理不尽な(下)
「この、いい加減に諦めやがれ! テメェなんざ――……!? おい、何を持ってやがる!」
コレットの下着に手を伸ばしていたリーダーの男が、ようやく異変に気付いた。
「……え?」
激しく抵抗していたコレットも、手の中にある布が光っていることに気付く。無意識の内に御守りのように握りしめていた、ムネヒトのハンカチだ。
正確には布の全体でなく、彼が刺繍したという妙なマークが光っている。見たことのない図式だが、模様が浮かび上がり目まぐるしく光る様子は、男達もコレットにも覚えがあるものだ。
「しょ、召喚獣だとぉ!?」
男達は慌ててコレットから離れ、それぞれの武器を取る。
「く、っ、……な、なに?」
打撲やすり傷でボロボロだが、辛うじてそれだけで済んだコレットはゆっくりと身を起こす。ハンカチを境界として放たれていた光が、コレットの直ぐ側で一つの個体を形作る。
大きい。しかし、人と比べればの話だ。モンスターとしてはそれほど大きくはない。
モーゥ!
「!?」
それが、顕現と同時に発せられたモンスターの第一声。
あまりに間の抜けた鳴き声に、コレットも男達も目を丸くする。
モーゥ!
「……牛ぃ!?」
牛だった。何処からどう見ても完璧に牛だった。しかも狂暴な赤茶色をしたバッファロー種とかではなく、白黒模様の乳牛だ。
何の変哲もない……恐らくは雌牛。強いて特筆する点を挙げるなら、角に何かの布が巻き付けてある位だった。
「貴女、もしかして……!?」
唯一、コレットだけがこの牛が誰なのかを察する事が出来た。いつも彼女のおっぱいをチラチラ盗み見ていた青年が、自慢気に語っていた牛だ。
「はッ! 何かと思えば牛かよ! しかもモンスターじゃなくて、見たところただの家畜じゃねーか!」
緊張に満ちていた空気が霧散し、自分達の振る舞いすら馬鹿馬鹿しくなったように誰からとも無く笑った。
女の肉を味わい損ねた鬱憤を嘲笑に乗せながら、リーダーは得物である長剣を力の限り振り下ろす。
「急に出てきて邪魔すんじゃねえぞクソ牛がぁぁ!」
「! ――ハナちゃん、危ない!」
ベキン。
「えっ」
「えっ」
モっ?
刃の厚い剣は牛の臀部に当たると、あっけない音をさせて半ばから折れてしまった。対して牛の方には毛ほどの傷も無い。
半ば以上失ってしまった武器と牛を交互に見やり、男は首を傾げた。
「えっ、あれ? お、俺のブロードソード、先週下ろしたばかりの新品なんだけど……あれ?」
モーッッ!
(誰ですか貴方! 邪魔ですけどッッ!)
ぐぢゃり。
「 あ 」
ハナの後ろ足が跳ね上がり、男の股座にめり込んだ。ぐりんと、一瞬で白目を剥く。悲鳴はむしろ周りの仲間達から漏れた。
致命的と形容するしかない一撃は睾丸を二つとも潰し、コレットに向けイきり立っていた肉茎を折り、骨盤をも粉砕してしまった。
「――っ――ッ」
男は全身を垂直に硬直させると、泡を吹いて気絶した。股間からは血と生涯最期の精が混じった尿を漏らしている。
あまりの激痛に意識は覚醒し、そして激痛のため再び気絶するという苦行を繰り返し始めた。
辛うじて生きてはいるようだが、色々な意味で再起不能だった。今はもうピクピク痙攣しながら悪夢と現実を往復するだけの生物に成り果ててしまった。
モーゥ! モーゥ! モーォォォォォォ!
側に転がった半死半生の芋虫には目もくれず、ハナは鳴き続けた。
コレットには勿論、牛である彼女の言葉を理解する事はできない。しかし、何が言いたいのかは理解できた。
「ハナちゃん、もしかしてオリくん……ムネヒトくんの所に行きたいの?」
モーッ!?
ムネヒトという単語に反応したハナはコレットに詰め寄り、鼻面を彼女の胸……そして、手に握っていたムネヒトのハンカチに当てる。
モー! モモーゥ!?
「え、え? なになに!?」
例によって何を言ってるかは分からないが、どうやら怒っているらしい。多分だが彼女は、何故コレットからムネヒトの匂いがするのか、また何故ムネヒトのハンカチを持っているのかを問い詰めているのだろう。
「テメェよくもお頭を!」
「構うこたぁねぇ! 女ごとぶっ殺しちまえ!」
呆然としていた男は我に返り、ハナとコレットを取り囲む。見れば今まで静観していたモンスター達も、その列に加わっていた。数の差から、唸り声だけでもかなり圧迫感がある。
殺意に包まれコレットは身を固くするが、ハナは緩慢に辺りを見回すだけだった。
モゥ?
ギロリと、温厚そうな瞳が召喚獣達を見た。睨んだ? とコレットが感じた次の瞬間に、事態は急変する。
「――な!? ひ、ぁ、ぎゃあ!」
「あ、おい、なんっ止めゴッ!?」
ハナの眼光で貫かれた召喚獣は全身をビクつかさせると、いきなり男達に襲い掛かったのだ。
全く予想外の攻撃を受け、男達は狼狽に支配される。味方であるモンスターの圧倒的な物量は彼らの頼みだったのだが、それがいざ敵に回ると手も足も出ない。
「だ、助けてっ、――ぎぃ! だ、だ、れが、だれがぁ!」
「痛、いだい、いだいいだい! やべ、やべでぐれぇ!」
自分達がコレットにしたように、一人につき十匹近いモンスターが寄ってたかって牙を立てていく。ある者は衣服ごと肉を噛み千切られ、ある者は骨と血をすすり食われた。
あまりに一方的すぎる蹂躙は、もはや戦闘では無く補食だ。
「あが、あが、あが、あが――」
ハナに陰部を破壊された男も、巨大な蜘蛛やムカデといった毒を持つモンスターに捕らえられ、四肢から貪り喰われていった。
もっとも、彼が喰われている事に気付くのは絶命する十分前になる。麻痺毒を流し込まれながら下半身を喰い尽くされ、
モーゥ?
彼らの絶望に満ちた最期を見る理由などハナには無い。牛は背を向けると、コレットに語りかけるように鳴いた。
乗れと言っているらしいが、何となくイヤそうな顔に見える。
「……乗せて、くれるの?」
モーゥ、モーゥ、ハァ……。
「いま溜め息ついたでしょ……?」
それでもムネヒトの知り合いだからか、ハナはコレットを背に乗せてくれるらしい。
「……――っ」
迷いは数秒。コレットはハナの背に抱きつき、今は姿の見えない友人へ向かって呼び書けた。
「待ってて……! 直ぐにオリくんを呼んでくるから!」
お願いハナちゃん! とコレットが言うと、ハナはモーッ! と鳴き、勢いよく走り出した。貴女に言われるまでもありませんけど! と言っているのが、コレットにも分かった。
・
「な、何だあの牛は!? 何が起きた!? 召喚獣の支配権を奪ったのか……!?」
ルーカスも、瞬く間に変化した事態に手を拱いていた訳ではなかった。
取るに足らない相手だが、不慮の事態はなるべく避けねばならない。そう判断したルーカスは、使役していた召喚獣達を使いコレットと召喚牛を排除させようとした。
――望む結果は得られなかったが。
「答えろ! あの牛はなんだ!? 誰が使役している!」
「ぁ……ぁあ……?」
ルーカスは呆けていたアメリアの胸倉を掴み挙げるが、彼女もまた事態を把握していないらしく、フードの下からは不規則な呼吸音しか聞えてこない。
「――ちぃっ! 役立たずが!」
元婚約者を突き飛ばし、女を背に乗せ走り去っていく牛を睨む。
自分の計画は完璧だ。完璧でなくてはならない。強迫観念にも似たルーカスの克己心は、ほんの僅かな綻びすら許せない心地だった。
彼は意識を集中し、会場中に散っている十人ほどの自分と視界を共有する。
複数の視覚情報を同時に得るのは、頭に多大な負担を強いる事になるが、ルーカスは構わなかった。
「(それぞれが使役しているモンスターの半分を回し、いま
ルーカスは自分達と記憶を共有し、同時に使役している召喚獣と雇った裏稼業の男達へ牛を殺すように命じる。
ほとんどタイムラグなく命令は実行に移された。三百を下らない召喚獣と用心棒の混成部隊は、ルーカス達の命令に従い牛の走り去った方角へ殺到する。
「く、ははっ! 問題ない……! 全て想定内だとも! この『ポミケ』で起きることを、私は全て見通せている!」
未だ仮の身分とはいえ【神威代任者】として力を振る全能感に、ルーカスは酔いしれた。この会場内で何が起きようと、結局は些細なこと。計画実行中に起きる現場での摩擦に過ぎない。
誰がどうあがこうと、逃げ場など最初から無いのだ。ルーカスがこの日の為に用意した『魔石』は、一週間程度なら『ミスリル・タワー』を稼動させ続ける事が出来る。
また、いざとなれば神威『神隠し』の中へ全員を招き入れ、完全なる牢獄の中に殺戮と蹂躙を展開することも可能だ。
この神域に有象無象を招き入れるのは業腹だが、背に腹は代えられない。優先すべき事を、自分は間違えない。
明晰な頭脳を持つ彼は、
しかし、だからこそ雑事に注意を払うべきだった。
例えば、先のオークション会場で奮闘していた黒髪の青年が、突然何処かへ走り出したことなどに。
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