仕事の時間(保健室編)
早いものでリリミカとダルカンの決闘から約二週間。正確な勤務日数では六日だが、だいぶ慣れてきたといってもいいだろう。
一日の大半は、かつてレスティアが言った通り第三保健室で過ごしていた。時折やってくる患者は今のところ全て軽症で、消毒と備え付けのポーションを付与する以上のことはしていない。
最初は二日に一回の出勤で、
そして俺の評判についても一応の沈静はしたらしい。
当初は好意的ではない視線が大半だったが、こちらも大分落ち着いてきたし陰グチを叩かれることも減ってきていた。俺の見えないところでリリミカやミルシェが頑張ってくれているのだろう。
俺の仕事は担任や同じ非常勤のレスティアに比べれば忙しいというワケでもないが、暇でも無い。授業に立ち会ったりする以外は、基本第三保健室でポーションの作成に勤しんでいる。
消耗品でもあるし、
中級以上になると品質も薬効も段違いだが、技術や素材の関係上そう多くは出回らない。
そんな等級の高い薬品は優先的に第一、第二クラスに回されるため、ここには中級、上級などそもそも存在しない。
それぞれ第一第二保健室というのがどういうものかは見たこと無いが、多分ここより設備も規模も立派なのだろうとは予想できる。
「しかし、不味いな……」
完成した最下級ポーションを一舐めする。一滴程度では回復したという実感は皆無で、口に残る苦味のせいでむしろダメージになるのではとも思う。
決して失敗したわけでは無い、成功してこの味なのだ。ハッカ風味の苦味全開の青汁と言ったらいいだろうか? ともかく進んで飲みたくは無い味だ。
最下級治療薬の作業工程は簡単だ。薬草や木の実など分量をはかって潰して抽出して水と混ぜるだけの単純なお仕事。
「もっと美味しく出来ないものか……」
薬に味の善し悪しなど不要。効き目こそが本質だと言われればそれまでだが、口に入れるものなのだから少しはこだわりたい。
しかし俺は正真正銘のド素人。薬効を保ちつつ、味の向上を図る研究開発などできるはずもない。
作り終えたポーションを瓶に流し硬質コルクで蓋をする。次の空瓶を取り出した所で、急にドアが開かれる。
「おや、居たのかハイヤせんせー」
「ノーラ先生……いつもノックしてくださいって言ってるでしょう?」
入ってきたのは、気だるげな印象とパイプタバコ特有の甘い煙を纏ったEカップの女性だ。
「スマンスマン、もともと半ば無人だった保健室だからなー……そん時のクセが抜けないんだよ」
ノーラ女史は欠伸混じりにそんな事をのたまう。この二週間に何度も遭遇したシチュエーションなので、何しに来たか訊くまでもない。非常勤教員の俺に仕事を引き継ぐという名目でサボりに来たのだ。実際、その業務を行うのは一時間も無い。
一日に何度も足を運んではベッドで横になったり、窓際に座りパイプをふかしたりしている。
ここまで頻繁に足を運ぶのだから、もしかして俺に気があるのか? とか思ったりもしたが、そんな気配は微塵も無い。
心内でため息をつきつつ俺もサボろうかなと、朱に交わればなんとやら的なことを考えているとソレが目に入る。ノーラ女史が右手に持つ分厚い本だ。
「あーこれかい? ちょうど良いや、ハイヤせんせーに任せるよ。生徒が授業とは関係ないモン持ち込んでてな」
差し出された本を受け取り古びた表紙を見る。『薬剤&薬膳大全』と書かれていた。
「ホントにちょうどいい。コレについて考えてたんですよ」
タイミングが良過ぎて疑わしくなるレベルだ。俺は最下級、下級治療薬のレシピしか教えてもらっていないが、知識を得て損をする筈ない。
「へぇー……そりゃー良かった。せんせーの役に立つのならなによりさ。存分に使ってくれー」
一瞬、眉をぴくと動かしたノーラはそんなことを言ってくる。気のせいだろうか? なんとなく笑っている、ニヤニヤしているような……。
「あの、ノーラ先生? なにか――」
『ノーラ先生、ノーラ先生、お客様がお待ちです。第三職員室までお越しください。』
俺が尋ねようとした時、校内放送が入る。有線で魔術式を構築した放送用のシステムだ。一方通行でしか声が通らないところなど日本のスピーカーと変わらない。
「あーっ、呼び出されちまったかー……私の貴重なサボりタイムをなんだと思ってるのかね?」
もしかしてツッコミ待ちか?
ノーラ女史はパイプに火を付けようとしていた手を下ろし、いかにも残念な様子でヒラヒラ手を振りながら保健室を後にした。
気を取り直し俺は調合道具を隅にどかし椅子に座り、机に本を置く。一応メモも用意しよう。
「どれ、じゃあ早速――」
表紙に手を掛けたとことで、コンコンとドアをノックする音が聞こえてくる。
「ああ、開いてるよ」
ノーラを除けば放課後に訪ねてくる者は少ない。俺はこの来訪者に心当たりがあった。
「失礼しまーす。ムネヒトさん、まだ帰らないんですかー?」
その予想から外れることのない人物が入ってくる。ミルシェだ。
「今は予備のポーションを作ってててな、今はその勉強だよ。まあ、そろそろ帰るつもりでもあるけど」
俺は机に置いてある『調剤&薬膳大全』を見せる。
へぇー、とミルシェからのんびりした返事が聞こえる。彼女はこうして放課後よく足を運ぶようになっていた。最初は俺も何処か悪いのかと訊いたりしていたが、今ではそれもしない。有り体に言えば遊びに来ているのだ。
「じゃあ一緒に帰りましょう? ここで待ってますから」
ミルシェはベッドに座り足をブラブラせる。他に誰も居ないとはいえ中々の寛ぎっぷりだ。
公と私は分けるべきだとも思うが、怪我人がいるときは来ないし授業中にサボってやって来るってこともしない。それに今は授業も終わりミルシェは帰るだけなのでイマイチ注意しづらいし、加えて俺はどうもミルシェに甘い。
「ね、私も見せてもらって良いですか?」
「え? ああ良いよ。どうせ俺も大したことは分からないし、一緒に勉強するか」
ただ待っていることに飽きたのか、ミルシェは笑顔を肯定とし予備の椅子を持って俺の後ろ隣に座る。右背面に彼女の熱と香りを感じてどうにも落ち着かない。
しかもこの状況、傍から見ればよろしく無いんじゃないか? 保健の先生が女子高生を密室に連れ込んだようにしか見えない。そういう作品ならこれから起こる展開は限られてくる。
いやいや違うだろ。そんな邪な考えを持ってるからそんな風に見えるんだ。生徒が保健室に来る事なんて何も変じゃない。
「よ、よし! じゃあ順当に最初から――」
浮かんだあれやこれを振り払いつつ、やや勢いよくページを捲る。今の俺は仕事一徹の頑固職人、そう自らに言い聞かせ文字に没頭する。
『――日の落ちかかった夕暮れ時、僕は憧れの先生とお互いの息が掛かる距離まで顔を近づけさせていた。長い金色の睫毛に反射する夕日が恐ろしく眩しい』
……おや?
『ねぇ……と僕に呼び掛ける声。二人きりしかいない室内では大きな響きとなって耳を震わせた。身じろぎした彼女の胸元――大きく開けたそこからは、大きく実った乳房が妖しく揺れる』
おい、これってもしかして……。
『生唾を飲み込む喉がヤケに大きく聞こえる。気づかれているのだろうけど、彼女の胸から目が離せない。そんな僕の様子を先生は優しくも淫靡に微笑んでいた。日頃から目で追っている彼女と保健室で二人きりというのは――』
慌てて本を閉じ、表紙を――正確には表紙カバーを外して真の表紙を見る。
『爆乳エルフ先生の課外授業。~僕、大人の階段上っちゃいました~』
エロ小説じゃねーか!!
(おいコラノーラコラ!! お前これ何てもん持ってきてんだ!? 存分に使ってくれって意味ちげーよ!!)
中身とカバーを入れ換えるとか……エロ本の隠蔽方法とか異世界でもそう変わらないんだなと、今考えるべきじゃないことを思ってしまう。
「……あのー……、勉強ってもしかして……」
振り返るとミルシェはジト目を浮かべ頬を染めている。お約束ですな。
「ちが、これは違うんだ! これは生徒から没収したヤツで俺もまさか中身がこんな物だとは知らなくて別に読みたくて本を広げていたわけじゃなくて確かにある意味生命根幹に関わる勉強だがいやぁ、まさか王国にもこんな本があるんだななんてあはははは!」
見苦しいの一言だ。シドロモドロに言いワケは、エロ本を母親に見つけられた思春期中学生そのもの。
「…………」
ミルシェの視線が痛い。もう目を合わせるのも怖い。薄ら笑いを浮かべながら偽装されたエロ小説を机の隅に押しやりつつ、なんとか誤魔化す術を模索する。
「ねえムネヒトさん……」
もう帰ろうかと提案しようとした俺の機先を制し、ミルシェが声を掛けてくる。何故かその視線は俺を余所に机の上に向かっている。このイヤな予感はなんだ?
「それ、読んでみませんか?」
「――――は?」
言われた言葉が鼓膜でステップを踏み、脳細胞に染み込む十分な時間の後、ようやく口を開くことができた。
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