エピソード 2 : 魔獣

1

 小高い山の頂上に作られた神殿から見える自治都市フィロスは壮観だった。


 斜面に沿って建てられた数々の住居は神殿と同じ白色の石で作られ、長い年月によって山と同化したような町並みはどこか神聖な雰囲気を醸している。そこから遠くに視点を移していけば大自然が広がっている。


 そんな絶景ポイントにある神殿の一室で、アイアは深く溜息をついている。

フィロスの度重なる人員不足で傭兵だったアイアにも声がかかり、特別編成とはいえ全く似合わない討伐隊の隊長なぞに任命される羽目となって今に至る。


 机の上に散乱する報告書のどれもが急を要する案件。頭を使う事がとにかく苦手な彼女はこの手の仕事を嫌い傭兵になったはずだった。


「こーゆー仕事は嫌いなんだってー畜生…」


 聖戦からの避難民の受け入れ、討伐隊の編成および訓練、防衛拠点からの連絡、それら全てを上へ進捗報告するための資料作り。その他にも様々な事務仕事が溜まり、アイアの許容量は端から限界を越していた。


「アイア様~おさがお呼び…ってうわ!」


 アイアは見目麗しい女性である。

 ウェーブがかった長く艶やかな黒髪は横側で一つに結ばれ、軽装の鎧では隠すことのできない魅惑的なスタイル。傭兵稼業で生計を立てているとは思えないきめ細やかな肌。


 要素を並べれば間違いなく美人に違いないのだが。

 そこには大人しくしていれば、という言葉を付け加える必要がある。


「ちょっとそんなとこで寝そべらないでくださいよ!」

「いや…床が冷たくて、その、頭冷やせば何とかなるかなーと」


 部屋の扉を開けた男性兵士は咄嗟に目を覆った。


 地べたに這いつくばり、尻を突き出しながら頭をこすりつける姿は誰の目にも毒である。特に若い男性ともなれば尚更だ。

 隊長の威厳とは…と一言くらい物申したくもなる。


「せ、節度を持ってください!誰が入って来るかもわからないのに!」

「えー、一応ここあたしの部屋なんだけど?」

「私室ではありませんので!僕は伝えましたからね、失礼します!」


 バタバタと逃げ出すように出ていく兵士をアイアはキョトンとした表情で見送った。


 節度と言われても生まれてこのかた、そんなお上品な生き方をしてこなかった彼女にとって縁遠い単語でしかなく、いまいちしっくりとこない。


「ま、いっか」


 壁に立てかけた二本の曲刀を腰に引っ掛け、とりあえず終わらせた何枚かの報告書を持って部屋を出る。


 無駄にだだっ広い廊下を歩いていると、元から神殿で働いている人とすれ違いざまに挨拶を交わす機会が何度かあった。


 世界中に自治都市はいくつか存在していて、土地柄や歴史によってその在り方は大きく異なる。フィロスはその中でも分野を問わず、学問に精通する人物を多く輩出する傾向にある。行政に携わる人間も少しお堅い人物が多い。

 つまり、アリアと相性が合わないのだ。


「(…早くおさらばしてえんだけどなあ)」


 一度受けた仕事はきっちりこなす。傭兵として、信用を落としたら食っていけなくなることは身に染みて理解している。そんな彼女は、非常事態だからと二つ返事で請け負ってしまったことに、今更ながらちょっぴり後悔していた。

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