05 常識通じぬ竜森の不思議
今日も今日とてタスクは竜森の中にいる。
しとしとと雨が降っているので、素面のままでの登山となった。こそ泥の悪行によって山菜が根こそぎ盗まれてしまったから採っておきたいと思っていたので、背中には寸胴型の木網の籠を背負っていた。
肉は手に入れたタンスキーの余りがあるが、とは言え最高級品だ。出来るなら取っておきたい。なんせ、ちびちびやりたいのだ。だからついでに一狩り出来れば、とも目論んでいた。
竜森の入口から暫く暗がりの道を進んでいくと、ハーゲルの群れが眼前に現れた。
小さめの個体が三体、寄り添うようにしてお互いを甘噛みし合っている。ぴょんぴょんと跳んでは噛み付いて喧嘩している様に見える。しかし、これは恐らく親愛からくる行動だろうとタスクは長らく観察した結果の自論を持っていた。
しかし、その行動の目的自体は何か解らない。遠目から観察するに、お互いの特に硬質な鱗にお互いの牙を当てて研いでいるように見える。
…ちょくちょく見掛けるこれはつまり、竜式歯磨きということだろうか。それは、なぜ木に擦り付けるのではダメなんだろうか。なぜ同胞の鱗でなければダメなのか。もしや、ちょっとした痛みが癖になるのだろうか…?
タスクは自分の腕を噛んでみた。
うむ。さっぱり解らない。
未だ竜の生態は謎に包まれた部分が多い。そう呟いた。
タスクはハーゲルの一団を避けるように迂回して進んだ。
倒して食糧とすればいい物を、実は、先のタンスキーの味が忘れられないのだ。更なる上等な獲物を求めてここは戦略的撤退を決め込むと本人は考えているところだが、要はこの男、欲に目が眩んだだけである。
竜種というだけで確かな味が約束されているが、それほどタンスキーの肉は別格であった。
あの蕩けるようなしつこさの無い上質な脂に、ひとつ噛めば口内から溢れ出る量の極上の旨味汁、舌を丸ごと性感帯に変えてしまうような脳天痺れる刺激的な舌触り…。またあいつと出会えたらいいなあと、まるで恋焦がれる女の子の様な気持ちだ。あの甘美が頭から離れない。
タスクは一度足を止めた。憑き物を払うように頭をぶんぶんと振る。
いけない。浮ついた気持ちで森に入ってはいけないのだ。欲に負けた自分にそう言い聞かせる。
生命のやり取りの場では、集中力を欠いた者から脱落していくのだ。俺は何度も見てきたじゃないか。何度もそのやり取りに負けそうになりながら、それでもここまで勝ち進んできたじゃないか。馬鹿たれ、気を抜くな。正に今、敵陣中央でやり取りの真っ最中なんだぞ!!
鼻の下を伸ばしただらしない顔を強く引っぱたいて、タスクは再び歩を進めるのだった。
山菜採りの為の、いつものルートを辿る。
この先には野草山菜の群生地があることを知っていた。過去に踏み入った際に見付けた場所だ。今日の目当てはそこである。上手くして籠いっぱいにして持ち帰れば、暫くの間は十分に食べていける。
今回は何が成っているのか。ワクワクは止まらない。はち切れる程、期待に胸を膨らませた。
しばらく進んでいくと、タスクの遥か前方の深い暗闇の先には一点、薄らと陽の光が射し込む場所があった。ぼんやりと見えるその光は、しとどに濡れた野草達の蒼と緑の輝きを燦然と照らし出している。
明かりが見えだしてからまた暫く歩き、やっとの事でそこに辿り着いたのだった。
タスクが見上げると、頭上の木々はここだけぽっかりと口をあけていた。
いつの間にか雨は止んでおり、そこから丁度良いタイミングで晴れ間が見えた。目に眩しい、ご機嫌な太陽が顔を見せたのだ。
一際明るい光は木漏れ日となって降り注ぐ。
暖かなそれを感じ取るようにして、正面一帯はふわりと宝石の様に煌めきだした。雨粒を乗せた草木は陽を受ける度に強く輝き、辺りの薄暗さを吹き飛ばした。
たわわに実った作物たちの鮮やかな紅や碧、緑は華麗な風景に彩りを添えた。柔らかな南の風が緑葉を揺らすたびに、多色の煌めきは角度を変えてまた別の色彩を放ち、それらは纏めて波打つように七色の光輝を暗闇に反すのだった。
正に天上の景色と言える風情だ。
タスクのお気に入りの場所である。
そこには、九畳葱という根から葉までが畳で言うところの九畳分の長さにもなる葱や、どんぐり
タスクの足取りは軽い。今回は特に種類が多そうだからだ。時を忘れて、笑顔で収穫を始めるのであった。
実はこの山菜の群生地体、不思議で溢れていた。
一週間程の時をおいて来てみると、前回とは違う種類の山菜が大きく成長して実をつけて生えていたりする。そんなことがざらにあるのだ。かと思えば、前回と全く同じ時もあるが。たったそれだけの時間で、成長の速さも
絶景も加味して言えば、正に食に溢れた不思議の楽園である。
竜の死骸を栄養とするからこんなに摩訶不思議な空間になるのだろうか。色々と考えてみてもさっぱりわからないので、タスクは考えないようにしている。大自然の恵、きっとこの一言に尽きる。自分は大変助けられているのだから、妙に深追いはしないで有難く享受しよう。思うことはただそれだけであった。
完熟のトメィトゥを齧りながら、仕舞いに鉄人参を二、三本採取するとちょうど籠が満杯になった。
背中と籠の間に挟んであった蓋を取り付けてこぼれないようにして、山菜採りを終了して満面の笑みで下山を開始した。
戻り道を慎重に進むタスクだ。
ここで油断してはならない。まだ仕事は終わっていないのだ。どの竜がどこから牙を剥いて襲いかかってくるか判らない。相手がすっと息を殺せば、こちらは気配を丸ごと殺す。竜の目がきらりと十光れば、絶対に一も見逃してはならないのだ。
刹那、十時の方向、地面すれすれの所で何かが煌めいた。
恐らく竜の目である。
唐突に膠着状態が発生する。
これだから竜森は恐ろしい。その唐突も脅威だが、もっと言えば竜が一体とは限らないのだ。その後ろの暗闇にも居るかもしれないし、上や背後にも漁夫の利を狙って身を潜めている奴だって居るかもしれない。
全方位に向けて集中する。僅かに擦れる程度の足音を聞き分けろ。荒ぶる鼻息を感知しろ。この生命を狙う奴らを見つけ出せ!
タスクの身体表面から透明な
厳しい修行を重ねて会得した、索敵の術のひとつである。靄を拡げられる一定距離内の生物の有無を知ることができる。これを獲物の位置と数に確信を持てるまで続けるのである。これの難点は、集中すると隙だらけになってしまう事だが、この間の奇襲を防ぐ意味合いも含めて全方位に展開するのだ。タスクの膨大な魔力量あればこその得意魔法だ。
視認出来ない程薄く伸ばされた魔力の靄がひとつの生物に当たる。
よし、感知した。
竜の目が見えたと疑った位置から標的は動いていない。
四足歩行の竜で間違いない。鎌首もたげてこちらを警戒しているようだ。
ゲロミズという大きな蜥蜴のような竜がいる。十中八九そいつだろう。
周囲の索敵が終了した。
そう思うや否や、突如として戦いの火蓋が切って落とされた。
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