06 絶命、死神の足音


 ゲロミズという竜は、草食に多く見られる四足歩行の竜である。


 しかしその強靭な顎による咬合力は、一度噛み付かれたら最後と言われるほど強力だ。生半可な防具では身ごと噛み千切られてしまうのだ。


 普段の動作は非常に緩慢で、たったの数歩を時間を掛けてのそりのそりと歩く。そういった様を見ると移動速度は遅いのだろうと勘違いしてしまうが、実はそんな事は無い。


 相手を獲物と見るや否や、急激に速度を上げて噛み付いてくるのだ。小さな個体でも人間が全力疾走するより速く走るので、驚いて尻もちなどついてモタモタしているとあっという間に餌食になってしまう。


 言わずもがな、肉食竜である。初見殺しの異名を持つ恐ろしい種なのだ。


 さらに、注意せねばならないのが胃酸である。

 噛み付いた獲物に、非常に強力な胃酸を吐き掛けて弱らせるという独特な攻撃方法を持っている。これを食らってしまえば、例えばハーゲルの鱗ですらどろどろに溶けて肉まで侵食するのである。


 ギルドに登録した新米冒険者たちの内、生きて帰って来られない者の大半がこれに殺られている。


 その危険性はよくよく知っている。タスクは静かにゆっくりしゃがみ込み、前傾姿勢をとった。大きくぐっと踏ん張ると、突如として自身の影を置去りにする勢いで走り出した。


 下半身に魔力を展開し、ゲロミズを正面に捉えて全力疾走して常人ならざる脚力で上へと跳躍したのだ。


(こいつの攻撃の起点は全て口。ならば、弱点も口だ!)


 対して迎え撃つゲロミズはと言えば、じり、と後ずさったのだった。


 受け身に徹する形となった。とは言え、攻撃は最大の防御。口をがぱりと限界まで開けて構える。ギラギラとした細かくするどい牙をずらりと並べてまずは威嚇する。


 さあ何処からでも来い。

 いざ、生命のやり取りをしようじゃないか!


「ア゛ッ?」


 人のように間抜けな鳴き声を喉奥から漏らすゲロミズ。


 鼻先にずっしりと重量が掛かる。タスクは上顎の先に悠々として片脚で立っていた。その観察眼によって威嚇時の寸分の硬直を見抜き、超人的なバランス感覚で着地していた。その顔には随分と余裕があった。


 そう来たか。よし、頭を振って落ちてきた所を噛み千切ってやる!


 と、直感したゲロミズだ。

 しかし、そうと言うよりは気付いたらゲロミズにはそれしか手がなかったのだった。


 瞬時に死神の鎌が首元に掛かった気配に気付く。

 弱点を抑えられていると本能が悟る。

 下がったら死ぬ。進んでも死ぬ。


 ここぞと言う時の竜の本能は萎んでしまった。それはすっかりなりを潜め、一瞬の内に敗れ被れとなってしまったのだった。他には何をしたって殺されてしまう、と。


 ゲロミズは初手で詰んでしまっていた。走り込んでくる巨体にほんの僅か尻込みをした時点で、忍び寄る透明な死の匂いに包まれていたのだった。


「ここ!」


 不可視不可避の貫手突が、ゲロミズの上から降り注ぐ。


 それの勢いたるや上顎と下顎を縫い付けるだけでは収まらず、右腕は地面をも抉った。激烈なる衝撃と暴力の塊がゲロミズの身体を破壊した。


 腕に胃酸を吐かれては堪らないのですぐに引き抜く。顎を踏み付けると同時に、返す左手でゲロミズの左目に貫手突を突き刺した。それは彼の脳味噌を激しく揺らして滅茶苦茶に穿ったのだった。


 最早、ゲロミズに抵抗の目は何も残されていないのは明らかだ。ゲロミズは顔に空いた風穴から脳漿のうしょうを垂れながら二回ほど身体をびくつかせると、弛緩して動かなくなったのだった。






 ―――






 ここは王都デケーナ、中央通りの一角。タスクは竜鱗の売り付けを終え、洗濯に来ていた。


 街には洗濯屋と名乗る店が何軒かある。


 洗濯屋とは、単純に幾らかの現金を払えば衣類の洗濯を代行して貰えるというものだ。しかし店によっては石鹸の香りが一等華やかだったり、染み抜きを丁寧に行ってくれたりとそこそこで色があるのだ。街ではこれを選び抜くのがステータスだと信じている者も少なくない。


 その内の一件、「村上屋」。


 タスクはいつもここに通っている。なぜなら、


「あら、いらっしゃいタスクくん。うわぁ、今日もしっかり返り血に塗れてるのねぇ…」


 看板娘の祐子である。身長は低め、ぱっちりした二重の目に小さめの鼻。やや痩せ型の体格に穏やかな物腰。内巻きのショートヘアが良く似合う、誰もが振り向くような美人だった。


 そう、要はこの娘が目当てなのだ。


「今日も頼むよ。派手にやっちゃったからねぇ~」


「ふふ、腕がなります」


 数少ない佑の服は、大人の不純な思惑と看板娘の尽力によって清潔が保たれていた。竜森の木で引っ掛けて穴が空いたり竜の爪や牙に裂かれたりでどんどん数が減っていってしまうので、店売りの安い肌着などもついでに幾らか購入していくつもりだ。


 所用を済ませると、佑はぎこちなく言った。


「あー、なんだ。その。祐子さん、また、来るよ」


「…はいっ、お待ちしております」


 竜には滅法強気なくせに妙にどもってしまう上、その特上の笑顔に意味もなくほだされる佑だ。鼻の下は地面に着くほど伸び切っている。


「ああ、そう言えば。最近、裏山の新川で大型竜の一団を見掛けたってギルドで噂になっているようです。十分、気を付けてね。また来てくださいねっ」


 いつだか翔が言っていた。

 敬語に時折さりげなくため口を混ぜて話すというのは親近感を抱かせる効果があるんだとか。


 ううむ、これがそうか…と抜群の効き目を体感しながら、痺れる脳を引き摺って佑は店を出た。


 それにしても大型竜の一団、か。


 念には念を入れておくか。翔の為に坂には竜避けの木を多く植えておこう。


 胸中に僅かなざわめきを感じながら、佑は街を後にした。


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