脱獄者
「――ハナ!?」
モンスター達の呻き声や咆哮の向こうから、ハナの鳴き声が聞こえた。空耳か? いや違う、俺がハナの声を聞き漏らす筈が無い。
「どういうことだ……脱走でもしたのか? でも、なんで……まさか――」
まさか、俺を探しに……!?
こんな事態で不謹慎だとも危険だとも思ったが、嬉しかった。ハナの鳴き声は確かに俺を呼んでいた。皆を見捨てるような形で牧場から逃げ出した俺を、だ。
「ははは……ったく、仕方の無いヤツだ! マルじゃあるまいし、柵でも壊したんじゃないだろうな! バンズさんに怒られても――……」
ふと、自分の発した言葉の中にヒントを見つけた。
「……そうか、その手があったか! サンキューハナ! バンズさんには一緒に謝ってやる!」
・
「『
雷電を帯びた拳が分厚い魔力の障壁に突き刺さる。ガラスを何枚も同時に砕いたような音をさせること十数秒、ゴロシュは障壁に弾かれ拳を引く。
もう何十度目かの攻撃も徒労に終わる。メリーベル、ゴロシュ、ドラワットの顔に濃い焦燥が刻まれていた。
依然として、目の前には空気が固形したような白色に輝く半透明の壁が聳え、メリーベル達の侵入を阻んでいた。壁の向こう、会場の内側からは絶えず悲鳴や怒号が響き、モンスター達による犠牲者が増えていく。
助けを呼ぶ声が聞える。魔力の牢獄を叩いて此方を非難する声も聞える。
ほんの数メートル先で倒れていく人々にの目の前して、何も出来ない無力感は騎士達の精神を苛み続けた。
「くそ、駄目だ! 何度やっても通じやしねぇ!」
「狩猟祭の時といい、ホント自信無くすぜ……!」
肩で荒く息をしながら双子の弟は毒づいた。
彼の兄も忌々しそうに障壁を睨み、剥き出しの『ミスリル・タワー』を殴り付けた。
『雷速』の二つ名を持つゴロシュは、電系の魔力を脚に纏わせ壁や柱を走り昇る事が出来る。かつてマゾルフ領での『タイド草』捜索において重宝した彼の能力も、今回は発揮する場を得られなかった。
柱が発している魔力が強すぎて、雷を纏わせる事が出来ないからだ。
仮に可能だとしても、側面のみでなく会場の天井も障壁に覆われている可能性が高い。空を飛ぶモンスターに対応するための防御機構だが、今はその堅牢さが恨めしい。
「壁が厚すぎる上に魔力量も膨大だ。斬ったところで、直ぐに塞がってしまう……!」
同じく額に汗を滲ませたメリーベルも、悔しそうに呻いた。
銀の柱が発している魔力は、左右に隣接する柱同士の結び付きでより強固な物になっている。理論上、もっとも魔力の薄い二柱のちょうど中間でも変わらなかった。
源である『ミスリル・タワー』を破壊するのも困難。雨風やモンスターの襲撃に耐える柱が脆弱であろうわけがない。
――私に、もっと剣の腕があれば……!
ミスリルとアダマンタイトで鍛えられたスピキュールならば、障壁や『ミスリル・タワー』そのものを切り裂く事も出来るはず。
それが叶わない原因は自分にあるのだと、メリーベルは自身の未熟さを呪わずにはいられなかった。
(しっかりしろ、無いモノねだりをしたって仕方無い!)
「私は諦めんぞ……! せめて一つだけでも機能停止に出来れば――おいドラワット! 何を呆けている!?」
「ふ、副団長……兄貴……! あれを見て下せぇ!」
ドラワットの声がメリーベルとゴロシュの視線を呼んだ。彼が指差したのは、遥か向こうに此方と同様に佇む『ミスリル・タワー』の一つ。
最初、彼が何を見て慄いているのか分からなかったが、副団長も兄も愕然と眼を見開いた。
「傾いてる……!?」
メリーベルの見間違いで無い事は、ゴロシュが事実を口にしたことでも分かった。空を真っ直ぐに指していた銀の柱が、その角度を僅かに浅くしていた。
「いや違うぜ兄貴! か、傾いているどころか……!」
「! おい誰か! 双眼鏡を貸してくれ!」
・
薬師も客も冒険者達も、皆一斉に信じられない物を目撃していた。
事の起こりはほんの数十秒前。一人の青年がいきなり走ってきて、障壁側に集まっていた者達に離れるように促した。
『ミスリル・タワー』からはモンスターが嫌がる魔力波を放出する機構もあり、側に張り付いている限りは並みの召喚獣に襲われる事は無い。
その為に自分達を危険に晒すのかという反発も当然あったが、彼は少しの間だけ他の冒険者に頑張って貰うからと言って聞かないので、皆はしぶしぶ魔力障壁から距離をとる。
周囲に充分なスペースが出現した事を確認すると、青年は『ミスリル・タワー』の一本に屈みながら抱き、顔を真っ赤にして力を込め始めたのだ。
切迫した事態の中、あまりに奇怪な彼の行動は一同から言葉を失わせた。呆れるあまり、力ない笑いを浮かべるものさえいる。
どうやら疲労と恐怖とで頭がイかれちまったらしい。程度はあれ、青年に抱いた皆の印象は大体一致した。
「あれ……?」
最初に異変に気付いたのは一人の幼女だ。
まだ幼く、自分達が陥っている状況を正確に理解できていないが為に、偏見無くムネヒトをする事を見る事が出来たのだ。
「ぱぱ、まま、たわーが
娘の言葉が耳に入る前に、彼女の両親も異変に気付いていた。気付きは驚愕と共に伝播していき、一同から顔色を奪う。
「お、おおぉぉ……!」
雄叫びを上げながら、ムネヒトは『ミスリル・タワー』を掴んだまま腰を上げていく。彼の十指は柱の銀へことごとく食い込み、彼の膝が伸びていくにつれ柱が高さを増していった。
ミスリルはアダマンタイトやオリハルコンなどよりは軽いが、鉄よりずっと重い。高さは50メートルを越え、成人男性が二抱えするほどの太さを誇る金属の柱だ。
「いやいやいや嘘だろ、何キロあると思ってんだ……」
タワーの総重量を知るものなど居ないが、少なくともキログラムの単位では足らないだろう。
「が――ぁ、ああ――ああああああああああああぁあああああああああああああ!」
ムネヒトは遂にはそれを持ち上げ、強固な障壁を引きちぎる。高密度だった魔力は、隣との相互作用を宙へ失った。
参加者達は余りの危なっかしさに悲鳴を上げて彼から更に離れるが、ムネヒトの顔にはまだ余力があった。
「っと、おっと、っと……ふふ、軽い軽い。ミルシェのおっぱいの方が、まだまだ重く感じるぞ!」
彼の下らない冗談も耳には入らない。皆の口は、上顎と下顎が仲違いをしたままだった。
冒険者達の中にも力自慢は山ほどいるが、果たしてアレはその範疇に収まるのか。
「まさか、あ、あれが……」
騎士の一人に、とんでもないヤツがいると噂で聞いたことがある。
剛力無類、怪力無双。その男は街に現れた巨人を破壊し、狩猟祭で神獣と素手で渡り合ったという。
自分達は出来の悪いお伽噺だと笑い飛ばし、長い尾ひれを持つ
だが目の前の光景は雄弁だ。
あれが、王都第二騎士団の鬼札。
「どれ」
柱の中心辺りを肩に担ぎ直し、バランスを取りながら青年は平然と歩きだした。
参加者達は、見えない手に押されたように道を譲る。彼は一歩一歩、足下を確かめながら進んだ。重さで沈む地面に難儀しながらも、耕すようにして歩いた。
「お兄ちゃんすごーい! 力持ちなんだね!」
皆が黙って呆けている中、先ほどの幼女が無邪気に話しかけると、ムネヒトは歯を見せて得意気に笑う。
「だろ? 毎日おっ……んんっ、美味しい牛乳をいっぱい飲んでるお陰さ。あ、ほら。障壁に穴が開いたっぽいから早く逃げると良い。転ばないようにね」
ムネヒトの言葉に皆が振り向くと、壁の一部が消えていた。等間隔で設置されていた『ミスリル・タワー』の一本が消え、魔力が届かなくなったのだ。
「で、出られる! 外へ逃げられるぞ!」
悲鳴混じりの歓喜を皮切りに、皆は我先にと出口へ殺到する。閉鎖された空間に押し込められていた不安が爆発し、一斉に外へ飛び出させたのだ。
出口の幅はおよそ10メートルほど。決して狭くは無いが、整然とは程遠い大渋滞に焦りと苛立ちとが蔓延していく。
「早くしろ! 早くしないと、モンスターが……! ひ、ひぃぃぃ!」
誰かの不用意に放った一言で混乱は巨大化した。事実、後ろからモンスター達が、手頃な獲物を求めて密集場所へ殺到してきていた。十や二十では無い、中には『
慌てて迎撃の姿勢を取り直す冒険者達より、
「ぬ、あぁぁぁっ!」
ムネヒトは軸足として右足を地面に突き刺し、バットを振るうような速さで柱を横凪に払う。
轟音と共に、モンスター達の津波に草原の緑色が生まれた。巨大な金属の塊に圧され、あるいは潰され、一蹴されたのだ。
夥しい数の召喚獣が絶命し、幽体型のアンデッドも塵と消えていた。
ムネヒトにとって、膨大な魔力を発するミスリル銀の柱は、対幽体型の武器としてお誂えな『魔剣』だった。
「モンスターは俺が引き受けますんで、慌てないで下さい。あ、でも討ち漏らしたヤツは頼みます」
冒険者達に依頼しながら、ムネヒトは再び
チラと、ムネヒトは掴んでいる『ミスリル・タワー』を見る。
何処も壊れてない。いやまあ、地面に刺さってた根元は怪しいし、腕とか突き刺してるけど……後で戻しておくから勘弁して下さい……と内心で言い訳する。
「ともかく、思いきり振っても壊れない武器も手に入ったし、皆が逃げるための穴も作れて一石二鳥! 何でもやってみるもんだな!」
ただの思い付きだったのだが、ことのほか上手くいってムネヒトは上機嫌だった。
・
「間違いねえ、ムネヒトだ! すげぇ、あの野郎『ミスリル・タワー』をぶち壊しやがった!」
「中に居た参加者達が一斉に逃げていきまさあ! 副団長、俺達も行けます!」
双子の騎士が興奮に耳まで赤くして叫んでいた。
メリーベルもまた、焦燥で冷えきっていた胸中に火が流れ込むのを感じていた。
「むねひと……!」
ムネヒトはきっと、人々を勇気付けたかったのだろう。彼は、閉じ込められジワジワとなぶり殺される恐怖から皆を解放したのだ。
殺戮の監獄を破壊する、偉大なる脱獄者。
鎧の外側にまで響く程に、心臓が高鳴って仕方ない。自分の生涯を捧げても惜しくないと再び思えるほど、彼という男が誇らしかった。
「――ありったけの拡声器を使って、参加者達を出口まで誘導しろ! 障壁に沿って移動させれば、モンスターに襲われる可能性を最小限に留められる筈だ!」
昂りを抑えず、メリーベルは第二騎士団の面々へ命令する。彼が働きを見せたのだ、自分達がモタモタして良い訳が無い。
「合流するぞ! これより第二騎士団は、ハイヤ・ムネヒトを援護する!」
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