第3話 井上聞多1 歴史家井上光貞は聞多の孫



 一行の中で最年長は、28歳の井上聞多(ぶんた)である。「もんた」と読む人もいるが、「ぶんた」である。『世外井上公伝』に、わざわざ読み仮名がふってあるので、間違いない。


 井上聞多。天保6年(1835)11月28日、周防国吉敷郡湯田村字高田(現山口市湯田)生まれ。

父は井上光亨、母房子(婦佐子)。六人きょうだいの三番目。兄一人、姉一人、妹三人の次男である。


 井上家は、萩本藩の家臣「八組士」といわれる中士階級(百五十石)。

 井上家は母房子の家系で、父光亨は養子である。素性は、「徳山藩士棟居景敏の弟」という。現在では「○○の子」と親子関係を重視して書くが、当時は世帯主との関係で記録されるから、こういう記録になる。

「光」は、井上家の世襲文字だから、「光亨」という名は、井上家に入婿してからの名であろう。


 ちなみに井上聞多の孫に、日本古代史の権威として高校の日本史教科書などを執筆した歴史家井上光貞(1917―83)がいる。井上光貞の母は聞多の長女、父は桂太郎の三男である。


 井上家次男の聞多は、安政二年(1855)二十歳のとき、萩城下江向の志道(しじ)慎平の娘婿として養子になることができた。(『井上伯伝』は嘉永六年の事とする)

 石高は二百二十石だから、生家の井上家(百五十石)を上まわる家格で、上出来の縁組である。以降、文久三年(1863)の英国密航時に離縁するまでの八年間、彼は志道姓を名乗ることになる。

 ちなみに名前は、井上家の頃は「勇吉」、志道家に入り「文之輔」と改名している。イミ名は、「惟精」という。読みはわからない。「これきよ」だろうか?

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