後悔の巨人(下)
最初に異変に気付いたのは、第三騎士科クラス長のダルカン・バスコーブだった。
彼は先日の決闘で例の異邦人に辛酸を舐めさせられてから、アカデミーでの自己鍛錬を増やしていた。本日も休日だというのに朝日の昇る頃から第三共有訓練場を借り、トレーニングに勤しんでいた。
平日はまばらに居る他の生徒もおらず、今日は彼の貸切状態だ。
第一第二科の生徒にはそれぞれ専用の訓練所があり、設備も規模もこことは比べ物にもならないので、その生徒がココに来るのは稀であることも理由だ。
アレ以来、第三科生徒への風当たりが強くなったのは間違いない。第三科の生徒達には悪い事をしたと思っているが、ダルカンの胸に灯った念はそれらを気にしている余裕は無い。
一通りメニューをこなし、そろそろランチでも買いに行こうかとしたところでそれに気付いたのだ。
「なんだ、ありゃあ……?」
小高い位置にある王立統合アカデミーから一望できる見慣れた王都の風景、そこに異分子を確認した。
何かが歩いて此方に向かってくる。人のような何かがゆっくりと大股で、真っ直ぐアカデミーに近づいてきているように見えた。
ここから見えるという事は、かなりの大きさということ。アレはなんだ。魔法学の授業で習ったゴーレムに似ているが、あれほど巨大な物は聞いたことがない。
気のせいだろうか。そのゴーレムと目が合ったとダルカンは感じた。
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第二騎士団詰め所にレスティアを運び入れ、彼女の安否を待つ俺達三人は、そこで耳を疑う話を聞いた。
「全長15メートル超のゴーレムがアカデミーに……!?」
金髪で小柄の女性、エリアナさんの愕然とする声が部屋に響く。先輩であるレスティアを医務室に寝かせ、事務室に戻ってきたところで通信機に連絡が入ったのだ。
俺とリリミカとミルシェのぎょっとする様子を見て、自身でも大きな声を発したと気付いたらしく、エリアナさんは背を向けて通信機での会話を続けた。
「はい……! はい……! 了解です、すぐに追加の隊員を向かわせます!」
「ヒヨコちゃん! ゴーレムってどういうこと!?」
「……原因は不明ですが、王都中央大通りにて大型ゴーレムが出現。現在はアカデミー付近まで侵攻、巡回していた第二騎士団の隊員数名が応戦、ということです」
愛称らしきもので呼ばれた事務員は少し迷った後、得た情報を俺達に聞かせてくれた。
「それが15メートルを超える大きさだっての!? そんなの誰が作ったってのよ!?」
リリミカの様子から、異世界でもそんなに大きなゴーレムは稀らしいということが分かる。巨人が闊歩する様子を脳内に浮かべ、身震いした。まるで特撮映画のワンシーンだ。
「こんな時になんなのよ……まだアイツも掴まってないってのに!」
リリミカの弁に俺も同じ胸中だった。
先ほどまで交戦していたあの少年も未だ逃走中で行方も知れない。そちらも無視するワケにはいかないし、しかも負傷者が多数出ているため人数にだって不安がある。
ふと、その負傷者の一人であるレスティアが気になり、寝かせてある医務室の方を見た。
目立った外傷は脇腹にあった打ち身のみで、それも治療済みだ。今は奥の女性用休息室で横になっているらしい。原因は分からないが、酷く体力が低下しているという話をエリアナさんから聴いた。
言っては悪いが丁度いい。聞けば働き詰めで疲れが溜まっていたらしいから、この機会にゆっくり休んで貰いたい。それに――。
レスティアには色々注意されたが、リリミカとミルシェを安全な場所に送った後は巨人が近くにいるというアカデミーに向かおう。
そう思い視線を何事かを話し合っているリリミカとエリアナさんに戻しかけ、ふと壁の向こうに走り去る人影……もとい赤い二点の乳首影を視界に捉えた。
77センチ、64センチ、2.2センチ……レスティア……。
「――って、しまった! レスティアが外に出たぞ!?」
「はぁっ!?」
「ええ!? 本当ですか!?」
慌てて奥の医務室に向かうと、既に大きく開け放たれたドアを見た。部屋の中を見ると空っぽのベッドが乱雑なシーツを置いてあるだけだった。
「裏口から出たのか!?」
「あんの頑固者、勤勉もここまでくれば病気よ! きっとアカデミーの方へ向かったんだわ!」
姉へ毒づきながらリリミカはレスティアの行く先を口にする。俺も同じ意見だ。きっと件のゴーレムを追ったのだろう。冷静な判断とは言い難く、彼女らしくない。
「俺はレスティアを追う。まだ遠くには行っていない筈だ」
乳首レーダーを使えばすぐに追いつける。
「だったら私は先にアカデミーに行く。事情を知る私が走ったほうが早いもの」
やっぱりそうなるか。出来ればミルシェと一緒にクノリの屋敷あたりに避難してもらいたかった。まだあの少年が近くにいる可能性だってあり、襲い掛かってこないとも限らない。
「……エリアナさんにミルシェを頼もう。少なくともここに居るほうがマシだ」
だが止めても聴かないことは何となく分かる。レスティアを頑固とか言ってたが、リリミカも負けず劣らずだ。
「お姉ちゃんをお願い、なんとなく今は放って置いたら駄目な気がするのよ……」
俺もそう思う、とは言わなかった。
「ヒヨコちゃん、ミルシェをお願いね!」
俺たちは小さく頷き合い共に裏口から飛び出した。屋内から待ったを掛ける声が聞こえてくるが、置き去りにする。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!? お願いしますって、二人は何を……あー!? もう居ない! サンリッシュさん! 二人を……」
「ごめんなさいピヨアナさん、私も失礼しますね!」
「あー!? サンリッシュさんまで!? ちょっと私だけ置いてけぼり……あー! また通信が……ここを空にするわけには……あ、あ、あああー! もぉぉぉー!」
・
走りながら『乳解析』を発動した。乳首レーダーで壁やらなんやらを透過し正確にレスティア(の乳首)のいる場所を探すためだ。
裏口から通りまでは狭い一本道なので、ここを通ったのは間違いない。リリミカは逆方向からアカデミーへの近道を目指し、俺はその逆だ。
走り去る方向から、レスティアが大通りへ行ったらしいことはわかっていたので、それに倣い大通りに出る。
そこで俺は自身の愚策を思い知った。
目に飛び込んでくる赤赤青青青赤赤青赤青赤黄青赤赤赤黄青青青黄黄青――――この世は乳首に満ちていた。
「アホか俺……そりゃそうだ……」
飛び込んでくる三桁以上の乳首情報に圧倒される。
単純に考えると人の数の倍は乳首があるのだ、レスティアだけが持つわけない。赤は女性、青は男性、黄色は人類以外……無秩序な信号機を眺めている気分だった。
木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中、乳首を隠すなら乳首の中……というワケか。いや乳首を隠すのはブラジャーだ。言ってる場合か。
それに、もう巨人が出現したという情報が回ってきているのだろう。普段とは違う種類の喧騒が人の波を作り大通りを押し流していた。絶叫と狂乱とワケも分からず立ち往生する者と様々で、この中から任意の乳首を見つけるのは至難だ。
「結局は足を使って探すしかないか……よし」
行き着く先がアカデミーだとして、この喧騒を逆流していったのは間違いない。気合を入れなおし、念のためレーダーをオンにしたまま走り出す。
「77……64……2.2……ななじゅうなな……ろくじゅうよん……にてんに……」
そう呟きながら俺もアカデミーへ向かう。レスティアのことだ、もしかしたら人の波を避けて、急がば回れみたいに裏のほうから向かっているのかもしれない。
ピコン! と久しぶりにマヌケな脳内アナウンスが俺だけに響く。
『
対象の乳房の情報を分析し、乳首の場所を正確に察知できる。
また索乳範囲は乳深度に比例する。←
それは正に乳の助けというヤツだった。常におっぱいへ感謝を忘れなければ、おっぱいは助けてくれるらしい。
・
・
・
――巨人の原因は恐らく例の生徒だ。
人ごみを避け裏路地を壁伝いに歩く女性、レスティアはそう思った。
酷く身体が重く、頭にモヤが掛かったかのように不明瞭だ。脇腹の痛みが気付けとは怪我の功名か。
何度か転びそうになりながらレスティアはアカデミーを目指す。
足の裏で地面を擦るようにゆっくりと前へ。こんなことならもっと戦闘訓練を行っておくんだった。貧弱な身体め、たまには無理をさせなさい。
いや違う。普段から無理をしていたから本当に必要な時に無理が出来ないのだ。なんていうことだ、情けなくて笑えてくる。まったく、思い返せば後悔ばかりだ。
誰にも迷惑をかけないように、用心深く、細々と過ごしてつもりだった。自分で出来ることは何だって自分でした。誰かに頼られれば何でも引き受けた。
そうしないと、私は私を好きになれない。
でもその考えすら間違いだったというのか。一人でなんでも出来ると毅然と振舞うことが、私は皆の役に立っていると振舞うことが、後悔のタネだというのか。
自分だけで上手く出来ると勘違いして結局は誰かに迷惑を掛けて終わり、あの時と同じなのか。
頼られたい相手はもう居ないというのに私はまだ続けるのか。
だとすれば、私はまだ小さいまま。
「……いかないと、取り返さないと……」
でもその後悔は私の物だ。誰の物でもない。奪われて心が軽くなったとして、それは私が欲しかったものじゃない。
幾度と無くそんな言葉を繰り返しながら体を前に進める。いよいよ体が重い。腰まで汚泥に浸かっているみたいだ。
右足を前に出し急に膝が抜ける。進もうとする意思に反し、肉体は前進を拒んだ。
咄嗟に伸びた手も何も掴めないまま空気を掻くだけに終わる。
転ぶというより、落ちるという実感が全身を噛む。薄汚い石畳が休め、ではなく諦めてしまえと待ち構えていた。
ああ、頑張ったつもりだったんだけどな。ここが終着か。じゃあいい。何もかも棄てればきっと楽になれる。
でも、諦めが救いなら私は救いなんて――。
「――っと、ナイスキャッチ」
崩れ落ちるレスティアを地面の代わりに受け止める者が居た。ムネヒトだった。
・
「ハイヤさん……!? なんでここに……」
「いやまあ、運良く俺のちく、んん、レーダースキルがアップデートされて発見できてな。そもそも、それは俺の台詞だ。フラフラじゃないか、直ぐに戻ろう。エリアナさんが心配してる」
疲労困憊そのままの姿だ。これが日常茶飯事だというなら騎士団はとんでもないブラック企業だということになる。
肩を貸そうと体勢を整えたところで、レスティアは俺の袖を掴む。弱弱しい力だったが何故か拒めないものを感じた。
「……ん?」
「お願いします……私をアカデミーまで連れて行ってください」
「お前、何を…………」
どう見ても、今のレスティアは連れていける状態じゃない。はっきり言ってしまえばお荷物だ。それはレスティア自身だって分かっているはずなのに。
「巻き込んでしまって申し訳ないと思っています。ですが、どうか……連れて行ってくれるだけで構いません。後はそこに置き去りにして下さい。だから、どうか、どうかお願いします」
「…………――」
「……あの……」
どうも俺が押しに弱いのは、こんな状況でも変わらないらしい。小さくため息を漏らし、懐から液体の入った瓶を差し出す。
「今度は要らないって言うなよ? 試作品のポーションだが、中々のもんだと思うんだ。ちょっとでも体力を回復させておけ」
さっきはフられてしまった俺作ポーションだ。もとは最下級品なので即全回復なんて贅沢は言えないが、無いよりはいい。
レスティアは拒まなかった。開封し恐る恐る瓶を少しだけ傾けまずは一口だけ味わうと、直ぐに一気に飲み干した。
「……美味しい……! こんなポーション、初めて飲みました……」
「だろ? なんせ、自慢の隠し味が入ってるからな」
それにはモーゥと鳴く家族達から貰ったミルクが配合されている。
青汁を牛乳に混ぜて飲む人も居るということを思い出し、俺も試しに混ぜてみたのだ。それが甘さ控えめのヨーグルトみたいな味になり、中々どうして上手く出来たんじゃないかと自画自賛している。
いずれはミルクポーション(仮名)として、サンリッシュ牧場の新商品として売り出すのもアリかもしれない。
「どれ、じゃあ失礼――」
「え、わっ!?」
飲み干したところを見計らい、レスティアを背に負う。むぎゅと潰れるパッドの感触をいっそ楽しみながら、彼女と俺の重心点を合わせ収まりのいい位置に微調整する。
「軽いな……ちゃんと食ってるのか? 健康も(おっぱいも)日頃の栄養が大事なんてのは誰でも知ってるぞ」
せっかく膨らんだのに、萎んだらどうするんだ。
「余計なお世話です! じゃなくて、降ろしてください! 一人で歩けます!」
「転びそうになってたヤツが何を言ってる。俺のほうが脚が早いだろうし、多分戦闘になるだろうから体力は温存しておけ」
「戦闘って……貴方、まさか!」
「エリアナさんが人員を補充しているところだが、間に合うかどうか微妙みたいだ。駄目なんて言うなよ? もしそう言うなら、このまま引き返して詰所のベッドに縛り付けるからな」
「――ッひ、卑怯! 卑怯です!」
褒め言葉として貰っておこう。
後ろでぎゃあぎゃあ苦情を言うレスティアを無視し、俺はなるべく揺らさないように走りだした。
「……あの少年から生えた不気味なものを、リリミカ達も見たでしょう? あらゆるものを絡め取り持ち上げいた。その能力を用いてゴーレムを操っていると思われます」
やがて抗議を諦めたのか、レスティアは自分の見解を俺に教授してくれる。
「なんでそんな事がわかる?」
ほんの十数分前の攻防を思い出し、一応は無いともいい切れないと考えるが、触手に岩やらなんやらが肉付けされ、巨大化したなんてにわかには信じられない。
「まず、少年が逃げた先とゴーレムの出現場所が一致しています。そして……」
「そして?」
「……アレに触れたとき少年の心のうちが見えました。あの力は、彼の後悔が具現化したものです」
そういえば俺も黒い触手のようなものに触れたとき、少年のものと思われる記憶が流れ込んできた。
楽しい思い出などはなく、いずれもほの暗いものばかりだった。そういう負の感情が原動力となり、傍若無人な振る舞いを……つまりヤケを起こしてるというのか。
けどだとするなら、俺が見たもう一つの記憶は……。
「彼は自身の力を信じきっている様子でした。ですがハイヤさんには手も足も出なかった。無意識の内に、より大きな力を求めたのでしょう」
一度負けたあと巨大化してリベンジする……戦隊ヒーローの敵みたいだな。
「その答えがゴーレム……つまり後悔を素に作られた巨人だっていうのか?」
ゴーレム鋳造には詳しくないが、そういう風に作るのだろうか。
「無論確信も前例もありません。しかしその巨人が現れたタイミングが偶然とは思えないのです」
だから見て確かめないと、とはレスティアは付け加えた。
「経緯は分かりませんが、あの少年には別の……外部から介入があった可能性が高いです」
「あの黒い手のようもの……もとは少年自身のものではないって?」
「ええ。リリミカなら覚えているでしょうけれど、あの子はあれほどの力をアカデミーで振るってはいませんでしたし、感情を表に出すような性格でもありません」
力を得たことで溜まってた鬱憤を爆発させた。そう言われれば、一連の奇行にも一応の理由が付く。
「だから私は、何らかの要因により自制心が破壊されたものと思うのです」
「つまり誰かに唆されたとか、何か呪いの武器でも装備しちゃったとか?」
背でレスティアは頷く。
「だったらちょうど良いな。本当にアイツが俺に対して恨みを持ってるってんなら、近づいたら攻撃対象が俺に移るかも」
囮にはピッタリだ。一度でいいから、巨大生物に追いかけられるモブキャラみたいな立ち回りをやってみたかったんだよ。一度きりで良いけど。
「そんな危険なマネはさせません! それは個人レベルでの話を超えています! いくらハイヤさんが実力者であったとして、それを許容できるはずないでしょう!?」
「――――多分バンズさんなら、何も言わず飛び出したぞ」
「――ッ!」
それでも納得できなかった彼女に対し、俺はそう言った。
まったくもってデリカシーのカケラもない台詞だ。一ダースの馬に蹴られても文句は言えない。
だがレスティアには効果があった。
口は無音のまま開閉するだけで、次の語句を紡げていない。それに反し青い瞳は騒がしいだろうと思う。整理しきれない感情のうねりが、心の窓を叩いているのがなんとなく分かった。
「……――――人命第一です。それだけは忘れないで下さい」
やがて、第二騎士団の副官は重く小さく呟いた。
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