第13話 伊藤春輔3 来原良蔵

○来原良蔵

 伊藤博文は、人との出会いの運はよかった。彼には恩人といえる人物が何人もいるが、最初の恩人は来原良蔵という。

 伊藤の恩人といえば、ほかに松下村塾の師の吉田松陰、兄貴分の木戸孝允(桂小五郎)の二人が知名度がある。だが、伊藤は、この二人について、どこか醒めた回顧をしている。伊藤がもっとも情熱的に語った恩人は、来原良蔵である。

 例えば、『伊藤井上二元老直話維新風雲録』(明治三三)では、

「来原良蔵割腹(文久二年に自刃した)の事情を承りたし」

という質問に対して、

「来原良蔵の事については、吾輩が最もよく知っておる」

と、飛び付くように語り出している。来原という、無名で終わった人物を、後世に伝えるのは自分しかいないという意気込みが伝わる。


 来原との出合いは、伊藤が十六歳の安政三年の時である(『藤公余影』)。この年、長州藩が相州(神奈川県)沿岸警備を命ぜられ、伊藤は宮田という所に三十四、五人と共に派遣された。この時の監督者が来原良蔵だった。

 来原は、どういうわけか伊藤を見どころある若者と見込み、徹底的に教育を施すのである。朝四時半には起こし、学問と武士の精神を叩き込んだ。縁もゆかりもない伊藤を、なぜ来原はそこまで入れ込んで教育したのか。史料だけでは見えない何かがあったのだろう。

 おそらく当時の伊藤は、面倒に思った事もあったかもしれないが、来原が早く亡くなった事もあり、

「彼(来原)の予を教ふるや、実に懇切を極め、予に一生忘るる能はざるの好教育を与へたり」

と真の恩人だと絶賛している。


 ちなみに来原自身は、無名に終わったが、その血脈は木戸家に残った。木戸孝允には実子がいなかったため、妹治子の子を養子にした。治子の夫は来原なのである。(来原は木戸より年長だが、義弟になる)つまり木戸公爵家を継いだのは、来原良蔵の子であり、孫は昭和戦前の内大臣木戸幸一である。


○来原良蔵と村田蔵六(大村益次郎)

来原良蔵について、一つ補足をしておく事がある。来原は、村田蔵六(大村益次郎)と親しい関係にあったらしいのである。

 村田蔵六は、生まれは鋳銭司(現山口市)だが、百姓身分だったため、長州藩ではただの地下医「良庵」だった。しかし、大坂適塾で塾頭を務めた秀才村田は、その頭脳をもって江戸で私塾「鳩居堂」を開き、幕府に注目され「お雇い」として召し抱えられ、「蕃書調所教授方手伝」「講武所教授」を勤めた。これらは官制の最高峰の教育機関である。

 ここで初めて長州藩は、はじめて村田を得難い人材として認識し、にわかに村田を「長州人」として藩に取り戻そうとする。天下の幕府に取られて初めて村田の価値に気がつき、「長州出身」という事で村田に接近するのである。

「先生が有名になってから、藩が懇望するのは、あまりに功利的態度であると考えられるが、それは長州人が日常茶飯の如く行う薄情的行為である。その以前は先生を土民ぐらいにしか思っておらず、その存在さえ疑われていたのである」

と、村田の伝記(『大村益次郎』丹潔・昭和十九)は憤慨している。

 この「村田取り戻し計画」に、来原良蔵は無関係ではない。村田が長州藩の「雇士」になったのは、万延元(一八六〇)年四月二十日である。

 ところが、この以前に「井上聞多」の項で書いた聞多の蘭学教授岩屋玄蔵(村田蔵六の後輩)は、どういうわけか一足早く安政六年(一八五九)十二月に長州藩の江戸文武修業所「有備館」の蘭学教授になっている。その推薦者が、来原良蔵なのである。(来原が、兼重譲蔵・藤井庄兵衛・周布政之助の藩政府員三人に許可を求めた公文書が存在する)

 来原が村田と親しくなければ、有り得ない話であろう。村田と来原がいつどのように親しくなったのかは、現時点ではまったくわからない。ただ来原は、安政の軍制改革の主導者であり、軍学の学識深い村田には注目して接近したのであろう。

そして、この稿の裏テーマ「長州ファイブの主役は村田蔵六」という証明が一つ積めたと思う。

 伊藤博文と村田蔵六に、直接的な交友関係は認められないが、伊藤の恩人である来原良蔵は村田と親しかった。また、伊藤のもう一人の恩人桂小五郎と村田の「膠漆の間柄」は有名である。伊藤は、来原・桂二人の師匠を通じて、村田蔵六グループの一員になっていたのである。



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