第11話 伊藤春輔1 熊毛郡束荷村
○熊毛郡束荷村
伊藤春輔(俊輔)―博文。天保十二年(一八四一)、熊毛郡束荷村(現光市)生まれ。日本国初代総理大臣。就任時の年齢は四十四歳で、現在のところ最年少記録だが、おそらく今後も破られる事はないであろう。
その家系は、伊予(愛媛県)の名族河野・越智氏の子孫というが、彼の生まれた時点では、両親が百姓―農民だった事はまちがいない。
伊藤は束荷村に九歳までしか住んでいない。最晩年に別荘が建てられたが、完成を見ることなく、明治四十二年に暗殺された。
伊藤博文の父は十蔵、母は琴という。当時としては珍しいが、伊藤には兄弟姉妹はいない。一っ子である。名は利助(利輔)。
江戸時代、百姓に苗字は無かったわけではない。苗字はあったが、公的文書に認められなかっただけである。伊藤博文の父、十蔵の姓は「林」である。だがこの地域は、同族の林姓が多かったため、「柳」を通姓にしていた。おそらく、門前に柳の木が生えていたのであろう。
農民の世界は、庄屋(関東では名主)を頂点とした階級制度が厳然と存在していた。伊藤の伝記では、十蔵の本家は庄屋で、その縁故で本人はその下役の「畔頭」を勤めていたという。
十蔵はルーズな性格であったらしい。伊藤の顕彰的伝記に、「(十蔵は)粗放の性質で、金銭には無頓着」(『伊藤公実録』中原邦平・明治四三)と書かれているくらいだから、そのルーズさの程度が知られるであろう。
二度大きな不始末(借金)をしでかし、一度目は親類が面倒を見てくれたが、二度目は許してもらえず、絶縁宣言を受けてしまう。村にいられなくなり、弘化四年(一八四七)に萩へ出奔したという。
しかし、この時代そういう事情で郷里を出ることが可能なのだろうか。農民は食糧生産者として土地に縛りつけられ、その土地から離れられない、というのが江戸時代の大基本だ。一時は畔頭を勤めたという身分なら、そう簡単に逃走するわけにもいかないのではないか。寺が管理する人別帳から消されたらアウトだ。無宿者として、人別外の存在になってしまう。しかし、特に問題になっていないのは不思議である。
ともあれ、十蔵は萩へ去り、置き去りにされた妻の琴は、七歳の利輔を連れ実家の秋山家へ帰った。
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