第18話 山尾庸三2 斎藤弥九郎

○斎藤弥九郎

 山尾が、江戸へ出てみたいと思うようになったのは、嘉永五年(一八五二)、十六歳の頃という。萩に居住していたこの年九月、江戸で高名な道場「練兵館」を経営する剣客斎藤弥九郎の嗣子斎藤新太郎が萩にやって来た。

 腕に自信のある長州藩士が挑戦したが、だれ一人かなわない。山尾はその噂を聞き、

「是非江戸へ行きて、斎藤の塾へ入って武人として世に立ちたい」

と思ったという。(中原伝)


 四年後、安政三年(一八五六)二十歳の時に上京の想い黙し難く、瀬戸内海側の冨海(現防府市内)から船で大坂に赴き(当時、冨海からは「飛船」という大坂直行便が出ていた)、大坂からは陸路東海道を東上し、ついに江戸三番町(現千代田区)の斎藤弥九郎道場にたどり着き、入門を懇願した。

 山尾の話を聞いた斎藤弥九郎は、「是は面白い。篤志の人だ」と言い、入塾を許可したという。

 なぜ、こんなに簡単に承諾したかというと、山尾が長州人だったからであろう。

道場といえども、第一は経営である。そもそも斎藤新太郎が長州藩へ赴いたのも、「勧誘」「営業」であり、大長州藩を「お客さん」として取り込みたかったのだ。案の定、長州からは斎藤道場入門者が続出し、嘉永五年に入門した桂小五郎は翌年には塾長になっている。桂が相応の腕前を持っていなければどうにもならなかったであろうが、そこそこの技量があれば、「長州藩御用達」道場としては塾長にするのは経営者として当然であろう。(ちなみに、桂の後の塾長も、長州人の大田市之進)


 ちなみに、『斎藤弥九郎伝』(大坪武門・大正七)に、

「(山尾は)広島の人長山梅吉と偽称し、練兵館の飯焚となり・・・」

と書かれているが、何を根拠に書いたものか不明である。

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