アメリア様の華麗なる日々(上)

 

 アメリア・ジェラフテイルの世界は一変した。

 もちろん、一夜にして世界の在り方が変化してしまったという物では無い。彼女が五体五感で感じている世界という認識が変わったのだ。


『世界は変えられない。変えられるのは自分だけ』


 などという訓戒めいた言葉をアメリアは安っぽいとすら蔑んだが、ようやく実感に至った。何もかもが輝いて見えるのだ。

 豪華絢爛なオペラを鑑賞するにしても、嫌いな相手と席を同じにするより、魅力的な相手と一緒に見たほうが感動的なのは間違いない。


 アメリアはようやく、世界と言う美しい劇場へと足を踏み入れる事が出来た。


「ではこれで。今後とも、よい取引をお願い致します」


「もちろんですとも! 【ジェラフテイル商会】とは、此方としてもくれぐれも懇意にしたいと考えております!」


 アメリアは席を立ち、今日の取引相手に会釈する。相手方の男も無駄に勢いよく席から立ち、厚い腹をモノともせずアメリアの倍の深さで礼を寄越してきた。


「しかし、驚きました! まさか【ジェラフテイル商会】にこれ程の逸材が居たとは! あのアメリア・ジェラフテイルに匹敵する手腕なのでは有りませんか!?」


 彼の賛辞を彼女は会釈したまま受け取った。顔を上げてしまうと緩んだ唇が見えてしまいそうになったからだ。

 感嘆されるような事は何もしていないし、アメリアとは他ならぬ自分だ。


「リア殿! よ、よければこれから一緒に食事で如何ですかな!? 絶品のパスタ料理を出す店を知っていまして!」


「ぱすた……!」


 自分の偽名を呼んだ取引相手の提案に、アメリアは好奇心と食欲をひかれる。人の本来の味覚を取り戻した彼女には、美味しい料理というだけで魅力的な契約書より心踊るものだった。

 パスタという一般的な料理を、アメリアだって食べたことはある。しかし、味覚嗅覚の鈍かった彼女にとっては、もつれる太い糸を口の中へ放り込んだ程度の印象しかない。


「パスタって、あれよね。つるつるして、色んなソースが掛かってて――」


「リア様、次の会合が迫っております。お早くご準備を」


 半ば頷きかけたアメリアを止めたのは秘書であるジェシナだ。長身で起伏の薄い体に男物のスーツを纏っているので、美青年にも見える中性的な美貌の持ち主だ。

 普段から表情に乏しい彼女だが、今は流麗な眉を軽く吊り上げて本日の取引相手を牽制しているらしい。睨まれた男の方は、見えない手で押されたようにたじろいだ。


「ほ、ほほ……それは致し方ありませんな……残念ですが、またの機会ということで……」


 彼は仰け反ったまま一歩下がり、自分の館だというのに逃げるように部屋から出ていってしまった。


 ・


「ジェシナ……今日の予定はもう終わりじゃなかったかしら?」


 取引相手の商会館から出たアメリアは、すぐ後ろに控えるジェシナに話しかけた。

 せっかくのランチをと、不平顔に自分の秘書を睨むが、睨まれた方は更に膨れていた。


「ア――リア様、もう少し警戒心を持っていただかないと困ります。何がパスタですか、あのままではリア様がディナーになるところでしたよ」


「? 貴女の気遣いはやっぱり何処か変ね……」


 アメリアがそう言うと、ジェシナは更に膨れる。付き合いの長いアメリアには、何となく彼女の内心が理解できた。強いて言葉にするなら『変なのはアメリア様の方です』だろうか? 失礼ね。


「リア様、貴女はもはや誰もが振り向く美女になってしまったのです。もう少し、貞淑さというものを考えていただかないと……」


 そこでようやくジェシナが何が言いたいのかを悟った。


「ごめんなさいね? 二十年以上醜女だったから、ビ、びぢょ、びじょの……ふふふふ……美女の振るまい方が解らなくて……」


 自分で美女という言葉に照れ臭さを覚えて、上手く発音できなかった。ため息をつくジェシナを他所に、アメリアは繰り返し美女とか美人とか云う言葉を練習する。

 視線を上げれば、昨日までとはまるで違う王都の様子が目の前にある。視力も視野も著しく改善し、馬車が通過した際の土ぼこりまで良く見えた。


 同時に、アメリアに注がれる羨望の眼差しも確認できる。何度も商会館を抜け出した彼女だったが、これほど注目を浴びたのは初めてだ。

 最初はいつものおぞましい者を見る視線かと身を固くしたが、それは全くの杞憂だった。

 若い男女も老いた者も、それこそ年端のいかない少年少女ですらがアメリアに見とれているのだ。


『おい誰だあれ……あんな美女見たこと無いぞ……?』


『どこかの令嬢じゃねえか? お忍びで王都観光に来たとか……』


『もしかして、あれが絶世と名高い王女様なんじゃ……?』


『うわー……すごくキレイなお姉ちゃんがいるー……』


 今日の午前中に館を出たアメリアだったが、既にその姿は王都の新しい噂になり始めていた。

 純金を絹に溶かしたような髪、眉、睫は陽光に濡れている。憂いを感じさせる、また深い知性を感じさせる翡翠色の瞳は、深層の令嬢という印象そのものだ。

 抱き締めると折れてしまいそうな程に華奢な腕や脚は、削り出したばかりの大理石のように白い。

 後ろで無表情ながらとんでもない殺気を出している背の高い女性? 男性? が居なければ、ダース単位で声を掛けられたに違いない。


 羨望の視線とささやき声の真ん中を、彼女は歌い出したいのを堪えながら闊歩する。

 控えめにいって最高の気分だった。渇望していた健康な肉体のみならず、望外の賛美が雨あれれのように降り注ぐ。

 時々目のあった若い男へ微笑むと、相手は雷系魔術に打たれたように痙攣し鼻の下を伸ばす。しかしすぐに青ざめて目を逸らした。ジェシナとも目を合わせてしまったのだろう。


 先程の取引にしてもそうだ。余りに簡単に終わってしまった。


 今日の相手は決して無能とは言えず、また【ジェラフテイル商会】の代表であるアメリア本人が出向かなければならない程の太い客だった。

 長い商談になることを覚悟して臨んだのだが、あまりにあっさり話は済んでしまった。

 相手からすれば、商談当日に代表では無く代理の者を寄越すという無礼を受けた事になるのだが、特に気分を害した様子もなかった。

 それどころか下にも置かない扱いで、直ぐに一番良い応接間まで通された。同時に最高級の紅茶も出てきたから、逆に奸計かと疑ってしまった位だ。


「美人というのは得ね。今までの苦労は何だのかしら……」


 アメリアは自虐とも呆れともとれる感想を漏らす。互いに利益をもたらすウィン・ウィンな契約が最上では有るが、やはり自分達に少しでも有利な条件を取り付けたいと思うのは、商売人としては普通だ。

 互いが利益を得られるという範疇の中で、利益の天秤を傾け合うゲームが商談なのだ。


 だというのに、目標としていたラインをあっさりクリアしてしまった。正直、拍子抜けだ。


「ともかく商会館に戻りましょう。新しい情報があるかもしれし、リア様のスペシャルランチに充分間に合います」


 それは良い。スペシャルランチとは期待に胸が膨む。

 昨日急にこの肉体になった後、アメリアはまだ普通の食事を口にしてなかった。数日間、水しか飲んで居なかった彼女には固形物はまだ早いとアメリアが判断したのだ。

 昨日のランチもディナーも今日のモーニングも、胃腸に優しい麦粥しか口にしていない。それでもアメリアには極上の美味に思えて、喉を震わせながら粥を頬張っていた。

 そしてついに、次のランチから固形物が解禁になったのだ。


「楽しみね、いったいどんな料理が出てくるのかしら! 待ちきれないわ! 早く帰りましょう!」


 焼き鳥だろうか、クラーケン焼だろうか、ケバブだろうか、空腹という物を真に実感したアメリアは、食欲が猛るのをどうしようもなかった。

 彼女の若い肉体は、高カロリーを求めていたのだ。


 ・


 鼻をつく強烈な刺激臭に、アメリアはフードの下で眉と唇をピクチャーさせていた。

 臭いの元は、テーブルに並べられた彼女のスペシャルランチからだった。


「……こ、ればなにがじら?」


「はい? いつもアメリア様が召し上がっておられる、レインボーブロッコリーとドラゴンレバーのポワレ~キュア草のソース添え~で御座いますが?」


 アメリアの質問に、ジェラフテイル商会の料理長は当然のように答えた。


「…………そうだったわね……」


 それは日頃から食べている薬膳料理だ。アメリアの病状を少しでも回復させようと、優れた料理人が薬効に優れた食材で作ったメニューだ。

 味の解らなかったアメリアには、どんな食材も等しい燃料でしかなかった。ならば少しでも栄養価が高く、体に良いものをと選択したのも無理はない。


 でも今こそ無理と言いたい。


 レインボーブロッコリーとは、その名の通り七色のブロッコリーであり栄養満点の野菜である。

 一月一株で薬師が青くなるとまで謳われた万能食材で、成人男性が1日に必要な栄養素をほとんど賄えるという優れものだ。ただし不味い。


 ドラゴンレバーとはつまり竜の肝だ。

 あらゆるモンスターの中でも最強種と名高い竜から取れる素材は、どれも高額で取引される。

 食材としても優秀で、中でも竜の肉は最高級の食材でもあった。

 比類なき美味を誇り、ステーキとして出す店では高価だが行列が出来る程に人気だ。

 特に竜の肝は希少な部位であり、滋養強壮として有名だ。乾燥させ磨り潰し丸めた物を『竜肝丸』と呼び、冒険者の間では非常食として人気がある。

 最高級品であれば、水と共に一粒もあれば半年は生き延びれるとまで言われている。ただし不味い。


 キュア草はメジャーな薬草だ。あらゆるポーションの基礎薬草として重宝され、育成も容易であることから家庭菜園としても親しまれている。

 単体でも薬草として使えるし、一応は生でも食べられる。ただし不味い。


 その一流の食材をふんだんに使った料理は、虹色の湯気を立てていた。どういう仕組みだ。


「どうされました?」


「え、ええ……食べるわ、食べるわよ勿論……」


 震える手でナイフとフォークを掴み、ドラゴンレバーを切り分ける。カットした瞬間、目に刺さるような刺激臭が強まった。

 アメリアは瞼と嗅覚を強く閉じて、恐る恐る口へ運んでいく。料理長の心配そうな視線を感じながら、意を決して頬張った。


(ぎょえー!)


 心の中だけで叫んだ。何が意を決しよ、胃が決死じゃないの。

 空腹を訴えていたはずの胃が急に門扉を閉ざし、現在口内で猛威を振るっている――とアメリアは感じている――異物を拒みだした。

 外へ排出しようと舌の根が無意識に蠢動する。脳天へ突き上げる刺激がそのまま涙になり、フードの下にある彼女の翡翠色の瞳を潤す。

 ぐちゅぐちゅでゴリゴリでドロドロでネバネバで甘くて苦くて辛くて酸っぱくて――。


(こ、これが不味いっていう感情なの!? まァ、不味ッ、まっじゅううううー!)


 料理は死ぬほど不味かった。

 不味いと不味いと不味いでは、やはり不味かった。マイナスとマイナスでプラスになるのは数学だけだった。いや、マイナスとマイナスとマイナスだからやっぱりマイナスか。数学は正しかった。

 料理人の腕とか不思議な力とかで圧倒的美味になるとか、特にそんな事は無かった。


 誰だこんな料理を提案したヤツは。私でしたわ。


「……アメリア様?」


「うぶ、ぉぇ……お、の、飲み物をいただけるがじら?」


「え? あ、ハイ、ただいま」


 とても単品で食べられるようなモノではない。水がガロン単位で欲しかった。

 料理長は直ぐに裏へ引っ込み、陶器製で中身の見えない水差しを持って来る。そして手際よく、中身をグラスに注いだ。


(ぎょえー!)


 今度は見ただけで叫んだ。

 ピッチャーからドロリ……と流れた液体は、おどろおどろしい紫色の液体をしていた。粘性に富んでいるらしく、ヌポヌポヌポと妙な音を立ててグラスに注がれた。


「……そ、ればなにがじら?」


「はい、パープルトマト、パープルピーマン、パープルオニオン、パープルポークの、スーパーパープルスムージーですが……」


 これもまた栄養価の高い食材のオンパレードだった。しかし何故豚を入れた。


(ど、どうしよう……私の体の事は結婚式でサプライズにしましょうってジェシナと決めたばかりなのに、もう破約にしたいわ……)


 いつもは難なく食べてしまう薬膳料理がこんなに不味かったとは。ジェシナも教えてくれたらいいのにと、彼女は筋違いの恨み言を呟いた。


「ただいま戻りましたアメリア様」


 そのジェシナが部屋に入ってきたのは、アメリアがドラゴンレバーを更に小さく刻み始めたときだ。ランチだろうか、茶色い紙袋を抱えている。


「おや、お食事中でしたか。では、私も……」


 彼女はアメリア専属の秘書であるためと、主人の希望から食事の席を同じにすることを許可されていた。

 ただし彼女は献立をアメリアと同じにすることはなく、いつも王都で購入している。ジェシナは自分で椅子を引き、アメリアと向かいの席に座り、袋を開けた。


 紙袋に入っていたジェシナのランチは、アメリアのそれと対極であった。


「――――……」


 まず包みから現れたのは、肉や野菜チーズをパンに挟んだ……ハンバーガーと呼ばれる物。野菜といっても、薄いレタスとスライストマトがあるだけ。栄養のバランスを考慮しているとは思えない。


 きつね色に細長くカットされていたのはジャガイモ……揚げポテトだ。良質な油でカラっとフライされ、塩コショウでシンプルに味付け。材料と製造工程から推察するに、糖質と脂質は悪魔的だろう。


 紙コップに入っていたのは黒くてシュワシュワした、コーラ・ポーションと呼ばれる甘味炭酸水だ。

 主な原料は砂糖と柑橘系果実と少しのハーブであり、ポーションとは名ばかりで明らかに身体に悪い。だというのに、老若男女に大人気の飲み物。暑い日や風呂上りに飲むのが最高だ。


 アメリアの高く、身体に良く、不味いランチとは何もかもが対極。つまり安く、身体に悪く、美味しい。


「――――………………」


 アメリアの視線に気付いているのか居ないのか、ジェシナはマナーとは無縁の食べ方でハンバーガーに齧り付いた。


「はむ……ほう、テリヤキ・ランドバード・バーガーなるものは初めてですが、これは中々……」


 漂ってくるのはハンバーガーの甘辛いタレの香りと、サクサクに揚げたジャガイモの芳ばしい香り。コーラもキンキンに冷えているのだろう、結露した水滴がツウと紙コップの側面を流れた。

 思わずゴクリと、アメリアは生唾を呑んでしまう。その拍子に空腹の胃袋が待ってましたと食べ物を取り込む。

 しかしそれはジャンクフードではなく、レインボーブロッコリーとドラゴンレバーのポワレ~キュア草のソース添え~だ。


(ぎょえー!)


 料理はどうしたって不味かった。


「じぇ、じぇしな……」


「はい?」


「珍しい物を食べているわね? 良ければ、私のランチと少し交換してみない? 半分……いえ、三分の二ほど、ちょっと市場調査を兼ねて……」


 苦肉の策だった。アメリアは苦肉ではなくて、旨肉が欲しかった。主人の提案にジェシナは目をしばたたかせていたが、やがて口を開く。


「なりません!」


 だが口を挟んだのは、ジェシナではなく料理長だった。思わぬ所からの横槍に、アメリアはぎょっとする。


「アメリア様! 貴女のお体の事は私共も存じているつもりです! どうかヤケを起こさないで下さい! 自分達も頑張って、少しでも良い料理を拵えます!」


「え、あの……」


「そんな身体に悪い物を食べてしまったら、今度こそ体調を崩してしまわれます! こ、この間の『最上級治癒薬』が効かなかったからって……進んで身体を、悪くす、る、必要は……う、うぇぇぇん……」


 今度は給仕の女が厨房から出てきて、涙ながらに訴える。それを料理長は、鼻を啜りながら大声で叱り飛ばした。


「馬鹿野郎! 一番お辛いのはアメリア様なんだぞ!? メソメソすんじゃねえぞタコ!」


「あの」


「ぅぇぇ……ぐずっ、ごめんなざい……私達、絶対に諦めませんから……どうか、どうか、今まで通り、薬膳料理をお召じ上がり下ざい!」


「あの」


「今日も腕によりを掛けました! 病気なんぞに負けないで下せぇ! さあ、お代わりもありますよっ!」


「あの」


「ごちそうさまでした」


「ああ……! は、はんばーがーが……!」


「私だぢ、アメリア様が健康なお身体になるまで薬膳料理を作り続けます! 生きるだめに、希望をお捨でにならないでくだざい!」


 もう食べたくないと言える雰囲気ではなかった。料理長と侍女の涙の訴えを聞いている間に、ジェシナはランチを平らげてしまった。せめてコーラ・ポーションだけでも残して欲しかった。


「「さあ、アメリア様!」」


「…………………………いただきます」


 料理長と侍女は泣いて手を叩きあって喜んだ。アメリアも泣きたかった。


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