第5話 女神

 死んだ。

 そう思った瞬間、身体がとてつもないほど軽かった。

 なぜだ、と思いながら瞼を開く。


「? なぜ、私は起きれるのだ?」


 死んだのなら、瞼も開けないし、身体も起こせない。

 なのに、私はその両方ができた。


「…………どこだ、ここは?」


 辺りを見ると、そこには真っ白い風景がただ広がるだけで何一つとして、物や色なんてものが無かった。


「ここはもしかしたら、黄泉平坂なのだろうか」


 もしそう言うのなら、なんと何もない所だろうか。

 話に聞いていた黄泉平坂や、黄泉の国とはなんと白く、何もないのだろうか。地獄と言われれば、無間地獄のようなものだろうか。

 ただ無限に広がる白は、私にとっては地獄のようなものだった。


「目覚めましたか?」

「ん?」


 するとどこからか、声が聞こえる。女性の声だ。

 私の心を澄む様な綺麗な声。何もかも許してくれそうな声。

 だが辺りを見ても何もいない。だが、声だけは聞こえる。


「誰だね?」

「おや、目覚めたばかりですけど話せるのですね」

「ん? どこの誰だい? もしかして、奪衣婆のようなものなのか? それとも、ギリシャの神話に出てくる天秤の女神かな?」


 まぁ、どちらにしろ私を裁いてくれるのなら別に良い。

 私は生前、あれほど他人を苦しめ殺したようなものだ。どのような裁きを受けるのであれば私にとっては良い。


「ふふっ、本当に面白いジョークを言う方ですね」

「面白い、だろうか? で、君は誰なんだ? 姿の一つは見せて欲しいのだが」

「でしたら、既に見せていますよ」

「何?」

「あなたの後ろにいますから」


 私がゆっくり振り向くとそこには、太陽のような金色の髪に、乳白色の柔肌、金星のような綺麗な目、そして、手には小さな天秤と大きな剣を持っており、声の主はまさに黄金と星を合わせたような女性だった。

 

「」

「どうかしましたか?」

「いや、このような綺麗なお方を見たのは人生初めてでして」

「ふふっ、既にあなたの人生は終わっていますよ?」

「ほっほっほっ、まさか、神様にそう言われると………こりゃ、一本取られましたな」


 確かに私の人生は、すでに終えたもの。

 ならば、ここで人生なんて言ってしまうのならば笑いを取ってしまうものだ。


「それに、先程の問いへの答え。まだ言っていませんでしたね」

「先ほど? あぁ、地獄の奪衣婆かギリシャの女神様と言う話でしたかな?」

「えぇ、その答えは後者でございます」

「なんと、前者と言うこともあり得たかもしれませぬが」

「嘘です。あなたたちはそのようなことを思ってはいません」

「はい、その通りです」


 私たちは奪衣婆は恐ろしい老婆と描き、綺麗で美人と言う話は描かれたことも聞いたこともない。

 だが、もしかしたらかもしれない。その可能性もあるかもしれなかった。


「…………ふむ、そう言うことですか」

「む、声に出ておりましたかな?」


 私はすぐさま口の紡ぎ、話すことを辞める。


「いえ、ただたんにあなたの心の中を聞いただけですから」

「そうですか」


 となると嘘と言うのもすぐにばれてしまうというもの。

 かのような方にはやはりどのような者であろうとも欺くことができないというのは、事実らしい。


「では、話をしましょうか。矢代 林一郎。いえ、こちらの方がよかったでしょうか? リンイチロウ=ヤシロ?」

「どちらでもよろしいです。私にとっては過ぎた名前であり、かの有名な女神様がそのような名を言ってくれるのであるなら、私は別に構いませんから」

「あら、謙虚ですね」

「まさか」


 この私には数えきれないほどの業の数、山がありますゆえ、謙虚と言う言葉は私にとっては似合わない言葉であります。

 故に私は、どのような罰でも受ける覚悟。このような十分生きた老人には一生をかけてまで私自身に貸した罪を償わなければいけない。


「そうですね。リンイチロウ=ヤシロ? では貴方には私との約束を結んでもらいます」

「約束?」

「えぇ、貴方は自分自身に深い罪を背負っているとお思いで?」

「はい」

「………そうですね。私の天秤は貴方が深い罪があることを示しました。それに、その言葉に嘘偽りが無いように見えますから」


 女神様はそう言いながら、手に持った天秤をしゃんと鳴らすと、私は何も言わず、膝を地に着け頭を垂れる。


「では一つだけ言いましょう。貴方はその命を生まれ変えさせることができました」

「えっ?」


 生まれ、変わる?

 その言葉を聞いた瞬間、私はその垂れていた顔を上げ、女神様を見る。


「な、なぜ、そのようなことを? わ、私はとてつもないほどの畜生で多くの命を失わせた人物なのですよ?」

「えぇ、それは重々承知しています。ですが、貴方は心の中では『罪滅ぼし』がしたいと嘆いていますね?」

「!?」


 私は驚いた。

 確かに、私はあの時、あのような場所で心の中でずっと思っていた。

 私が悪いのだと、そう思いながら、ただ苦しみ生きていました。


「で、ですが、それが、なぜ、私の『罪滅ぼし』となると言うでしょうか!?」

「それは貴方の心が知っています」


 シャン、と天秤を鳴らしながら女神様は私に顔を近づけ、私の頬に触れる。


「貴方の罪滅ぼしは、死してやって始まるものなのです」

「えっ?」

「貴方は一度の生において、多くの罪と業を背負い生きていました。では二度目の生において、その多くの罪と業を清算し滅ぼすことができるのでないでしょうか?」

「ですが、私は生きているだけでも罪です。死んでもなお、生きているというのは私には辛すぎます!」


 私はそう言いながら顔を勢いよく伏せる。


「いいえ、それはありえません。生きていれば時に良いこともあり、貴方の罪を裁いてくれる者もいます」

「ですが!!」

「リンイチロウ=ヤシロ? 私が今から言うのは、約束で誓約です。ですから顔をあげ、私に誓ってください」


 私はそう言われ、伏せていた顔をあげるとそこにはどこか見た事ある顔がそこにはあった。

 女神様のその見つめる瞳と言い、顔と言い私はどこか女神様の顔に表情に見覚えがあった。


「幸子?」


 目の前にいるのは生前、私が愛していながらも、私の本心を語れず、彼女に何一つ与えることができなかったと悲しみ、私の生前の心残りの一つであった妻の顔だった。


「なぜ、ここに?」

「貴方は、もう十分生きました。ですけど、貴方が望んだのです」


 女神様は私の妻、幸子の顔でそう語る。


「『罪滅ぼし』がしたいと」


「!?」

 私は女神様の言葉に体が固まる。

 そうだ、これは私が言い始めた事なのだ。生前、いつか罪滅ぼしがしたいと言いながらその機会が来なかったあの時に、毎日、毎日、苦しんでいた。

 なのに、なぜ、今になって私は逃げようとしている?


「やっと決まりましたか? リンイチロウ=ヤシロ?」


 幸子のことを思い出し、今のことを思い出す。

 この始まりも、先の終わりもどこか私が望んだことではないだろうか。それを今になって放り投げ逃げるのは私らしくは無い。

 なら、


「受けましょう。その誓約を………」

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