5
「私はね、雑草を嫌悪しているんだ」
天使の剣が薙いだ先は悉く両断された。
一挙手一投足が放った衝撃は何であろうと粉砕した。
眉一つ動かない涼しげな表情は容赦なく戦意を削ぎにかかった。
「花壇にひとたび生えれば、せっかく美しく咲いた花が吸うべき養分を奪っていく。何度手入れをしてもね、陽の当たる場所に置いていては図々しく生えてくるのだよ。無駄に高い繁殖能力が忌々しい。愚民共がまさにそれだ」
崩れることのないアルカの余裕に苛立つユウリは逃げ回ることに徹していた。高速で縦横無尽どころか上空さえ飛び回る対象に、一度も銃の照準を合わせることが出来ていない。
狙いを定める僅かな隙を突かれ、鈍い衝撃がユウリの背に走り地面へ叩きつけられた。
「神に見放されたと
「知るかそんなもん」
ユウリが立ち上がる動作に入る隙も与えずアルカの鋭い蹴りが襲い掛かり、なりふり構わず防ぐのがやっとだった。
「月の聖戦において統括神デアと戦った二神を屠った生命兵器ゼノ。それが生まれた意味は我々と同じく、デアの治世を世界に行き届かせること」
「…だから?」
「投降し、君が宿ったその肉体に与えられた使命を果たせ。そしてゼノを奪った罪人の居場所を吐け」
地に伏したユウリの横顔は、垂れ下がる髪に隠されている。
しかし、潮風に吹かれなびいた隙間から、微かに口角が吊り上がっているように見えた。
「何が可笑しい?」
「悪いが今、この体は俺のものだ。神様の傑作だか何だか知らねえけど、こっちにも事情ってものがあるのさ」
刹那。
突き立てられた銃の先から発生した巨大な炸裂音と共に地面が爆ぜた。
巻き起こる土煙でアルカの目を眩ませ、生き残っている建物に駆け上り態勢を立て直す。
「そうかい、あくまでそちら側に就くというのだね」
放射状に輝く翼をはばたかせ上空に、そこから即座にユウリを探知し接近する。
「(ようやく目が慣れてきた)」
次々と家屋に飛び移っても、アルカはすぐさま追いついてくる。
手にする両刃の剣を横に払い、縦に振るい、この動作の合間に拳や蹴りを混ぜてくる。人外の速度から繰り出される一撃一撃は瓦礫の山を作り続けた。
だが先ほどまでと打って変わり、ユウリは多彩な連撃を間一髪で躱し続けられている。
「(手抜きのせいかもしれないが…案外単純なのか?)」
はっきりと動きを捉えられるようになったからこそ、ユウリの肌感覚で言えばアルカの攻撃は雑に見えた。
目を見張る速さも捉え切れるのであれば、ユウリにとってさしたる問題ではない。威力は脅威に違いないが、それを見切って躱す為の身体能力がある。多彩に見えた連撃も、天使のスペックにあかせた合理性のない動きに過ぎなかった。
「(厄介なのは、やっぱ空中にいる時か)」
天使とユウリの身体能力にそこまで差がない。これは受けたダメージからみても対等に渡り合えると判断できる程度のものだ。
決定的な差は翼の有無だった。対人戦の経験はあっても空を自由に駆ける敵との交戦はこれが初となるユウリは、ジリ貧になりつつある状況を打開する機会を伺う。
「そろそろ観念したらどうかね」
初めてアルカの表情が曇った。
躱されつづけたことに痺れを切らし、放射する翼の光が増大して加速する。
亜音速の域に達したアルカの変化にユウリの対応が一瞬遅れ、剣先がユウリに襲い掛かる。
ガキンと金属のぶつかり合う音とともにユウリの体は宙を舞い、今度は見事に着地した。
「…随分と頑丈だな、その銃」
周囲を建物は半壊し、そのほとんどはアルカの攻撃の余波を受けただけだった。
それを超える衝撃を受けてなお、突っ伏したユウリはおろかアルカの一振りを咄嗟に受け止めた黒い銃に傷一つない。
渾身の一撃をたかが銃に止められたことがアルカには信じられなかった。
「今のは…ちょっと危なかった」
何事もなかったように砂埃を払うユウリの持つ黒く無骨な銃。
形状は至ってシンプルで、単一の魔鉱物で形成されている。
「相棒ならお前らの剣も受け止められる、こいつはいい収穫だ」
装弾するための機構が存在しない銃、アルカはそんなものを知らない。
銃とは人々が魔獣から身を守るために手に入れた武器。天使がデアの使いとして世界に散らばったきっかけとなる『月の聖戦』より前の時代、魔法の素養がない者が自然発生した魔素を加工して作った魔鉱物を銃身と弾にする技術の産物。
装弾出来ない銃は、そもそも銃の生まれた意味を成していないのだ。
アルカの額に汗が流れた。
さっきの爆発が銃によるものなら、相当な威力であることは容易に想像できる。
しかし、剣を受け止めた得体のしれない銃が発砲した瞬間をまだはっきりと見ていない。
弾道も範囲も予測がつかない今、心理的に圧されているのはアルカの方だった。
殺さないつもりでいたが、そんな余裕はない。
「加減はしない、必ず…」
実力が未知数の敵との交戦はアルカにとって初である。
剣を握りなおし、一直線にユウリに斬りかかる。
「早いけどさ、もう慣れたよ」
銃身には煌々と、文字の羅列が浮かびあがった。
「散れ」
破裂音と共に銃口から放たれたのは無数の緋色の散弾。
吐き捨てた言葉の通り、閃光はアルカの向かってくる方向へ飛び散っていく。
亜音速になりかけた体を完全に制止できず、剣を盾に無理矢理上空に方向転換する。
「くっ…」
アルカの体は直撃を免れたものの右脇腹に無視できない傷を負い、手足含め数か所をかすった。体に纏っていた
「散弾じゃあ倒しきれないのか…」
銃を撫でるユウリの姿がアルカの癪にさわった。先ほどまで逃げ回っていただけの男が今では余裕さえうかがわせるような振る舞いをしている。
天使にとってこれ以上の屈辱はない。たとえゼノと言えど、中身はどこの馬の骨とも知れないただの人間に、神の御使いが舐められていい通りはなかった。
「主よ、愛し子を傷つけることを許したまえ」
神に見放された者達と同様、楯突く者にはデアの名の元に裁きを。
愛し子としてではなく、外界から来た反逆者として。
見下ろす天使の眼には冷酷な殺気が込められた。
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