夢日記
私には夢などない。そんな人間が夢を見るだなんて残酷なこと、神様はどうして許したのだろう。
夢の世界では何でもありだ。私は大地を逃げ回る殺人者にもなり得るし、天を翔けるスケーターにもなり得る。けれど根っこには現実の世界で眠る私という存在がいて、そのことがまた残酷なことのように思えるのだ。どうして糸をぷつんと断ち切ってしまえないのだろう、どうして世間ではそれを許してくれないのだろう。
私はあまりにも死というものに惹かれすぎている。それはどうして? そんなことは私にも分からない。そんな私に神様はたった一つのことを許してくれた。死後のことを夢に見ることだ。以下に記すのは、現実に起こった、そして現実には起こっていない何事かの記録だ。もしこれを読んでいる人がいるのなら、あなたは私の幸福を願ってくれるでしょうか。
ちろちろと燃える炎の身体を舐めるような感覚が、それから後の、After Allとでも言うべき領域で感じた最初のものだった。
くすぐったさのようなものはなく、熱さを感じることもなく、むしろ熱さの絶頂から滑り落ちていくときの冷たさのようなものが光っていた。その炎を背中に受けながら、私は目を覚ました。
その次の瞬間には燃え盛る炎の発動を浴びた海面を海鳥のようにさらりと撫でて、やがて静かに水中へと潜行していった。どこをどうして海へ来たのか、きっとそうなるであろうことを予想すらしていなかった私には、どうしても不思議に思えて仕方なかった。その理由となりそうなものを見つけたときには、それ以前の世界で持っていた時間的観念では計測できないほどの時が経っていた。全てが未分化の世界の中で、これだけはとばかりに抱え込んでいた感情の最後の煌めきが、悲しみという色を照らし出した。ここにはもう、この世界にはもう、誰もいないのだ。
私には全ての事象を俯瞰することはできないから、その誰というのが誰のことを指しているのかさえ分からなかった。日に日に曖昧になっていく内的世界と外的世界の渚にあって、私にはもう会うべき者もなければ私のことを覚えている者すらいないことを知った。私以外の全てはその海にあり、きっとどこかにその誰かというのも分かたれていない状態で漂っているのだろうけれど、そこから誰とも知れぬ誰かを探すことは不可能だった。私は一人きりで、そこに溶け合うことをせずに海の中を彷徨っているのだ。
私は海が好きだ。私はあまりにも孤独の中に没頭しているから、環境に順応するためにそう思い込んでいるのではないか、本当は気が狂い始めているのではないかと思った。しかし、それは違った。私は真に海が好きなのだ。
あの頃、まだ私が肉体の中に宿っていた頃のことが、ふと鮮明な記憶となって蘇ってきた。まるで毒々しいほどに現実味のある夢を見ているかのような感覚に、私は戸惑った。私にはもうきっと時間が残されていない。だから今を逃せば、きっと何も分からないまま、何も終えられないままに全てが流れていってしまう、そのことがどうしようもなく嫌だと思えた。
父なる者がいた。母なる者もいた。あのとき、海水浴をしに娘なる私は浜辺へ連れられていった。最初は押し寄せる波の飛沫さえもが怖く、かといって砂浜で何かを形作るだけの器量もなく、大きく広げられた傘の下で太陽が照らすはずの場所を盗んだのだ。ざらざらとした砂の、身体の下敷きになっている部分が少しずつ冷えていくのが心地良かった。父なる者も母なる者も海へ入ろうとすらしない私のために苦笑していたことだろう。いつの間にか眠っていた私は、丹念に身体を拭かれた上で洋服を着せられて自動車に乗っていた。目覚めた頃には海は背景となって、どんどん小さくなっていく。私は遠ざかっていく海を見ながら、本当に愛しいものに手を触れることの恐ろしさというものを自覚したはずだ。何故なら、その海水浴へ出かけたのは私が無理に望んだ結果だったのだから。私は海が好きなのだから。
私には、どうしても拭えないある感覚があった。自分が贋物であるという感覚だ。あなたは本当は生まれてくるはずじゃなかったとか、他所の家からもらってきたのだとか、幼くして先立っていったきょうだいにそっくりだとか、そんな類の冗談やほのめかしを家族からされることは、もしかしたら珍しいことではないのかもしれない。幸いなことに私の家族はそんなどうしようもないことは言わなかったのだけれど、だというのに私は自分が贋物であるという感覚を、所与のものとして胸に秘めていた。とはいえ、そうしたことを口にすれば、空気に触れるところへ吐き出してしまったなら、きっとそれは毒の楔となって私の心を強く撃つ。そう自覚したのは比較的早い時期だった。そのおかげで私は除け者として扱われることはなかった。けれど、私は一人で気付きを得たのではなかった。鏡のような存在のとある少女がいたからこそ、私は贋物であることを告白せずに済み、同時に彼女のせいで私の抱いていた贋物という観念は深まった。
彼女は、身体の小さな子だった。背丈が低いだけでなく、頭の大きさも手のひらの大きさも、みんなより一回り以上小さかった。喘息か何かを抱えていたから、体育の授業のときはいつも見学をしていた。それで楽をしているだなんて陰口を叩かれたりもしていたし、学力にしたって大したことはなく、国語の教科書の音読だってつっかえたりしていた彼女は、しかしみんなからはよく好かれていた。私は他人よりもずっと縄跳びができて計算も人一倍速く音読も淀みなくできていたけれど、あまり友達はいなかった。昔からそうだった。そうした一種の対称性を見出していたのは、私と、それから彼女だけだったと思う。
強くそう感じることになったきっかけは、ある年の冬に流行したインフルエンザだった。私と彼女はみんなより一足早くインフルエンザにかかって、回復した頃になってから本格的な流行が始まった。学級閉鎖の始まる前日に彼女はこう言ったのだ。
「同じタイミングでインフルエンザになったけど、私たちって似ているのかもしれないね」
間違いなく、自分たちの対称性に気付いている人間の言葉だった。それを聞いて、私はいつからか慣れっこになっていた悪寒を真に感じた。
もし、もしも対称性が解消されるとするなら、そうなるために二人が一人に合一して、完全な人間になるのだとしたら。そのときにはきっと、私の意識は除け者にされてしまうのだろうなと思った。
彼女は、いつしか姿を消した。家族の運転する車が事故を起こして彼女も亡くなったと教えられた記憶もあるし、どこか遠くへ転校していったのだと聞いたような記憶もある。それからすぐに私自身がその学校から転校してしまったから、もう真実は分からない。いずれにしても、私を悩ませていた対称性は呆気なく解消された。それも私が想像していたよりもはるかに凡庸な形で。私はきっと彼女の贋物などではなかったのではないか。そう思うと同時に、私の自分自身が贋物であるという疑念はより深く強まった。贋物であるからこそ、私は今も生きているのではないかと。
とはいえ、現実に生きる上で贋物かそうでないかという問題は、大した意味を持たない。どんなに悩んだって生きていれば明日は来るし、どんなに悲しんだって昨日は忘却の彼方に消えていく。私は贋物という観念を消し去ることはできなかったにしても、忘れ去ることはできたのだった。
私の起源は、どこにあるのだろう。
ふとそんなことを考えるようになったのは、家族の転勤で何度も引っ越しをして、その土地々々との繋がりも持てないままにまた引っ越しをする、そんな日々が続いたせいなのかもしれない。贋物という観念を忘れ去ってからの束の間の休息の後、新たな疑問がやってきて私の心を捉えた。その疑問が最も強くなったのは、引っ越しの連鎖から解放された後のことだ。両親の離婚と、それに伴う苗字の変化。それまで当たり前のように戴いていた冠を取り上げられ、どこかから降ってきた新しくそして古めかしい苗字を、新たに戴かなければならなくなったのだ。
それは母親の旧姓で私には馴染みの薄いものだった。母は生まれ育った街に私を連れ帰る形で戻ってきたのだけれど、かといって疎遠になっていた親戚一同と再会することもなく、友人や知人もいないようだった。どうしてそんな場所に帰りたかったのか、それは母親にしか分からないことだけれど、きっと母親の中には拠り所になり得る場所として、故郷の街が思い浮かんだのだろうと思う。
私にとっては全く新しい土地で始めた生活には、それまでのものとは違った予感のようなものを感じられなかった。暗黒時代は続いていく、そんな漠然とした絶望のようなものだけが存在した。
しかし、やがてある希望が私の心の扉を叩いた。大人になれば、きっと何かが変わるかもしれないと思えるような希望を。
そう思えるような希望とは、彼女と彼、今ではもう名前すら思い出せないあの二人のことだ。いつからか心のどこかで抱えていた漠然とした不安のようなものを束の間であっても払い除けてくれたその手は、あのときお堀から這い上がってくる亀を指差していた。亀が長寿の象徴的存在であることは、きっと偶然ではない。私は肉体の死を信じこそすれ精神の死を信じてはいなかったから、無限の万能感のようなものをそのときに味わった。私はきっと、いつまでもどこまでも生きていくのだというふうに。
それから後にあの神社で願ったことは忘れられない。私は自分以外の誰でもない他人のことを、そのときに初めて願ったのだ。それはちょうど精神の不死に無限の万能感を味わっていたことと矛盾するようにも感じられるけれど、決して矛盾なんかじゃない。無限の万能感があったからこそ私は他人の幸福を祈ることができたのだ。東京という場所を最深部として水平方向に広がる階層を打ち消し、垂直方向の普遍的な幸福を祈ったのだ。そんなことを言うと、今度は後から考えたことを付け足したのではないかと思われてしまうかもしれない。でもこれは、そのとき作法すら分からないままに拍手をした後の一瞬の静寂の中で、私の中で駆動した論理を詳らかにしたものだ。一瞬の倒錯の快楽を、私はたしかに覚えている。
私は自分の死というものへのレールを、そのとき自らの手で敷いたのだ。地方都市に根を下ろした私の新しい生活は、水平方向の階層の崩壊によって不幸なものではなくなった。どこにいても幸福を享受できるようになったのだ。しかしそのことは同時に、太陽の下にあっても月の下にあっても幸福を享受できるということになる。つまり、生と死のいずれであっても問わないということになるのだ。だからこそ、私は執着を失った。生活への執着を、生への執着を、そして贋物という観念への執着を。
大人になるということを、しかし私は真の意味で知らなかった。大人になるには色々な方法があるだろうけれど、私の場合はそのまま年齢を重ねていって、十八歳で参政権を得ることが大人になることだと漠然と思っていた。口づけもままならない私がそれ以外の方法を採れるはずもなかった。では、あの二人はどうだったのだろうか?
いつかどこかの日、私たちはやはり三人で歩いていたのを思い出す。太陽の傾き加減からして、あれはきっと放課後のことだった。どこをどう通ったのか、東京オリンピックの話になっていた。
「その頃にはもう立派に成人して大人になってるわ」
「成人していれば大人ってわけでもないだろう」
彼女は、私たちの中では一番大人というものにこだわっていたような気がする。そこに疑問を呈した彼もまた、大人というものに逃れられないような関心を持っていたようだ。では、私は?
自分が大人になるということを、私はそのときまで深く考えていなかったことに気付いた。もし成人した瞬間に大人というものになるのだとしたら、私はそこへは辿り着けないような気がした。彼女たちがしっかりと大人というものへの考えを持っているのに対して、私は全くと言って良いほど大人というものに考えを巡らせたことはなかったのだ。私は除け者になってしまったのだと、重い石に引っ張られるような気分を味わったのを覚えている。彼女は決して私を除け者にしようとはしていなかった。だというのにそうなってしまったことが、そうなってしまうことが、私にはひどく悲しいことのように感じられた。
それからの私は、事あるごとに大人というものへの考えを巡らせるようになった。しかし、私は想像し得る大人というものは、ひどく薄っぺらく一面的なものだった。それは端的に言えば、自立している存在なのだ。経済的に、精神的に、肉体的に。私の周りに、大人はいなかった。
かといって、子供であり続けたいと思うわけでも子供という存在にこだわっているわけでもなく、また自分が子供であるということにすら実感が持てなかった。経済的にも精神的にも自立していない私は、子供と呼ばれても仕方のない存在だ。だけど、精神は子供であっても、肉体は大人への道を間違いなく歩んでいる。そのことが、ひどく恐ろしく思えた。
私が詩を書き始めたのは、そうした恐慌の最中でのことだった。間近に控えているオリンピックというものと、あるいはパラリンピックというものと、詩というものとが私の中で直線的に結び付いた。私は自分にもできることであり、また自分も参加できることとしての詩を、紡いでみようと思ったのだ。
つまり、老いも若きも男も女も参加し得る場としての詩を。
私の詩作は内面的なものから始まった。私以外の誰にも触れ得ない聖域に陳列するものではあったけれど、自分の内面を臆面なく吐露できる場ができたことは、私の外面をも変えたのかもしれない。その頃から、不思議と他人と接することの負担が減った。他人と話すことが以前よりも楽になり、その脱力が外見の表情や何やらを柔らかくして、そのことが相手に安心感を与え、従ってさらに会話をすることへの抵抗が減る、そんな循環が生まれたのだ。何かが変わったと言われたこともあったし、口にせずともそう思われてもいたのだろう。ただ、私は誰にも詩作のことは漏らさなかった。彼女にも、彼にも。
とにかく、内面的なものから始まった詩はやがて外面的なものへと移っていった。私の周りに生まれた好循環がそうさせたのだろうし、また自分が思っているよりも人の心というものは浅くて、心の澱を掬う作業も案外早く終わってしまったのだ。私の中に眠る資源は枯渇した。それは、次の段階へと進むきっかけとなった。
モノレールに乗って、うつらうつらとしながらふと車外の風景に目を向けて心を動かされる。天からさあっと降り注ぐ光が、無機質なビルや古びたマンションや車や人、何もかもを照らしているのだ。それは軌道を走るモノレールも、そこに乗る私も例外ではなかった。
私は、生きることを赦されたのだろうか。
そんなことをふと考えたりした。もちろん私は生きる上で罪を犯したという負い目など抱いてはいなかったし、幸福ではないけれど決して不幸でもない今という時間の中で、しかし浮かんできたのは赦しという言葉だった。
私はその赦しという言葉を、後生大事に抱えたまま家に持って帰り、ただいまの挨拶もしないままに自分の部屋へ飛び込んで、それからある詩を書いた。
「恩赦」
冬来りなば春遠からじ
夏来りなば恋遠からじ
涙来りなば夢遠からじ
雨来りなば○遠からじ
しかし、この恩赦という名の詩はこのときには完成しなかった。そうした不本意なものを遺してしまったのは、一つの後悔といえるかもしれない。あのとき、学校の屋上から一本桜を見下ろしたとき、ふと思い浮かんだのは、その空白に埋めるべき一文字だった。自分の考えた言葉に心を打たれるなんて、それまでは決して考えられなかった。私が柵を乗り越えたときに感じた幸福は、その恩赦という名の詩を完成させられたためでもあるけれど、でも本当はもっと大きな幸福があった。私はこの世界に決して誰にも分からない一つの謎を遺して、一つの歪みをこの世界に生み落としたのだ。そのことがたまらなく、愉快だった。
もうそろそろ振り返ることもなくなってきたかもしれない。波に溶けていくときが来たのかもしれない。そう思うと名残惜しいけれど、でもそこには全てがあるから、いずれここで彼女や彼と再会できるはずだ。そしてみんなが一つになって、次の世界を征服してやるのだ。いつかあの月世界をも併呑して、銀河に冠たる地球の代表として、きっと宇宙に乗り出していく。
そんな、妙に大きくて不思議な空想がふつふつと浮かんできた。私がもう私でなくなっていくようだった。私は一度死を選んだけれど、みんなのことが好きだった。人も街も海も雨も。だからきっと、彼女と彼には幸せになってほしい。最後の瞬間に願ったのは、いつかのように他人のことだったな。
じゃあ、さようなら。
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