7
「まだ起きていたんですか」
月の登り切った頃、教会の礼拝室にぼうっと蝋燭の火が灯る。
並べられた長椅子の最前列に腰掛けて、ユウリは虚空を見つめていた。
その横にそっと、長いワンピース型の寝巻に身を包んだセラが近づいてくる。
「それ、どうしたんだ?」
「亡くなったエルのお母さまの物だそうです。借りてしまったのですが、とても着心地がよくって!」
まるでドレスを着ているように裾を掴み持ち上げ、その場でくるっと回ると華が開いたように広がり、何とも満足気な顔をしている。
寝巻そのものは質素な色合いだが、着ている本人に貴品があるせいか上等なものに見える不思議を味わった。
「休まなくてもいいのですか、明日も早いんですよ?」
「眠れそうにないんだ」
「そうですか…隣、失礼します」
長椅子に並んで座る二人の視線の先。
祭壇の奥にある成人くらいの大きさの石像が、うっすらと微笑んでいるように見えた。
「デアって女性神なんだな」
「月の聖戦より前の時代にはよくお姿を見せられていたそうです。私達の目の前に現れたことはないのですが」
「優しそうな神様に見えるけどな」
華奢な体に帯状の布を巻き付けるように纏った姿に彫られたデアの像。
その姿はユウリが想像していた厳つさや尊大さとはかけ離れていて、慈愛に満ちた柔らかな印象しか持てない。
「それでも、聖戦は間違いなくデアの神託から始まりました」
僅かな静寂の後、セラは呟いた。
「デア教の信者は人口の半分くらい。デアは分け隔てなく人々を守るために世界を運営し、不平等のないよう戒律にも明記しました」
「親は違えど星の子に違いなし…だっけ」
「覚えてたんですね、えらい!」
急にユウリの頭を撫で繰り回すセラ。
この手のやりとりも慣れてきたもので、セラの細い腕をパシッと掴み…
「ええ加減にせい」
ピシッと乾いたデコピンの音が響いた。
「痛っ!」
「調子に乗るからだ」
「むぅ。出会ったばかりの頃はもっと可愛かったのに」
「そんな変わってねえし、つか数カ月しか経ってねえし…ったく」
むくれたセラをよそに、ユウリは話を続ける。
「あれは確か、信仰する神が違っても同じ星に生まれた兄弟だから手を取り合えって意味だよな」
「…ええ。私もその教えは正しいものだと信じていました」
セラがポケットから取り出したペンダントに施された、幾何学模様にも似た装飾はこの教会の至るところにある。いつも持ち歩いていることは知っていたが、それを身に着けているところをユウリは見たことがなかった。
「戒律は決して破ってはいけない、教典における最も重要な教えなんです」
聖都の石碑にも刻まれた、教典の最初のページに記載された戒律。
これを破れば、ケースにもよるが重い罰が下されることは間違いない。
「でも、その教えを説いた神が破ってちゃ世話ないですよね」
ペンダントを握りしめるセラの手は、次第に力が抜けていく。
信じていたモノから裏切られ、日常を奪われたのは彼女も同じだった。
「裏庭でエルを見つけた時、自ら鞭を打ちながら泣いていたんです。どうしてって、何度も口にしながら」
その小さな背中についた無数の裂傷をセラが治療したが、痕が残るものもあるらしい。
「まだ幼いのに、体にも心にも大きな傷が残ってしまう。こんなこと、本当に許されることなの?デアはどうして変わってしまったの?」
僅かに震えるセラの声を聞きながら、ユウリは何も答えることが出来ずにいた。
どこにでもあって、誰にも伝えられない悲劇を数多く見てきた。いつしかそれが当たり前のような光景になって、すぐに忘れるように心を殺してきた。そうしないと自分が死んでしまうような気がして。
それをセラは、傷つきながら受け止めている。
「(背負うって、難しいな)」
自分の手で殺めた命に向き合おうと誓っていたが、それだけに留まらない多くの命にまで気が回らなかった。回さないようにしていた。
◇◇◇
「契約した時の約束、覚えてますか?」
祭壇に歩いていくセラは、その上に置いてある使い古された教典を手に取る。
「…もちろん」
「天使と戦って、怖くなかったですか?」
少女の問いに対し簡単に肯定は出来なかった。
元軍人とは言えセラピーを施さない戦闘故のストレスは途轍もないほど感じたし、天使との交戦はずっと死を覚悟していたし、悪夢となって出てきそうなくらいに恐怖していた。
「戦場に出たらそんなこと言ってられないさ」
「本当は、あんな約束をして後悔してませんか?」
それでも、ユウリは平静を装う。
「バカ言うな、俺はお前のおかげで自分の道を貫けた。まあ結果的に犯罪者だのテロリストだの悪名が後世に残ったけど、それならそれで仕方ねえ。けど、お前に貰った恩はしっかり返すつもり」
これから先、何があろうとこの気持ちは揺らがないと言い切れる。
紛れもないユウリの本心だった。
「とりあえず魔獣とか、今日の天使みたいな奴らから助けに行こう」
「うん…でも、最後には」
綺麗事を並べたところで、戦争に正義はない。
どちらが正しいとか間違っているとか。そんなものは誰にもわからないし、誰もがそれぞれの答えを持っている。戦争が示すのは善悪じゃない、力の優劣だけだ。
ユウリは、それだけはよく知っていた。
「ああ。世界を巡って、何も変わらなかった時は」
目の前に佇む銀髪の、幼さが残る顔立ちの美しい女性。
いたずら好きな一面のあるだけで、温厚な心優しい彼女が歩むこれからの旅路を思う。
きっと至るであろう、自分と似た結末。
「その時は、俺が一緒に地獄まで行ってやるよ」
ここから始まるのはきっと、『神殺しの旅』なのだ。
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