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「多分あの天使は招集されなかったんですね」


 オンボロなバギータイプの車両が荒野を飛ばしている。

 肩につくくらいで切りそろえられた銀色の髪をばさつかせる女性が、後部座席で突っ伏しているユウリの背中をさすっていた。


「ここは小さくない島とはいえ聖都からは遠く離れてますから。でも今回は運がよかったんですよ?反撃もされず一方的に天使を倒しちゃうなんて、奇跡なんですから」


 幼さの残る愛らしい女性の口調は穏やかではあるが、目が笑っていなかった。

 口元を抑えるユウリが弱々しく顔を上げた。


「…悪運が強い方だから」

「でも!今度から急にぶっ放すの禁止です!」

「セラ、耳元で叫ぶな、吐きそう」


 車両から頭を出し嗚咽をもらすユウリを横目に、セラは簡素なポシェットから地図を取り出し、指で右下あたりをなぞった。


「あとどれくらいでパスクに着きます?」

「んー何もなければ三十分もかからんな…おいユウリ、俺の愛車を汚すんじゃねえぞ」


 ハンドルを握る筋肉質の男の声に反応する余裕も今のユウリにはない。胃の中のモノを出すまいと、車両のガタガタとした振動に耐えている。


「お前、乗り物に弱かったんか?」

「バカ言ってんじゃねえ」

「ヴィオル」


 セラがバックミラーに向かい首を振ると、ヴィオルと呼ばれた男は勘付いたのか車両のスピードを落とした。


「ガタつくのは何ともなんねえが、少しはマシになったか?」


 ああ、と弱々しく返事をし、ユウリは水筒で口を潤した。


「元の世界ではやったことなかったのか?」

「…あるけど、数えれるくらいだ。あんな至近距離からは撃ったことねえし、こっちの世界じゃ戦闘前のセラピーもないから、ある意味初めてかも」

「セラピーって何ですか?」

「いろいろあるけど、例えば心理カウンセラーの診療を受けてストレスを減らしたりケアしたり…後は薬で制御することもあったな」

「ほお。あっちの世界の軍人ってのはそんなことするのか。手厚いねえ」


 相当に珍しかったらしいヴィオル。対していまいちピンと来ていないセラは少し首をかしげていた。


「えっと、それは戦闘の辛さをあらかじめ軽減させるため…という事で合ってますか?」

「そうだな。でも一番の目的と言ったら、今みたいな状況にならないためかな。少なくとも俺が所属してたところはそうだった」


 この島に着いてからいくつも見た、名前も知らない村の惨状がユウリの頭にこびりついていた。性別も年齢も関係なく、容赦なくすべての人が斬殺されていた。

 セラの推察上、その蛮行は天使一人によるものだとユウリは聞かされた。天使が率いる聖都軍の兵士は銃が基本装備となっていて、剣を扱うのは天使以上のクラスのみに限定されるらしい。


「天使も追い詰められていたのでしょうか?」

「わからない。けど戦争ではよくあることなんだ。いつ死ぬかもわからない特異な環境下にいると、どんな聖人君子も残忍になる可能性がある。それは俺がいた世界の歴史が証明していた」

 

 淡々と語られた別世界の事例だが、セラはすんなりと受け入れられた。


 こちらの世界は『月の聖戦』と呼ばれる神々の戦いから約千年、人は戦争というものを経験していない。勝者となった統括神デアを信奉するデア教によって世界が運営されるようになってからは、命の危険となるのは魔獣の襲撃ぐらいしかなく、それさえ基本はデア教の精鋭である天使達や兵士によってほとんどが対処されていた。


 それが数カ月前、デアの神託によって状況は一変した。

 世界中に配置された天使や聖都軍の大半が聖都に招集され、多くの街や村が魔獣の脅威に晒されるようになった。これに異を唱えた人々が聖都軍によって制圧されるようになり、これを聖都は『聖戦』と総称した。


 聖戦は局所的な制圧戦から様相を変え、現在は自治都市エジンを中心とする東の大陸との戦争へと変貌した。東側の劣勢が続いているとはいえ長期戦となりつつある今、各地で次々と混乱が起こっている。その中には今回のような虐殺も少なからずあるのだ。


「だけどそりゃ戦場に長いこと居たらの話だろ?この島に魔獣もいなけりゃ反乱を起こした様子もなかったぜ?」

「あくまで可能性の話だ。それに戦場じゃなくても、いつもと違うってだけでストレスはかかるもんなんだとさ」

「ふーん。俺にゃ関係なさそうだな」

「ヴィオルは脳みそも筋肉で出来てますからねぇ」


 セラの軽口に空気が和らいだが、ユウリだけは神妙な表情を崩さなかった。

ヴィオルの言う通り、この島は見る限り反乱が起こった形跡がない。いくつかの死体が銃を携えていたものの、天使に到底敵う武器ではなかったし、何より数が少なかった。兵器庫らしい場所には取り出されていない銃が複数あり、どれも整備は整っていた。つまり元々天使を攻撃する気は島民たちにはなかったようだ。印象として、天使が襲撃してきたから応戦したと感じるのが自然な状況だった。

そして、最後の天使とのやり取りは至って正常な人間との会話に思えたことが、ユウリにはずっと引っかかっていた。


「ユウリ?まだ気持ち悪いですか?」


 ボーっと考え込むユウリの頬をつつく白い指。二人は知り合って間もないが、セラにはちょくちょくいたずらめいた行為をする悪癖があるようで、この場合どう返せばいいのか困るようだ。


「大丈夫、話してたらだいぶ楽になった」

「本当ですかー?我慢は体に毒ですよー?」


 うりうりと愛らしい擬音を口ずさみながら、つつき続ける。

 ぶっきらぼうに反応する以外に返せた試しがなく、それをからかうセラの光景は常習化し始めている。


「いちゃついてるとこ悪いんだが」

「んなことしてねえ」

「天使が他にいた場合はどうすんだ?」

「すでに島民は全滅している可能性があります。だとすれば天使がとる行動は聖都に帰還するか、近隣の都市に向かうはずです」

「天使が帰還するとなればユウリの存在が露見する可能性がある、他の都市に向かえば被害が拡大する。となればやるべきことは一つか」


 バックミラー越しにユウリを見るヴィオル。

 正確にはユウリとして彼を見ているのではなく、彼の魂が宿った褐色の肉体。


「ええ、今はまだゼノが起動していることを聖都に知られたくはない。なら、出会った敵は全て倒すほかありません」

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