第8話 井上聞多6 一航海で投げ出す

〇村田蔵六を頼る

 ところが、誰も蒸気船の知識などなく、運転できない。当然、出来る者―「外国人」を雇うしかないーという現実的な意見が出たが、ここで面倒な反対意見が出る。

「この船を購入したのは攘夷のためではないか。その船の操船を外人に委ねるというのは、いかがなものか」

という理屈である。井上は、

「実際問題として、自分たちだけでは出来ないのだから、当面は外国人を頼るしかないではないか」

と主張した。「手段と目的」「過程と結果」どちらを重視するのかという問題だ。


 この紛争時、井上と長嶺が頼ったのが、村田蔵六だった。村田が、購入に関与したという記録はないが、何らかの関係がなければ頼るはずはない。修学一か月の井上や長嶺が英語ができるはずがなく、蘭語・英語に堪能な村田は、購入交渉にも何らかの関与したと考えられる。

 村田は、江戸に来る前は四国宇和島藩に雇われ、蒸気船雛形の製造に携わった経験がある。その時ともに携わった職人で、前原喜市(前名嘉蔵)という人物がいる。小説では、提灯張替屋などと書かれているが、細工職人というべきであろう。彼を江戸に招いて、乗船させたりしている。


○周布政之助の功罪

 さんざん揉めた挙句、他藩士(庄内藩士高木三郎)を招聘して、横浜から品川までの初航海だけは、日本人だけで何とかやってのけた。世子の毛利定広が巡見するという事で、必死だったのだ。

 ところが、この短い航海中に聞多や長嶺・大和は、船長の山田亦介と揉め、わずか一航海で職務を投げ出してしまうのである。彼らの言い分は、

「山田は船長とはいえ、あまりに専横にすぎる」

というものだった。山田亦介は、この時五十三歳。聞多と大和は二十七歳、長嶺は二十六歳。世代間紛争である。

 ちなみに高杉晋作も別の船に乗船し、一航海で海軍修業を放棄している。つまり、藩主の小姓も勤めた彼らはプライドが高く、一作業者として肉体労働をするという事が堪えられなかったのであろう。彼らはこの時期もっとも関心があったのは天下国家の政治であったから、地道に技術を習得するような気はなかったのである。

 それにしても、「嫌だから辞める」とは、ワガママに過ぎると思うが、話を聞いた藩重役の周布政之助は、彼らの言い分を認めてしまうのである。三人は下船し、山田は解任された。

 この周布という人物が、過激な若者を甘やかしたことが、その後長州藩が大暴走する一因となっている。周布は、長州藩の中ではいわゆる「正義派」だったために、出来物とされているが、筆者はそういう評価に疑問がある。

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