ムネヒトvs.三日月の女神達(上)

 

 クレセント・アルテミスのオリオン、ムネヒトは真面目に働き始めた。いや、もとより勤勉に労働していたのだが、休み明けから鬼気迫るといった風に猛烈に仕事をし出したのだ。


「ん、あの客はこのギルドに来るのは初めてだな……よし。ちょうど人員もテーブルも空いてるし、フォーメーションを組んでくれないか?」


「フォーメーション? どんな?」


「あの依頼主を中心に、アレニ、ベティ、ハリッサ、デジー、エカテリナ、ファニ……の順で並ぶんだ」


「? まあ良いけど、それに一体なんの意味が……――あっ!」


「流石だ、気付いたか。そう、バストのカップ順だよ。サイズ順で隊列を組んだ冒険嬢達のうち、誰が注目タゲ集中されてるかを見極めるんだ。男の視線が何処を見てるかは皆の方が良く分かるだろ?」


「……デジー(Dカップ)とエカテリナ(Eカップ)の間を視線がウロウロしてる! あの依頼主サマはD~Eカップが好みなのね!」


「決まりだ! 今座っているC未満とF以上の冒険嬢を、DとEの冒険嬢達と自然に入れ替えろ! 好みのおっぱいで包囲して、依頼主様の財布のガードを崩せ!」


 またある時には、


「ちょっと試しにランキングを張り出してみないか?」


「ランキング……? 私達のならもう有るけど? 推しの冒険嬢をランキングに載せる為に貢ぐなんて、別に珍しいことじゃ……」


「逆だ、依頼主のランキングを張り出すんだ。もっとも来店した者、もっとも料理や酒を注文した者、もっとも指名依頼を出した者をそれぞれ掲示する。どんな小さいランキングでも良い、カッコイイ靴下部門とかでも、だ」


「!?」


「腕利きの冒険者……いや、男ってのは比べ合うのが好きなんだ。王国一のおっぱいギルドで、自分の名前が燦然と飾られていれば悪い気はしないだろう。またランク外の依頼主たちの、『アイツには負けられない』『俺もランクインしてやる』という野心も駆り立てる事が出来る。上位者には報酬を出す事も忘れるな」


「す、すごい……そんな発想があったなんて……!」


「あと、依頼主があまり無茶な注文をするようなら『貴方が心配なの。絶対また来て欲しいから、あまり無理しないで』とフォローもするんだ。客商売では依頼主の本名を囁くのがコツなのは、皆には今更言うまでも無いだろう?」


 またある時は、


「『おめでとう! 貴方は本日100人目のご依頼主様です!』とかテキトーな理由をつけて、試しに無料で個別依頼をさせてみるのはどうだ?」


「ええ!? 指名料金を取らないって事!? せっかくの稼ぎなのに、なんでタダ働きさせるような事を言うのよ!?」


「皆と二人きりで過ごす時間の価値を落とすワケじゃない。中には萎縮して、冒険嬢と二人きりになれない男だっている。そういうヤツから指名を得るには、まず個室で二人きりは怖くないというイメージを作るべきだと思う」


「えっと、つまりどういうこと……?」


「……こんな話がある。靴を知らない種族に靴を売るにはどうすれば良いか?」


「?」


「まず無料で靴を配布し、その便利さを実際に体験してもらう。それから靴の修理だったり、新しい靴の販売を商売にするんだ。女の子と二人きりで話す楽しさ、お酒を飲む楽しさを知ってもらうのさ」


「……そうか! 個別依頼を知らない人に、個別依頼は金に見合うだけの価値が有るって印象を与える事が出来れば……!」


「ああ。味を占めた男は、次は金を払ってでも皆と過ごしたいと思うようになる。自分で嬢を指名する勇気が無くても、無料でサービスしますってなれば首を縦に振るだろう」


「さっすが! チキンな童貞ならではの着眼点ね!」


「うるさい!」


 ――と、そんな具合にムネヒトは『クレセント・アルテミス』へ貢献をもたらす事に心血を注いでいた。

 頼もしいことだが、それを不服と思う冒険嬢も多く居る。言うまでも無いことだが、彼が必死に働いているのは借金を返すためだ。

 一日でも早く自分達の下から去ろうとするムネヒトを見て、彼女らは焦りを感じていた。


 ――金貨81枚を返すまでには、ムネヒトは諦めて自分達の乳房に溺れるに違いない――。


 そう『クレセント・アルテミス』の冒険嬢達のほとんど全ては確信していた。一日も持つまい、誰が彼の童貞を奪えるかと賭けに興じていたものも居る。

 だが現実はどうだ。未だにムネヒトは、誰にも靡いていない。

 ムネヒトの弱点は分かり切っている。おっぱいだ。この『クレセント・アルテミス』の歴代依頼主でも、間違いなくランキング一位に君臨する大おっぱい好きだ。


 たまに変化球を投げたりする冒険嬢も居るが――。


『ねえ~、オリオーン、ストッキングが、蒸れちゃって脱げないの~……破いて、脱がせてぇ~?』


『え、ヤダよ。破くだけなら俺を呼ばなくても良いだろ』


『…………』


『あーん、オリオーン。フロントブラのホックが曲がって外せないのぉ……おねがぁい、外してぇ?』


『おひょひょひょひょ!? しょしょしょしょうがねえなぁ……ふひひっ……いやいやいや駄目だ! 別の誰かに外して貰いなさい!』


 乳房が自慢の彼女らだが、乳房以外も勿論自慢だ。だが――。


『んっ、ショーツ濡れちゃった……これ、お気に入りだからさ、オリオン、手洗いしてね? ふふふ、一回くらいなら、オカズにしちゃっても良いわよ?』


『え”』


『え”って何よ!? 別に汚くないわよ!』


『わ、わがっだ……ぢゃんどギレイにずる』


『鼻を摘むな! 長い棒で挟んで運搬するな! 臭くないっての! ちょっと嗅いでみなさい!』


『ぉわ!? 近づけんな! お前もう自分で洗えよ!? えんがちょ!』


『何よえんがちょって!? 意味わかんないけど、バカにしてんの!?』


『オリオン、ブラジャー洗って欲しいんだけど、ダメ?』


『おぽぽぽぽ!? ま、まままま任せろ! 皆の服を洗うのも俺の仕事だからなっ! そうだ、手洗いして良い!? いや変な意味じゃないぜ!? ブラジャーの型崩れを防ぐためだぜ! ホントだぜ!?』


『…………』


 彼女らをしてちょっとどうなの? と思わせるほどのおっぱい好きだ。彼のフェチは初日のうちに皆の知る所になった。おっぱいを攻めの要にすれば良い。簡単な話だ。

 だが、そんなムネヒトを落とせていないという事実は彼女らにとって屈辱だった。

 三日月の女神達は今、ムネヒト対策の緊急会議を開いていた。


「ねえ、どうすんの? もう明日だよ?」


 第二騎士団のジョエルとの約束の期日ももはや明日だ。あの男が何の策も持たずに来るとは思えず、高確率でムネヒトは此処から去る事になるだろう。


「分かってるわよ! でも、こんなに手間取るなんて思ってなかったもん! 皆だって、『テキトーにしてとけば余裕』だって言ってたじゃん!』」


 皆一様に頭を抱えていた。

 どういうことだ、彼はおっぱい王国民じゃなかったのか。何故こうも我々の誘惑に抗うことが出来るのだ。

 我慢強いとか理性的とかだけでは、もはや説明できない。


 そして、ディミトラーシャですら通じなかったという事実は三日月の女神達を驚愕させていた。


「……」


 ギルドマスターのディミトラーシャは、両眼に憤怒の雷光を漂わせ沈黙している。

 彼女は昨日ムネヒトを自分の寝室に呼び出し、必殺の『オイルマッサージで身体も理性も二人でトロトロ作戦』に掛けたのだが、彼はそれをも退けた。ムネヒトはディミトラーシャを抱くことなく部屋から出て行ったのだ。※


 あの状況で自分に手を出さなかった男は初めてだった。


「…………ッ」


 今思い出すだけで、ハラワタが煮えくり返りそうだった。

 昨日、ムネヒトは夢中になってディミトラーシャの乳房を愛でたのだが、最後の一線は越えずに去っていった。

 火照った身体のままベッドに取り残されたディミトラーシャは、しばし呆然としてしまった。

 手を出さない事が紳士的とでも思っているのだろうか。ふざけるな、女を馬鹿にしているにも程がある。

 抱かれると決めた女をベッドに棄てる行為が、どれほど残酷な事かをあの男は理解していない。


 腕によりを掛けたフルコースのいざメインディッシュとなった時に「要らない」と言われるようなものだ。

 料理を用意した料理人の立場はどうなる? テーブルの上で寂しく冷えていくメインディッシュの末は?

 紳士的だとはとても言えない。もはや臆病者とも形容できない、残忍にも劣る外道だ。


「……何らかのスキルを使ってるわよね」


 ポツリと、一人が自分の意見を口にする。その考えに異を唱えるものはいなかった。皆、無言の内に同意を示したからだ。

 魔法系スキル『魔術』にも、戦士系スキル『技巧』にも、精神に作用する物は多くある。例えば一時的に勇敢にさせるとか、逆に相手に恐怖をおこさせるとかいったものだ。

 ムネヒトが使っているのは、恐らく冷静さを取り戻す類いのスキルだろう。思い当たるといえば、あの動作だ。

 彼が自分達の胸を見る目は、視線だけで火傷しそうなほどの熱を孕んでいた。その瞳に写されるたび「もしや今日なのでは?」と誰もが期待に胸を躍らせる。

 だがその度にムネヒトは深呼吸し左胸に手を当てていた。すると、平静過ぎるほど平静に返る。結局は踊らせ損だった。おっぱいは揺れると痛いんだぞ。


「魔術を唱えていた様子も無いし、『定型連鎖技巧ルーティン』じゃないかな?」


 ルーティンとは、どちらかといえば『技巧』に類するスキルだが、特筆するほど珍しいものでもない。

 決まった動作を意味するルーティンは、大なり小なり誰もが日常の中に取り入れている。朝起きて直ぐに水を飲むや、仕事を行う前に頬を二度叩くなどだ。

 ただし、熟練すれば自己催眠やスイッチと形容されるほどの域に達し、その動作に結びつけた精神状態へ瞬時に切り替える事が出来る。


 彼女が言った『ルーティン』は、更にその先。ある動作をする事により、というものだ。

 恐らく枠外エクストラに類するその技巧は、圧倒的な時間的短縮が可能になる。彼女の知識にある凄腕の冒険者は、剣を正眼に構えただけで十に近い技巧を発動させていた。

 習得、習熟までには時間と忍耐を要求されるので、使い手は少ない。使える者も意図して会得しようとしたわけでは無く、長い経験の中で自然に身につけた者が殆どだ。


 恐らくはムネヒトも『ルーティン』を使っている。

 左胸に手を当てるという動作が、冷静さを取り戻す多くのスキルを発動させるトリガーなのだろう。


「そんな事は関係ありんせんよ」


 皆の考察を、沈黙を守っていたギルドマスターが切り捨てる。静かな物言いだったが、活火山が噴火する前に起こす微細な地震にも似ていたように冒険嬢達には思えた。


「結局のところ、オリオンはわっちらを抱きたくないと言っているんでありんす」


 彼女は純然たる残酷な事実を叩きつけた。

 つまり、そういうことだ。彼が自分達に抱いているのは、遠慮ではなく拒絶。


「やっぱり、女よね……」


 私達以上の乳房の持ち主が居ると女の勘が囁いている。彼が酔いに紛れ言った言葉、ムネヒトの心に棲む女がいるのだ。

 サイズか、色艶か、感度か、はたまた触り心地か、ともかく極上のおっぱいを彼は知っている。故に自分達の誘惑に堪えられたのだ。

 これほど悔しい事があるだろうか。

 自他共に王国一を謳う我ら以上のバストが、この王国に居る。

 過去の依頼主には、故郷に婚約者を待たせる国家冒険者がいた。家族をもつ大富豪も居た。愛する女へ固い操を立てていた男も、一時間後には自分達の乳房で微睡んでいた。


 だがここへ来て、何としても欲しい男が振り向いてくれない。培ってきた女としての自信に亀裂が入る心地だった。

 ここにいる数十名、数にして百を越えるバストが、たった一人双つの乳房に及ばないのだ。他の女にこうべを垂らすのは、おっぱいが垂れるのと同じくらい嫌だ。


「…………『四天乳テッセラ・マストス』を全員呼び出しなんし。オペレーション・シスターズメイカーを発動するでありんす」


 屈辱の沈黙に陥りかけた彼女達を現世へと引き戻したのは、ディミトラーシャの言葉だ。


「シスターズメイカーって……マスター、本気なの!?」


 彼女と同様、沈黙していたコレットが席を蹴って立ち上がった。皆の驚愕の視線を浴びても、ギルドマスターは微動だにしない。


「もはや手段は選んでいらりんせん。オリオンには、わっちらを馬鹿にした報いを受けてもらうでありんす」


 彼女の言葉にコレットは無言のまま口を開閉させるだけだ。他の者達も隣の冒険嬢とヒソヒソ話に興じるているのが多いが、中には猛禽類の瞳で舌なめずりする娘達もいる。シンシアは後者だ。

 ムネヒトには恩がある。その恩に正しく報いることなく、彼を篭絡しようとしている罪悪感が無いではない。

 しかし、それとこれとは別だ。

 ハイヤ・ムネヒト、お前はもう許さん。男としてその本懐を果たそうとしない外道には、女の恐ろしさを叩き込んでやる。


「あの男を、竿姉妹の竿シスターズ・メイカーにしてやるでありんす!」

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