戦いの後
ややあって二人は保健室から出ていた。
ミルシェはすっきり、リリミカはぐったり――とは行かないまでも、気だるげで妙な色気を感じさせる。
乱れた制服を急いで整え直したように見えるのが、追加のセクシースパイスだ。
「……ごめんなさい」
そんな少女の様子にドギマギしていると、リリミカは深く頭を下げてきた。
「ミルシェから聞きました。パルゴア……サルテカイツからミルシェを助け出してくれたって……なのに、私は……」
ミルシェへ視線を向けると、困ったような申し訳なさそうな笑みを浮かべた。言葉にするなら『ごめんなさい、話しちゃいました』だろうか。
笑いが口の端から溢れるのを自覚しつつリリミカへ言う。
「いいよ、パルゴアには俺も腹が立っていたし。むしろお前の殴る分を残しておかなくて悪かった」
リリミカが顔を上げる。何故かキョトンとした顔を浮かべていた。
「えっと……それだけ?」
「いや、実はまだある。俺がサルテカイツに対してもやらかした事は秘密なんだ。レスティアはその辺りの事情を知ってるみたいだから、詳しくは彼女から訊いてくれ」
「じゃなくて!」
なんだ? まだ何か……あ、そうだった。
「ミルシェと俺の事はどうするかな……勘違いしてミルシェにちょっかい出す男が居るかもしれない」
ミルシェが尻軽なんて噂が広がるのは避けたい。身体目当てのヤロー共が勘違いして「アイツが良いんだから俺も俺も」なんて群がってきたらどうしよう。
「ムネヒトさんってば、またそんなお父さんみたいな心配を……」
「お父さんじゃないし、これは大事な事だ」
「だからそうじゃなくて!」
リリミカが割って入る。何が言いたいんだ?
「アンタの事、悪く言っちゃったし……怒らないの? ううん、怒るだけで済む筈ないわ。貴方に対して謝罪して、賠償を支払わなくちゃ……」
「大袈裟な。クノリは変な事を言うんだな」
「大袈裟じゃないわよ! 変なのはアンタの方だから!」
変なのは俺の方……マジかよショック。
「ミルシェの為に怒ってくれたんだろ? だからいいよ。気にすんな」
「か、軽ぅ……」
納得できない様子のリリミカ。そういえばノーラ担任がクノリの令嬢とか言ってたし、名家の出身なのだろうか? 責任のある立場というのは色々大変なんだな。
「ま、どうしても賠償が必要ってんならミルシェが変な目で見られないように立ち回ってくれよ。クラス長なら顔も広いんじゃないか?」
「それは勿論するけど、ハイヤ先生はどうすんのよ……ですか?」
「どうって、なにが?」
「先生自身の評判よ。私のせいで今ハイヤ先生はミルシェに酷いことした鬼畜教師になってるわ。いずれは噂に尾ひれがついて、他の先生達の耳に入るかもしれない」
それは……なるぼと、たしかに不味い。
レスティアは咎める気は無いとか言っていたがそれは例外だろう。不埒な教員を残しておく筈もなく、クビになりかねない。
「私が火消しに回るけど……合理的な理由が無くちゃ噂の相殺は出来ないわよ」
あの場で俺もミルシェもパイタッチの事実を肯定してしまった。事実をオセロのように裏返すことは不可能だ。
「つまり、ミルシェのおっぱいを触った正当な理由が必要ってことか……そんな理由あるか?」
助けて貰った御礼になんて正直に言うのは論外だ。
サルテカイツと俺の関わりは秘密だし、御礼を身体で支払わせる鬼畜教師の汚名は返上できまい。
「牧場で乳搾り体験で、
「いや、牧場の評判がエライことになるから」
ミルシェの提案を切り捨てる。本当にその理由で行けると思った?
「肩こりに悩んでた私の為に触ったとか?」
「胸じゃなくて肩を揉めよって話になるな」
成人向けマッサージ動画の展開かよ。
「でしたら治療だったというのはどうでしょう? ムネヒトさんの治癒魔法は、例えば心臓に近い方が効果が発揮されるって事で」
「……その案は良いな」
心臓とはなかなか使えそうなアイデアだ。乳首に近いほどなんてよりも遥かにマシだろう。これなら保健の先生として活動も出来るかも。
「ただ、どうしても俺とミルシェが只ならない仲だと邪推するヤツはいるかもしれない……」
若い男女が先生と生徒という間柄以外の関係を持っているなんて、ちょっとしたスキャンダルだ。この国には教育委員会とかあるのだろうか。
「それは……えへへ、うん。大変ですねー……」
なんだそのフニャっとした顔、いまいち真剣に考えて無いな……。
「やはりここは、俺がミルシェの兄だったと知らしめるべきじゃないか?」
「それは却下で」
「え!? アンタ、ミルシェのお兄さんだったの!?」
「おう、実はそうなんだ」
「違うからねリリ」
「じゃあ弟で」
「じゃあって、どっちよ!」
「どっちも違います。私はムネヒトさんみたいな兄も弟も要りません」
「…………」
そこまで拒まなくてもいいじゃないか。
「ふーん……」
リリミカの視線が俺とミルシェを往復する。なんだその目付き、言いたいことがあるならはっきり言いなさい。
「兄か弟はともかく、只ならぬ関係ってのは間違いないようね……だったら、ちょうど良いかも」
ちょうどいい?
「何がちょうど良いかは置いておいて、それは否定しないと不味いんじゃないか? 先生と生徒で特別な……ってのは問題になるだろ」
「確かに奨励はされないし問題になることもあるけど、そう珍しいことじゃないわよ? ア……ハイヤ先生の故郷では違うの?」
「珍しくない? そうなのか?」
「在学中に先生と教員が婚約を結ぶ例だってあるのよ。だいたいは貴族同士の息子と娘が許嫁だったってことが多いけどね」
この王立アカデミーには貴族出身の生徒や教員が多数在籍している。
彼ら彼女らの中には、婚約者を持つ者も少なくないらしい。
有数の大貴族にもなると、それこそ産まれて間もない頃から嫁ぎ先が決まっている話もある。
そのある意味将来を約束された仲が、たまたま教師と生徒の関係だったってことだ。
単純な恋愛関係も無いではないが大多数がある程度の家柄同士、または片方がそれに該当するという。
完全に承認されているというワケでは無いが、禁止されているわけではない。
日本における禁止のレベルとはだいぶ違う。これもカルチャーショックの一種かな。
「ミルシェにちょっかいを出す男が少なかったのはソレも関係するんだ……です」
「勤務時間外だし敬語とかはいいぞ。先生とも言わなくていい」
「あ、そう? じゃあ続けるね。こういっちゃアレだけど、パルゴアの功績ってヤツ」
パルゴア・サルテカイツ。とっとと忘れたいのにこう何度も話題に上がるから否応なしに記憶に残る。
「アイツはことあるごとにミルシェに絡んで来たからさ、半ば公認の仲に見られてたのよ」
ああ、と俺は納得する。年の差は僅かに二年程度だったし、同じアカデミーに在籍しているのなら顔を合わせる機会だってあっただろう。
サルテカイツ家は王国でも有数の大貴族だ。その恋人と噂されるミルシェをどうこうするヤツは少なかったに違いない。
計らずもパルゴアはミルシェのガードになっていたということか。ただし虫除けに使われた男が最大の害虫だったのだから皮肉な話だ。
「でもサルテカイツ家は失墜してしまったから、ミルシェはフリーになったと思う連中も少なくないの。中には『嫁ぎ先と将来の旦那を失った、憐れで寂しい未亡人』みたいな解釈をして義憤心とスケベ心に囚われた奴らもいるわ」
「そりゃあ鬱陶しい話だな……」
「鬱陶しい話よ。そーいう火の粉を私だけの手で払うには限界があるわ。だから、ちょうど良いの。ムネっちは
やはりリリミカもカンくんも実力者だったらしい。というかムネっち? もしかして俺の事か?
「単純な武力では怯まない貴族絡みなら私が牽制できるし、ムネっちだってミルシェに悪い虫が寄ってくるのは嫌なんでしょ?」
「それは勿論そうだ。パルゴアをやったのだって究極的にはその理由だしな」
にかっと、リリミカは笑みを作る。
「そーいうワケだから、私とムネっちでミルシェを護ろうよってワケ。どう?」
「願っても無い。こちらからお願いしたいくらいだ」
俺がアカデミーに派遣された目的とも合致している。
恐らくは有力な家柄を誇るリリミカと関係を持てたのは、大きな前進と言えるのではないだろうか。
「じゃあ、改めて……第三魔法科クラス長、リリミカ・フォン・クノリ。それなりに大きい貴族の娘よ」
リリミカは右手を差し出し名乗る。
「灰屋 宗人。もとはしがない旅人だが、今は副担任だな」
その手を握り挨拶を返す。リリミカの手は年相応に小さなものだったが、手の平の皮……特に小指付近が厚い。少女とはいえ、剣士の手だ。
「よろしく。今日からムネっちはミルシェ守り隊の副隊長ね!」
「いきなり№2か……まてよ? このパターンってもしかして隊員ってのは……」
「お察しの通り、隊長は私で隊員は私だけ」
やっぱりかい。
「つまり貴方は私の右乳ってことね!」
「……みぎちち……?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……右腕を噛んじゃった……」
「また盛大に噛んだな……」
右腕ではなく右乳。それはそれで何とも俺らしい。
それはともかく、
「ふふふ……」
「ははは……」
ケガの功名というか雨降って地固まるというか、俺に友達が出来た。
「ちょっとちょっと! いつまで二人だけで意味のわかんない話してるのー!?」
ミルシェが割り込んできた。いかんリリミカと二人で盛り上がりすぎたか。
長らく置いてけぼりされていた我らが姫はプリプリご立腹だ。
「私! まだ! ムネヒトさんが! なんでアカデミーで働くことになったか教えてもらってないんですが!」
そういえばそうだった。ミルシェには『聖脈』の話はまだしていない。
話すタイミングを逸していたというのが大きな理由だが、あまり危険な知識を持って欲しくないという俺とバンズさんの共通の思いだ。
とはいえ遠くないうちに話すつもりでもある。こういう重要な内緒話はどこかでバレてしまうのがオチだ。
場合によってはそれが引き金でトラブルを起こしかねない。もし敵対組織にでもバラされたら大変だ。アニメならそうなる。
ミルシェに疎外感を与えない内に正直に打ち明けるのがいいだろうと思う。
だが、今はリリミカがいるので無しだ。
「秘密のエージェントってヤツさ。いずれ話すよ」
俺はニヒルに(自称)笑って誤魔化した。
「答えになってません! ムネヒトさん秘密ばかりじゃないですか!」
「謎の多い男ってカッコ良くないか?」
「ムネヒトさんは隠し事してカッコ良いタイプの男性じゃないです!」
「そんな」
その言葉が今日一番のダメージになった。心にも『不壊乳膜』が欲しい。
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