第15話 伊藤春輔5 伊藤、松陰を語る

○伊藤博文、吉田松陰を語る

 伊藤は、吉田松陰について何度か語っている。

新渡戸稲造に対しては、

「世の中では、吾輩が吉田松陰の塾に永くおったようにして、松陰の弟子のようにいっておるものがあるが、それは事実上間違いであって、吾輩は松陰の世話にあまりならない。従って先生のお教えも受けず、実際当人に会うたことも度々はない」(『新渡戸稲造全集』⑤「偉人群像」)


 秘書だった小松緑に対しては、

「毛利の史料調所で、松陰のことを調べているが、今度、安政五年に松陰が書いた書類を発見した。その書類によると、松陰は全く攘夷論者でも討幕論者でもない証拠があがった。つまり議論が変わったのである。しかしそれを見ると、やはり過激だ。政府を苦しめている。政府のほうにはわかっていることも、松陰は知らずにやっていることもあったらしい」

(『伊藤公直話』)


 このように、明治の伊藤博文は、松陰に対し冷ややかである。幕末の伊藤は、松陰門下生の末端として、成り行きで幕府に反抗したが、多くの修羅場をくぐり、国家を背負うという重責を担う事となった。

 松陰は田舎の寺子屋の師匠で畢ったが、伊藤は日本国の国政の責任者となった。無責任な立場から反対するのは簡単だが、いざ自分が国政の当局者になれば、どれだけ大変な事か。リアリストの伊藤は、松陰が経験しなかった世界に達した。そうした経験を踏んだ伊藤にしてみれば、

(先生は、未熟のまま亡くなられましたね)

と思っていたのであろう。

 もっとも、伊藤は政治家だから、故郷に帰った時はそういう本音は言わず、最晩年の明治四十一年には、下関で、

「伊藤も今日あるは全く先生のおかげでありますから・・・」(『松陰先生逸話』)

などと語っている。

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