剛き牛

 

 潰される。醜い私は醜い肉塊になってそれで終わると、彼女は思った。


「よお、逃げ遅れたのか?」


 だがレスティアに最期は訪れなかった。訪れたのは一番会いたくて、一番会いたくない男だった。


「――!? ブルファルト……なんで!?」


 広い背中に長い柄の付いた槌、現役時代に討伐した大型の魔牛から得た角で作られた『猛独角パワード・ホーン』を提げている。記憶にあるより柄の部分が新しい。


「いやぁ、ミルシェに呼ばれてノコノコやってきたらよ、こーんな大物が暴れてるじゃねえか。ビビったぜ!」


 バンズは今も二人を押しつぶさんとしている岩尾のようなゴーレムを、両腕で突っ張りながら笑った。


「そうじゃないわ! 貴方、何をしているのですか!!」


 男の方に対して、女の方は笑うような心境ではありえない。


「なんだよ、命の恩人にその言い草は無いだろ。間一髪だったんだぜ、っとぉっ……! やろっ、重いじゃねえか……!」


 ぎしりと音を立て圧力が増す。バンズの丸太のような太い腕も、このゴーレムに比べれば枯れ木程度でしかない。


「早く逃げてください! このままでは二人共潰されてしまいます!」


「おう逃げるさ、コイツをブっ飛ばした後ゆっくりな……!」


 無理だ。

 状況と彼我の戦力差は歴然だ。バンズが弱いのではなく、この巨人は人が勝てるような存在ではないのだ。二体に分かれ体躯は半分ほどになったとはいえ、個人で渡り合えるものではない。

 あの黒髪の青年が例外なだけであり、そのムネヒトも今はもう一体のゴーレムと交戦中だ。彼は負傷したリリミカ達を護るように立ち回っているため、苦戦を強いられている。


 一秒一秒が死の国への階段だった。レスティアとブルファルトだけ緩慢な時間に取り残されたかのようだ。


 瓦礫を退かそうとしても、彼女の腕力では持ち上げられそうにない。骨折でもしたのか足が激痛を訴えてくる。だがそれを含め、身体のあちらこちらの痛みも何処か遠かった。


 痛いのは身体じゃ無い。


 また私は可哀想な被害者なのか。

 あれから十八年も経ったのに、たくさん勉強したのに、やっぱり私は弱くて小さいままなのか。

 私はもう貴方に護られるだけの小娘じゃない。私は貴方の隣に立てるのよと、胸を張って言いたかった。


 だが現実はこのザマだ。

 肝心な所で失敗して、台無しにしてしまう。

 私はまた貴方に護られるというの? ブルファルトを傷つけてまで、のうのうと生き残るというの? 生き延びて、次はどんな後悔をすればいい?


 そんなのは嫌よ、死んでも嫌。


「駄目、お願い……もういい、もういいの……だから、にげて……にげてよぅ……」


 懇願は懺悔に似ていた。彼に見捨ててもらうことがこの後悔に対する贖罪なのだ。


「だから、おねがい……私を……貴方に……後悔して欲しくないのよ……ッ!」


 見捨てておけば良かったと思われるより、見捨てて良かったと思われる方が、ずっとマシだ。


「後悔、ねぇ……」


 だがバンズは退かない。レスティアの願いを無視した。


「それの何が悪い」


「……え…………?」


 答えは簡潔と淡泊を極めた。


「レスティアが何を後悔してんのかは知らんがな、後悔ってのは常に過去うしろにしかねえ」


 当たり前だわな、とバンズは背中越しに笑う。


「もし後悔だらけだったってんなら、それは」


 それは――。


「テメェが前を向いて生きてきたからだろうがッ!!」


「――ッ!」


「前を向いて歯を食いしばってきたから後悔が生まれるんだ! 何も願わないヤツは後悔なんてしねえ!」


「……ブルファルト……あなた……」


「下を向くな! まだ負けてもいねぇのに、負けたみたいな顔をするんじゃねぇ! 『逃げろ』でもねぇ『もういい』でもねぇ! 『勝て』と、俺に願ってみろレスティア!!」


 唇が震え胸がつかえて声が出ない。理性は不可能を叫んでいる。リスクを避け最小の犠牲を以って確実な未来を選べと、自身を捨ててバンズの命だけでも救えと冷静な判断を寄越してくる。


『助けて』も『頑張って』も、レスティアには言えない。

 何故ならそれは、私のために戦ってということに他ならない。私のために傷ついてということに他ならないからだ。


 レスティアはそれが嫌で嫌で仕方なかった。

 そうなるくらいなら、自分ひとりで頑張る方が何倍もマシだと思っていた。バンズを傷付けたいと思ったことなど一度もないのに、貴方に迷惑をかけてばかりだ。

 助けられてばかりじゃない、貴方を助ける存在になりたかったのに。


 だから出来ないと、貴方のその言葉だけで嬉しいと、そう言おうとした。


「おせーーっ!」


 小さな不可能をかき消す、大きな声がレスティアの背面から聞こえる。


「負けるなおとーさん! おせーーーーーーーーーーーーっ!!」


 声を張り上げ、拳を振り上げ、バンズを鼓舞するミルシェの姿があった。少女の顔には悲壮さなど干し草の半分の重さもない。父を微塵も疑わない娘の姿だ。その顔に懐かしい面影を見る。


 レスティアには出来ないことだった。

 元来真面目な正確の彼女には抵抗があったし、かつて自分のせいでバンズが罰せられたのだから。

 ミルシェのような振る舞いを、人をまとめ率いる立場のレスティアが行うべきではない。適切な能力を持った人員の配置と指揮こそが、最良の結果に繋がるのだ。いくら優れているからていって個人のみに状況を左右させるべきではない。


 しかしミルフィにはそれが出来た。

 時々メチャクチャとも思えるお願いを飛ばし、バンズは豪快に笑って任せとけって楽しそうに応えた。

 それは理由の無い信頼関係、無条件の好意の証明、お互いを想い合っているからこそ出来る事なのだろう。

 バンズもミルフィもそんな理屈っぽいことなど考えては居なかっただろうけど。


 それが羨ましかった。彼女に心底憧れた。いつか私もそうなりたかった。


(やろうともしていないのに羨ましかったとか、馬鹿じゃないですか?) 


 パチンと何者かに頬を叩かれた気がした。もちろん気のせいだが、レスティアは八歳くらいの利発そうな少女の姿を見た。

 胸に熱が灯る。形容しがたい感情のうねりは怒りを火種に燃え上がった

 ミルフィにはできた。ミルシェにもできた。でも私には出来なかった。


 ――ふざけるな。


 私は人生の半分以上を彼への恋心と共に生きてきたのだ。

 その私が出来ない道理はない。ブルファルトへの想いを声に乗せ彼の勝利を願うなど、造作もないはずなのだ。

 器の大きさも、胸の大きさも、女性としての魅力も、何一つあの人には敵わない。しかし、


「……押せ……」


 しかし、恋の強さだけは負けるものか。


「押せ…………!」


 この一回だけで良い、理屈も冷静な判断も捨ててやる。無責任にバンズを信じてみよう。


「押せぇぇぇぇぇーー!」


 好きになった男を信じて死ぬなら本望なんて、そんな自己陶酔的なことをレスティアは思わない。

 バンズが負けるはずが無いのだ。数字ステータスで劣ろうが何で劣ろうが、彼を信じて疑わない。


 恥知らずだろうが無鉄砲だろうが何でも良い。私は私の意志で、私という馬鹿な女の存在を彼に受け止めて欲しい。

 たくさんの後悔をしてきたけれど、きっとこれからも色んな後悔をするだろうけど、


 恋をしなければ良かったなんて思った事など一度だって無い――!


『ぎッ――――!?』


 ビキリと、何かが音を立てて割れた。

 それは少年すら見捨て後悔を貪ってきた巨人の核。このゴーレムを動かしていた最大の動力源はレスティアの物であり、そこに亀裂が入ったのだ。

 それは後悔をという矛盾がつけた一太刀、それこそがゴーレムにとって一筋の致命傷となる。

 バンズの勝利への嗅覚は、自分も自分を信じる者達も裏切らない。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーッ!!」


 圧倒し、かち上げた。

 巨人は仰け反り急所を晒す。黒く渦巻くエネルギーの中の白い裂け目を『能力映氷』が捉えた。


 ブル――……


「――バンズ! 右胸よ!」


「応よ!!」


 レスティアにバンズが応える。


『ガああぁぁあぁあぁああああア”ア”あああああああーーーーッ!』


 それは巨人の断末魔だったのか、それとも逆襲の咆哮だったのか。残った瓦礫を全て、ムネヒトと交戦していたもう一体の巨人すら吸収し、歪な巨腕を完成させる。狙うはレスティア、枯渇した後悔エサを補給するため彼女に手を伸ばそうとしたのだろう。

 だがもう遅い。

 バンズは得物を大きく振りかぶり、全身の筋肉を爆発させた。下半身から上半身、そして末端の筋繊維へ練り上げられたエネルギーが奔る。


「『剛牛崩蹄撃ブル・ブラスト――!』」


 斜め下からフルスイング。発揮する破壊力の全てを内包した力任せの、必殺の一撃だ。

 巨人の墜落するような一撃と正面から激突する。体積の差も重量の差も、そして勝敗も分かり切っていた。


 土くれ人形如きが、この剛き牛に敵うものか。


 爆発したような衝撃の中、レスティアは度の入っていない眼鏡を吹き飛ばされても瞬きをしなかった。

 槌の猛撃は一方的に岩腕を吹き飛ばし、その破壊力は衰えることなく伝播しゴーレムの右胸へと到達する。

 巨大な影が十字に引き裂かれた。


『――……ッ』


 もう断末魔は上がらなかった。

 崩壊は決定的な物となり、後悔の巨人は仰向けに倒れる前に岩へと戻った。バラバラと残骸が降り注ぎ中庭を彩る。ノーラの魔術もついに時間切れを向かえたのだろう、煙のカーペットが剥げいつもの芝生が剥き出しになっていた。

 解除された結界の外から雑多な足音が聞こえてくる。ようやく今になって第二騎士団の応援も到着したらしい。その遅すぎる援軍に向かってリリミカあたりが何事かを喚いている。

 しかしそのいずれもレスティアの目には映らない。彼女の青い瞳は、日の光を浴びる広い背中しか見ていなかった。


「ふぅ……もう大丈夫だ」


 彼は『猛独角』を地面に突き立て、振り返り歯を見せて笑う。


「ぁ……」


 あの時と同じだ。あの時もバンズは絶望と陰鬱を吹き飛ばしてくれたのだ。

 バンズはそばに歩み寄ると、彼女の脚を束縛していた瓦礫を丁寧に取り除いていく。懐から出した布と水で応急処置をしながら、痛くないか? と気遣いを投げてくる。

 レスティアはぼうっとしたまま、返答できないでいる。返事の無い事を不審に思ったのか、バンズが顔を上げると熱っぽく潤むレスティアと目を合う。キョトンといぶかしむ彼の顔が、可愛らしくて笑ってしまう。


 助かったという実感がまだ沸いてこないのだ。表情と言葉の選択が完了しない。

 彼女は十八年前のあの日に戻ったような気がしていた。ああ、そうだ。あの後、バンズは――。


「『これにてロデオライブ終了だ、代金はお前の笑顔でいいぜ?』」


「『これにてロデオライブ終了だ、代金はお前の笑顔でいいぜ?』」


「……――え?」


 レスティアは自分と全く同じ言葉を口にしたバンズを見た。きっと今自分は阿呆みたいな顔になっているだろう。


「ええ~……? せっかくのキメ台詞が被るとか……ダセエ上に恥かしすぎるだろ……」


 あちゃーと、バンズは心底恥ずかしそうに頭を掻く。


「いや、お前がなんか辛気クセえ顔してたからよ、あの時大爆笑だった台詞でせめて笑わせてやろうと思ったんだが……あーあ、恥かしいのを我慢したってのに、こんなオチはないぜ……」


「あ、なた…………覚え、て……」


「あん? あたりめーだろうが。前言ったろ? 人を見る目くらいはあるって……あ、いけねぇ」


 キメ台詞を外した時とは違う種類のバツの悪さに、バンズは顔をしかめる。

 数瞬の無言のキャッチボールの後、バンズは口を開く。


「ホントはよ、お前が騎士団の隊員になったとき直ぐに『怖い思いさせて悪かった』って謝りたかったんだ」


「……」


「けどお前にとっちゃツラい思い出だろうから、触れてほしく無いだろうと思ってな……」


 お前だって眼鏡したり髪を切っていたし、と付け加えた。


「まあそれも、どうやら俺の思い過ごしだったようだな……。ありがとな、俺を信じてくれてよ」


「――――……」


「……おいどうした? 俺が覚えてちゃ変かよ? 馬鹿に見えるかもしれないがなぁ、俺にだって人並みの記憶力は――」


「……ぅぇ……」


「お?」


「う、うぁぁ、うわあああああああああああああん!!」


「えええええええー!?」


 周囲の皆もぎょっとして集まってくる。レスティア副官が涙を見せたことなど、記憶の書庫を引っくり返してもあるかどうか。

 自然、中心に居る彼女とバンズに視線が集中した。


「やっぱどっか痛いのか!? おいお前、上司が負傷だ! ポーションもってねえか!? よォし、でかした……――ってボケぇ! せめて上級くらいは持ってこいやぁ! なにぃ!? だったら俺が今すぐ第一騎士団に行って便に譲ってもらうわ!」


「あー!? おとーさんがレスティアさんを泣かせたー!」


「ばっ!? ちげーよバカ!! いやまさかそうなのか!? 俺のキメ台詞が泣いちまうほどクソ詰まんなかったのか!? マジかよどうしよう!?」


「ちょっと一体どんなゴミみたいな事言ったの!? この恥知らずー!」


「そこまで言うこたぁねぇだろ!?」


 バンズのセンスは致命的なダメージを受けた。


「おい悪かったよぉ……泣くなよぉ……」


 そんな事を言いながらバンズ(半泣き)は、わんわん泣き続けるレスティアの頭を撫でる。

 分厚くゴツゴツした手の感触と、不器用ながらも優しい手付きに彼女の涙はより勢いを増す。

 オロオロしながらもバンズは彼女が泣き止むまで頭を撫で続けた。あの時もそうだった。あの時と変わらない、大好きな手だ。


(ああ、まったく……)


 これだから、恋は止められない。


 ・


「ムネっちはさ、お姉ちゃんを『たった一回助けられただけで恋に落ちるようなチョロい女』って思う?」


「まさか」


 わんわん泣くレスティアを遠目に見ながら、俺とリリミカは話していた。


「俺にも覚えがある。どうしようもなくに辛いときに優しくして貰うと、本当に嬉しいもんだ」


 例のクソ貴族の執事達が牧場に来たとき、俺は情けなくもボコボコにされてしまった。そしてミルシェは、そんな俺に害の及ばないように旅立つ準備をしていてくれたのだ。家族でもない者の心配などしている場合じゃないのに、彼女はそれを為した。

 あの時ほど自分の無力さと人の優しさを感じたことはない。一生涯忘れ得ない、俺の宝だ。


「ふーん……自分の事はよく分かってるじゃん」


 なんか含みのある台詞だな。何が言いたいんだ?


「分かってるならさ、ミルシェのこと、ちゃんと考えてあげてよ」


 思わぬところからの言葉に対する応えを、俺は直ぐには用意できない。


「なーにその顔? まさかミルシェだけは例外だったとか、つまらない事言うわけ?」


「いや、そういうワケじゃないけど……あれはほら、勘違いっていうか、なんていうか……」


「勘違いでも良いじゃん。お姉ちゃんもだったけど、人は一秒も有れば恋に落ちるの。その一瞬の勘違いを一生の勘違いにするのが女の子よ」


「――……」


「じゃないと……私が――……」


 そう小さく呟いて、リリミカは姉のほうへ駆けて行く。それでこの話は終わった。

 私が……、か……その言葉の意味を履き違えるほど、俺は鈍感じゃない。


「リリミカは本当にミルシェを大事に思ってるんだな……」


 つまり俺にミルシェを取られたくないのだろう。何年も一緒に過ごした幼馴染をポっと出の男に取られるのは確かに面白くない。俺だったら嫉妬でハンカチを噛み千切ってる。リリミカとしては俺にヤキモチを抱いても仕方ないだろう。


「恋も友情も、良いもんだな」


 そう結び、俺も人の輪へと駆け寄っていった。

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