後悔の巨人(上)
放射状に打ち出された触手は無差別に広がり、無機物有機物の区別無く腕に抱きこんで行く。貫かれ持ち上げられ投げつけられ、海の怪物クラーケンを髣髴とさせる暴れっぷりだった。
その内の一本がミルシェに向かう。蛇のように不気味な動きをしながら彼女に接近した。
「させるか!」
その前に遮り受け止める。黒く色づいた風に吹かれるような、感じたのは意外にも物理的な衝撃ではない。
なん――俺が第三騎士科な――よ!
「!? 今のは……」
それは短い夢のような誰かの記憶。傷だらけのDVDを無理に再生させたような継ぎ接ぎらけのフラッシュバックには、身を焦がすような感情がトッピングされていた。
それは怒り。
ご、ごごご、ごめ――さい……すぐに、どきますから。
それは恐怖。
くそ! くそ! 家柄だ――アカデミーに入ったようなボン――共めっ! なんで誰もあいつ――止めないんだよ!?
それは嫉妬。
期末試験――て受けるだけ無駄だ。どうせ、第一の連――上位に……。
それは諦観。
ちくしょう……――シェちゃん、リ――カちゃん、なんで――な男に、こんなことなら、こんな――なら! 無理やりに――ヤっ――おけば――。
それは後悔。
息苦しい負の感情と、それと表裏一体の『しておけばよかった』という感情。
自ら明日を閉ざすほどの、後ろ髪を引かれる思いだった。
「これは――……!?」
あの少年の記憶なのだろうか。何故そんなものが俺に流れ込んでくる?
白昼夢から解放され現実に引き戻された俺が見たのは、新たな黒い魔手だ。脅威の先にはレスティアがいる。考えるより早く、足が地面を蹴っていた。
間に合うか!?
物理的ダメージが無かったのは『不壊乳膜』のおかげかもしれないのだ。得体の知れない攻撃を彼女に向かわせるワケにはいかない。
回りのあらゆる物体が酷くスローモーションに見えた。俺と触手(仮)が並走しレスティアに接近する。
「きゃ――――」
「レスティア――――ッ!」
俺が咄嗟に肩を突き飛ばしたのと、気色の悪い手がレスティアの首を掠めたのはほぼ同着だった。
その時、ズンと伝わるものがある。重く圧し掛かる感情。先ほどの少年の記憶と思われるものと同種の、だが物理的な質量を感じるほどの騎士科の生徒とは比べ物にもならない記憶だった。それは何年も積み上げてきた少女の感情。
これはまさか――。
「……ッ! レスティア、大丈夫か!?」
だが今考えるべきことではない。頭を振り彼女の安否を確かめる。突き飛ばされ尻餅をついてはいるが、新たな外傷は無い。
しかし、どうしたのか。虚ろな目を下に向け呆然として動かない。
「おいどうした!? しっかりしろ!」
肩を揺するが反応が鈍い。ようやく声が届き俺を見上げる彼女の目に、酷い感情の揺れを見た。
「…………ハイヤさん、わ――……私……」
震える口で何かを言おうとし、言えることなく目を閉じる。身体から力が抜け落ち俺にしな垂れかかった。
「レスティア! おい!? くそっ……一体何が……!? リリミカ! 危ない!」」
気を失ったを、未だ降り止まぬ投擲物から護りながら顔を上げる。その時、視界の端と端にリリミカと姿勢を低くし彼女に迫る少年の姿を見た。
「分かってる! いっ――!?」
回避と迎撃に移る直前、死角からリリミカの足に鋭い何かが突き刺さる。それは彼女自身が作り出した氷の手錠、その残骸だった。
太ももを派手に切り裂かれ、半透明の結晶は主人の鮮血を浴びる。ガクンと膝を付きかけ持ちこたえるリリミカだが、その隙は致命的に過ぎた。
「り、りりりりりりりみガぁぁぁぁぁアアアアアアッ!!」
「くっ――……!」
少年の絶叫はそのまま殺意の刃になる。咄嗟に抜刀したレイピアを蹴り飛ばされ、リリミカは無防備に身体を晒してしまう。
獣のごとき体躯が跳ねリリミカに襲いかかり、凶手が少女の肉体を引き裂こうとする。そして―――。
少年の手が火に包まれた。
「あ?」
それは少年の声だったか俺達のいずれかの声だったか。降って沸いた一瞬の沈黙は、同じ時間の後に過去の物になる。
「あ、う、え、ぎゃあぁぁあああああああああああああああああああああああああああッッ!?」
鉄板に水をぶちまけた様な音が少年の両腕から発生した。同時に肉の焦げる匂いと油を焼いたとき発生する煙が噴き出す。
「あれって、まさか……!?」
ミルシェの驚愕と呟きを後ろに聞いた。
「あ、あがぁぁあああああああああぁぁああああああああああああああああああああああああ!!」
喚き散らしながら少年は俺らに背を向けて走り出した。
「野郎――! 逃がすか!!」
「待ってくださいムネヒトさん! リリを、リリをぉっ!」
ミルシェの悲鳴で、怒りに振り切れそうだったメーターが正常値に留まる。彼女は誰より早くリリミカの下へ走っていた。
「へ、へーきよへーき……。それより早くアイツを……」
どうみても平気じゃない。太ももからは懇々と血が噴き出て止まる気配など無い。大きな血管を傷つけられたのか、勢いが尋常じゃなかった。
「すまんリリミカ、先に謝っとくぞ!」
リリミカに説明する時間も惜しいほど、心が急いてはいたがやるべき事は出来る。彼女の裾から手を突っ込み、戦闘により肌の熱を吸った下着の上を滑らせる。
「え、ちょ、こ、こんな所で!? ……きゃんっ!」
そのままリリミカの薄い左胸に手を当て、渾身のエネルギーを叩き込んだ。
「『
スケベ心0で純度100の『乳治癒』だ。ハナやバンズさんにそうした時以上の青白い光がリリミカを包む。過去のいずれよりも眩しい青光が流れ込んだ。ピクンとリリミカの身体が小さく跳ねる。
「――――あれ?」
頬を染めその緊張感に欠く口調は、怪我したリリミカ自身から出た言葉だった。今にも泣きそうなミルシェを他人事の様にすら見ている。ミルシェを見て、俺を見て、自分の血まみれだが傷一つ無いの足を見て、ぽつりと呟く。
「お? え? もう痛くない……」
「……気分は悪くないか? 眩暈は? 寒気や吐き気はないか? あと――」
思いつく限りの問診を行い彼女にいずれの変調も無いこと確かめてから、ようやく安堵の息を漏らす。
「う、うん……平気よ。今度はほんとに……だから、あの……そろそろ、さ?」
「えっ? あっ」
何故か恥かしそうにそう言う。何のこっちゃとか思っていたが、俺の右手は未だリリミカの左胸に被さったままだった。
出来る限り冷静さを保ちながらすばやく手を引き抜く。裾から出たときに感じる外気の冷たさが、少女の体温を思った以上に纏っていたことを思わせる。
「……言い訳に聞こえるかもしれないが、治療だったんだよ」
いつか心臓に近いほうが効果を発揮するっていう言い訳を考えいたが、実際その現場になると言えない物だ。手に残る感触が、お前は医者には向かないなと落第点を寄越してくる。うるさい。
「うん。分かってる、すごく必死だったもんね……あ、ありがと」
「いや、大事なくてよかった」
「……」
「……」
「おほんッ! 今はこんなことしてる場合じゃないでしょう!? 早くレスティア先生とあの人を何とかしないと!」
何となくくすぐったくなって黙って見詰め合ったままだったが、ミルシェの叱咤で我に返る。
「そうだ、リリミカ来てくれ! レスティアが変なんだ!」
・
・
・
痛い痛い痛いいたいいたい、悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しいくやしいくやしい――!
リリミカに触れようとした瞬間に焼け爛れてしまった両手が酷く痛む。もはや指の感覚など消えてしまったのに、熱痛だけが彼を苛む。
頭も痛い。特に後ろの首から上にかけてが最悪だ。
少年は暗闇の中を走っていた。まだ太陽が空を目指している時刻だというのに、彼の目には何も映らない。眼ではなく心が現実を映すことを拒んでいるからだ。
何故だ――何故、歯が立たない。
濁る意識の中、繰り返される何故という問い。
俺は神に見初められ究極の力を覚醒させたはずだ。あんな異邦人に、しかも戦いの場で女を盾にするような卑怯者に、ここまで良い様にされるのは何故だ。
俺がミルシェちゃんに救いの手を伸ばす事を承知し、それを利用し俺を高みから叩く度し難い外道。
俺は英雄のはずだ、勇者のはずだ。ならばあんな矮小な存在に劣る道理がない。つまり神から貰った祝福が弱すぎるのだ。
俺が何をした。何でこんな惨めな思いをしなくちゃならないんだ。何故不幸なのは俺だけなんだ。
何が駄目だった? どこで間違えた?
いや俺は間違えてなどいない。『ああしておけば良かった』『もっと練習しておくべきだった』なんてのは、才能の無い連中の負け惜しみだ。
後ろ髪を引かれるような生き方を、俺は止めたんじゃなかったのか? そうさ、反省も後悔も俺には必要ない。
少女も名誉も未来も奪われた。だったら奪い返せ。何もかもを壊し俺の望む未来を俺が創るんだ。
祝福が足らないのなら呪えばいい。神から授かるのじゃない、神から奪うんだ。俺にもっと力を寄越せ。そうだ、俺にはソレが出来る。俺にはその資格がある。俺にはその権利が――――。
『ざーんねん。キミはここまでかな?』
声が聞こえた。いつかどこかで聞いたような、美しい女性の声。
それを耳ではない器官で知覚した途端、少年は割れた。甘い未来と過去の鬱憤しか映さなかった彼の世界ごと、斜めに裂かれた。
あっ――――!?
少年は転んだかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
『それなりの後悔だったみたいだけど、予想以上にはならなかったなー……カミしょんぼり……。ラ――ルちゃんの後釜、なかなか見つかんないんだよね』
砂糖に蟻が群がるように自己が侵食されていく、食べられていく。ああしておけばよかった、こうしておけばよかったという弱かった時の自分の思いごと何もかも消えていく。
痛みは無い。しかし自身の消失という自覚は耐え難い恐怖となり少年を襲う。
止めろ! 止めてくれ! 俺は……俺は勇者になるんだ! 英雄になるんだ! 誰もが俺を羨む様になるはずなんだ! 俺はそうなるべくして、アンタは俺に祝福をくれたんだろ!? 今さらそれを無しにしようってのか! 神が嘘を付いて良いのかよ!?
『ゴメンねー。私ってばカミ忘れっぽくてさー。まさかここまで簡単にボコボコにされるなんてカミ予想外。キミの器にも亀裂が入っちゃったし、それに、もっといい素材も見つけたし?』
叫んだが口は動かず、女の声だけが耳をじわじわ溶かしていく。まるでこの数日の夢ごと消えるように、自分という存在が希薄になっていく。全身の痛みも中和されまどろみに融けていく。
だというのに、首の後ろだけが焼けるように熱い。
『でも頑張った人にはご褒美が必要だ! 信じるものはすくわれるってやつ! ん? 違うかな? まいっか! キミが本物になった時にあげる筈だった力をサービスしてあげる! 燃料もたっぷりだし、良いのが出来るよ! とはいえキミの身体から出ちゃうから、正確には君のじゃなくなるんだけど……些細な問題だよね!』
何を、いっているんだろう。俺が本物になったら? おれはとっくにほん物だ。聖剣だっててにいれた。偉だいな勇者のさいらいなんだ。それより、はやくみるしぇちゃんと、りりみかちゃんのまっているいえに帰らないと。つぎのしごとはていこくでどらごんをとうばつするんだ。ながいくえすとになる。だから、きょうは、ふたりと――。
『ばいばい、えーと…………ごめん、名前訊いてなかったよ……カミ反省。まいっか。キミは最期にどんな後ろ髪を引くのかな?』
・
・
・
始まりを見た者はいない。
王都大通りの端で転んだ少年に眼を向けるものは居なかった。倒れる寸前まで奇声を発していたが、それももう消えたため誰の耳にも届かない。
何人かは見ていただろう。しかし意識に注意の錨を下ろすには至らない。
多くの人と物が昼夜問わず行き来する往来の中で、少年の存在は森の中における草に過ぎなかった。
だから気付けなかった。うつ伏せに倒れる少年の後ろの首筋から、爆発的な勢いで黒い触手が伸びたのを。
気付いたときにはもう遅かった。
壁や柱をくり貫かれ倒壊する建物達。突如この惨事に出くわし悲鳴を上げながら逃げ惑う人々。石の礫になり倒れた少年へ雪崩落ちた。しかしそれでは終わらない。
「おい誰か巻きこまれたぞ!?」
「馬鹿近づくな! まだ崩れるかもしれねえぞ!」
辺りが喧騒と狂乱の不協和音を奏でる中、瓦礫の山が
崩れ落ちるのではなく、崩れ上がっていくのだ。
発芽した種子が土を盛り上げるように高度を上げていく。異様な光景だった。やがて地面の石畳もひび割れ、彼の養分になる。
やがて完全に起き上がった。元の建造物より大きく分厚いそれは、巨人――いわゆるゴーレムと呼ばれる物に酷似していた。
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