血にナルシスト。

千島令法

第1話

 何度も殴った。風呂場で殴れば、後始末が楽なことを私は知っている。


 私が殴る理由は、人がどうすれば壊れるのか試してみたかったから。その実験台に、目の前にいる人間が丁度良かった。「自ら殴られてもいい」と言ったのだ。


 パサパサとした長い髪がかぶさった顔はよく見えないが、もうすでに輪郭がジャガイモのようになっていることぐらいは分かる。


 目の前にいる男の髪をかき上げ、よく観察する。右目の上は赤黒く腫れ、目蓋は閉じているに近い。ここまで殴ってしまえば、男性としては致命的なほどの不細工になってしまっている。いや、もともと致命的なブスだった。


 右手で下唇をめくり口の中を見ると、歯が白くないことが分かった。黄ばんでいるわけではなく、鮮やかな赤色をしているのだ。だが、下唇を切ったわけではなさそうだ。傷が見つからない。


 何処が切れているのか確認するため、次は上唇をめくり上げる。すると、すぐ裂傷が見て取れた。左手の人さし指の先でその傷に触れ血をぬぐう。綺麗になった傷口から、ジワジワとまた赤が広がっていく。


 血をぬぐった指先を私の鼻先へ持っていくと、鉄の匂いがした。嫌いじゃない。この匂いをもっと嗅いでいたいと思った。


「そうか、もっと血を出せばいいのか」


 風呂場の鏡のそばにあるラックから剃刀かみそりを右手で掴む。そのまま流れるように、刃を右頬に滑らせる。早くもっと多くの血の匂いを嗅ぎたいと気が逸った。


 最初に剃刀が触れた位置から、丸い玉となって血があふれ出る。そして、その玉から切り込みに沿うように血の線が出来上がる。さらにその上から左手でなぞった。


 左手にべっとりとついた血。大きく息を吐き、左手を鼻先に近づける。


 深く深く鼻から空気を吸い込むと、脳髄を直接叩いたのかと思うほど強烈な血の匂いがした。これが幸せというものなのかもしれない。


 両目を閉じ歯を食いしばって、右腕で顔を思いっきり殴る。剃刀で裂けた傷口がさらに広がった。

 ドバドバと血が溢れ、頬を流れる。


 やはり人間はこうでなければ。人間には血がよく似合う。


 鏡には、いやしく笑う一人の自分と右頬に大きな傷が映っていた。

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血にナルシスト。 千島令法 @RyobuChijima

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