一気に吹き飛ばす膂力りょりょくを持っている。だが、それは佑の左右3m四方に展開されたスライム状の闇の塊によって簡単に受け止められてしまう。ドムンっ、という重く厚い音と共に受け止めきったあと、闇はプルプルと震えていた。


「……昔、俺達を育ててくれとった師匠は、ほんな事言う人じゃあなかったよな。ギルドじゃ困っとる人の依頼を率先して受けて活躍して、色んな方面の人々の手助けして英雄と言われて、自然の恵に感謝しながら見本みたいに節制した生活を送って、困窮した村の皆に恵み、与え、協力して日々を暮らして、仕舞いにゃどこの者とも分からねぇ俺達をわざわざ拾って愛情を持って育ててくれて……。今はどうだ。言っとる事もやっとる事も、まるで逆じゃねぇか! その龍のせいで、何人死んだと思っとるんだ! ……あの日、あの後、一体何があったんだ!」


 背後からまた光の粒が六つ連続で飛んできて、黒霞に突っ込んだ。それらは集約され、闇のトンネルを抜け、進路を曲げながらザーザフルの眉間や眼や口目掛けて的確に着弾していく。最早ザーザフルの顔面は何もかも傷だらけだ。右眼は矢が突き刺さって閉じられ、口内は矢の残骸だらけになっている。舌は先の方が千切れていた。


「ぐ……そうするしかなか……うぐっ、……ワシはあの方の意思に、目標に、心から共感し従ったまでよ。貴様もこちら側へ来るなら、側近のワシが直々に地獄龍様に取り成してやろう」


 上空では、佑の黒霞がザーザフルの黒雲を半分も食べ進めていた。次第に雨の勢いは弱まり、釜瀬の稲妻が走れる範囲も狭まっていた。口と歯は幾らか稲妻に撃ち落とされたが、しかし黒霞による回収および再生産能力の方が滅されるよりも遥かに速く、黒雲を食い尽くすのは時間の問題であった。ザーザフルは黒雲を増量する暇もなく、助の矢を避け、足元の闇を退けるのに必死である。


「師匠……知らねぇうちになんの宗教にハマったんだ? そんなもん入信するわけねぇだろうが。文字通り話になんねぇな。地獄龍?龍の癖に手下使ってちまちまやってる小物なんぞに興味ねぇわ。……俺の知ってる師匠は、やっぱりもう死んじまったんだな。ずっと認めたくなかった。……悪いけど、コイツはもう倒すぞ」


 やり切れないという顔で佑がそういうと、釜瀬は何かひとつ呑み込んだあとで激昴した。


「貴様ッ! 言うに事欠いて、地獄龍キョウカン様を侮辱するとは!! 許さんッ!」


 釜瀬は大きく帯電したかと思うと、頭上の黒雲から自らに稲妻を落とし、さらに大きくそれを膨らませた。そして下半身をぐいと沈め、拳を握り、佑に向かって必殺の構えを取ったのだった。




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