2

 島での出来事を報告するため、ユウリ達は神殿の応接間に訪れていた。


 ヴィオルの説明を静かに聞きながら、椅子に深々と腰掛けた男。

 周囲からはおさと呼ばれる若い男は、神殿の主にしてフィロスの首領に就任して一年と経たない。

そんな彼もまた激務の連続でやつれていた。

 日を追うごとに世界情勢は悪化していく中、聖戦の余波は遠く離れたこの地にも影響している。それは度重なる援軍の要請であったり、避難民の受け入れであったりと多様だ。

 しかし、それらを全て受け入れる余裕がフィロスにはない。

 全ての対応が後手後手になっている現状で、時に非情な対応も必要だと分かっていても舵を切れずにいた。


「…これで話は終わり。調査じゃなくなったが依頼は達成したぜ」

「ああ、三人には感謝する。しかし、その娘以外の島民が全滅か…やはり天使の眼を欺けなかったのか」

「あんま気を落とすなよフィル」


 若輩の長、フィルは毅然としているが、どうしても落胆の表情が見え隠れする。


「ヴィオル、気持ちは嬉しいが半端な助力でかえって死に追いやってしまったのは事実。私はその責任から逃げられないよ。まずはその娘…エルはフィロスで保護する。そこは安心してくれ」


 あまり心配をしてはいなかったが、それでもエルが路頭に迷わずにすむことにセラ達はひとまず安堵した。


「エルをよろしくお願いいたします」


 こくりと頷くフィルの目線はユウリに移る。

 脳裏にはユウリ達と初めて出会った頃の記憶が蘇っていた。


「ユウリ。体の調子はどうだい?」

「お陰様で。かなり馴染んだと思いますよ」

「一月前には歩くことすら出来なかったのに、今じゃ天使にも引けを取らないとはね」


 あれは三日程続いた豪雨の日。

 初めてフィロスに来た時、ユウリはヴィオルに担がれていた。三人共ひどく疲弊していて、最初はどこかの難民がまた助けを求めてきたのかと思っていた。

 結局ユウリが目覚めたのは一週間後、その時は歩くことはおろか起き上がることも満足に出来なかった。


「この体と、愛銃のおかげですよ」

「謙遜するな。我々としても、君の武勇は頼もしい限りなんだ」

「…誇るようなもんじゃないですよ。むしろ長の方がずっとすごいことしてますよ」

「私?」

「ええ。俺より若いのに、でっかい街の先頭に立って…尊敬しますよ」


 補佐役や住民に褒められることも少なくなかったが、ユウリの飾らない言葉が今のフィルにはじんわりと染みていた。


「ハハハ。何ともまあ、君からそんな風に言われると気恥ずかしいものだな…ん?ユウリ、私より年上だったのかい?」


 ユウリの…ゼノの見た目はこの世界でも珍しい褐色の肌と緋色の瞳に注目しがちだが、容姿そのものは十代後半から二十くらいの整った青年だ。フィルも無意識にそのくらいの齢だと思い込んでいた。


「享年二十五、こっちでは生後一カ月ちょいってとこですかね」

「あまり変わりないんですね」


 すっかり年下として接していたフィルは、急に気恥ずかしくなっていた。


「生後は語弊があるんじゃないですか?」

「そうか?」


 ニヤニヤと下からユウリの顔を覗き込むセラ。

 また変なスイッチが入ったようで、笑みを隠すよう口元に手を添えている。


「それだとユウリ、赤ちゃんですよー?」

「…転生後一カ月ちょいです。おいそのニヤケ面何とかしろぶっ飛ばすぞ」

「ダメですよユウリー、そんな乱暴な言葉使っちゃー。ねーエル?」

「ねー!」


 エルを味方につけられてはもうユウリに勝ち目はない。セラの遊びに慣れ始めたとは言っても、この軽口に完勝するにはまだ遠い。


 そんなやり取りを見せられたフィルも少し肩の力が抜けたようで、ほんの少し笑いがこみ上げた。


「人は見かけに寄らないな」

「傍目に見てるだけなら、なかなか面白いぞ」


 遠巻きに見ているヴィオルに内心同意しつつ。

 こんな会話だけが溢れる日常が、また訪れないかと願わずにはいられなかった。






「おっさーん、来てやったぜー」


 唐突なおっさん発言に凍り付く一同。

 和やかな応接間に、問題児ことアイアが現れてしまった。

フィルを含む神殿の人々の感覚はアイアが来てからというものマヒしてきたようで、またかといった空気になっていた。


「アイア。その呼び方、何とかならないか?」

「えーこの方が呼びやすくない?長ってなんか固いし」

「私はまだそんなに年を取ってないよ。せめて名前でだね」


 なお、いつもの如く聞く耳を持たず口笛を吹くアイアであった。


「まあいい。アイア、彼らに挨拶を」

「お客さん?」

「一昨日まで遠征に言っていた君は知らないだろうけど、彼らは一カ月前からここに滞在していたんだ。今回は我々の仕事も手伝ってもらった恩人だよ」

「なるほどすれ違いだったわけね。対魔獣用に特別編成された討伐隊の暫定隊長、アイアだ」


 アイアは眩しいくらいの笑顔で各々と握手を交わし自己紹介をしていく。

 普段からそれくらい普通にしてくれていれば…と壁際に並ぶ兵士達も少し顔を赤らめていた


「ほお、なかなかの色男…ユウリねえ、その瞳もいい感じ」

「…どーも」

「ヴィオルさんめっちゃマッチョだけど…それだけじゃないね、あんた滅茶苦茶強いだろ?」

「わかるか?腕には自信あるぜ」

「んでんで、セラちゃんね。なにーこのべっぴんさん!こいつは滅多にお目にかかれないぜ、おっさんもそう思うだろ!?」

「私に振るな」

「あり?奥さん持ちだっけ?」

「独り身だ、ほっとけ!」


 応接間は完全にアイアの独壇場となりつつある。

 しかし不思議と嫌な空気になっていないところに、元の世界で言うところのコミュニケーション能力の高さがあるのだろうな、少し羨むユウリであった。


「それで、エルちゃんね。うん、いい。充分可愛らしいけど、これから楽しみな逸材じゃないか」

「本当?セラさんみたいになれるかな!?」

「うんうん、きっといい女になるぞー!」

「やったー!」


 たった数回言葉を交わしただけでエルを懐柔したアイアに、もはや恐怖すら感じていた。


「…アイア、そろそろ」


 フィルの制止も空しく、今度はユウリ達の頭から足の先まで舐めまわすように見始めた。それはもうじっくりと、余すところなく。


「でもあんたらなんでそんなボロボロの格好してんの?仕事って言ってたし…戦場帰り?」

「まあそんなところ」

「美男美女なんだから身なりもちゃんとしなさいよーもー。ここの服屋でいいとこ知ってるからさー」


 このご時世におしゃれも何もないのだが、エルを除く三人は初めてフィロスに訪れた時から替えの服もろくに持っていない状況だった。

 今着ているのはフィルから支給された、兵士用に作られたカーキ色の軍服。

 しかしそれも先の戦闘で、特にユウリの服はボロボロだった。


「アリア、そろそろいい加減にしないか。彼らも時間があるわけじゃ…いやちょっと待てよ」

「フィルさん、どうかしましたか?」

「セラ、ユウリ、エル。長旅で疲れただろうから先に休んでいてくれないかい?ヴィオルは申し訳ないが少し話があるから残ってくれ。アイア、君もだ」


 急なフィルからの提案に驚くユウリ達だが、ここまで辿り着くのに丸二日は乗り物の中で過ごしていた彼らもかなりの疲労が溜まっていた。まだ幼いエルもしきりにあくびをしていた事もあり、特に異論はなかった。


「では、お言葉に甘えて」

「ゆっくり休んでくれ。三人を客室に」


 一人の兵士が三人を先導し、応接室を抜け出していった。


「お話って何でしょう?」

「さあ。何かあるなら、あとでヴィオルが教えてくれんだろ」

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