勝者と敗者
「なんかあの副担任の叫びってさ、その……」
「え、ああ、そうだな……胸っつーか……肺! 肺に響いたよな!」
「! そーだよな! 耳よりも肺に痺れがいったよな!」
「うん私も驚いちゃった……あんなに両肺が震えたのは初めてだった!」
「多分、内側の内臓系を攻撃するっていう技だよ!」
「うへぇ……こわー……」
俺の攻撃は肺腑への攻撃と勘違い、というか誤魔化されたらしい。本当は乳首が痺れたけど、皆は肺とか言ってるし自分だけそんな所なんて恥かしいから、空気を読んでおこうということか。
攻撃した本人である俺には分かるが、追求はするまい。
「おや? なんだ、胸の先っちょがピリピリきたのは私だけかー」
「「!?」」
ノーラ先生は空気を読まない。
「…………負けよ」
ようやく立ち上がったリリミカは、悔しそうにそう言った。ざわざわと観衆が騒ぎ出す。ミルシェも俺の方に来るかリリミカの方に行くか迷っているらしい。
(なんとなく後ろめたいな……)
手に付着した水滴を払いながら、どうしたもんかと思案する。
その瞬間、俺とリリミカの間に光と共に出現するものがある。『決闘証明』だ。
もの言わぬ魔法の紙が、この場の誰より雄弁に語っている。勝者と敗者の責務を果たせと。
「忘れてた……」
そういえばそうだったと、教室での珍事を結んだ契約の内容と一緒に思い出す。
『私の胸を触らせてあげる』
思わず制服に守られたリリミカの薄い胸を見る。平均を下回っているみたいだが、女性らしい膨らみを思わせる柔らかいカーブが確かにある。
「……分かってるわよ、もちろん」
俺の視線に気付いたのか敗者が言う。
「約束は守るわ……さあ、早く触りなさいよ!」
胸を突き出し、目を閉じたまま顔はそっぽを向く。
「ちょっと待ってくれ!」
衆目のざわめきが大きくなるのを無視し、リリミカに提案する事にした。
「やっぱりこの約束は無しにしないか!? 教室では勢いでOKしちゃったけど、これは良くないって思う!」
「情けをかけるって言うの!? 馬鹿にしないでよ、私は誇り(とおっぱい)を賭けて戦ったの! 例え身体を汚されても、誇りまでは汚されないわ!!」
「言い方に気を付けろって! 女騎士かよ!」
「魔法科の代表よ! カッコつけてないで、さっさと触りなさい! 揉んで摘まんで、もういっそ吸えばいいじゃない!!」
「吸――ッ!? 馬鹿言ってるんじゃねえ!!」
「お父様、お母様、ごめんなさい……リリミカは、今日出会ったばかりの男に手垢と唾まみれにされてしまいます……! もう戻れません……!」
「戻って来い! いったいどこにトリップしてんだ!!」
あちらこちらから「サイテー」とか「うわあ……」とか「鬼畜ヤロー」とか聞こえてくる。結局、俺の誤解は解けないままじゃね?
「なによーっ! 触りなさいよ! ミルシェに比べれば、そりゃ豆粒みたいなもんだけどさぁ! 小さいから触りたくないなんて、敗者にも私の胸にも失礼よ!!」
「違う! 正直触りたくて触りたくて仕方無いが、そんな安売りはするなって言ってるんだ! 勝った奴は負けた奴に何しても許されるなんてのは、乱暴な理屈だ! お前のおっぱいは、いつか好きになった奴に触らせてやれ!!」
「綺麗ごとよ! そんな言葉……ぐぅっ!?」
口論の途中、リリミカが腹部を押さえ蹲る。
「リリッ!?」
「リリミカ!」
見守っていたミルシェとレスティアが彼女に走りよる。俺も慌てて側に寄った。
「おいどうした! どこか悪いのか!?」
「お……」
「お!?」
おっぱい!?
「お腹が痛い……!」
「はぁ!?」
急な腹痛らしい。何かランチで悪い物でも食べたかと問おうとして、あっと察する。
強制力は無いが、一方的な破棄は頭痛とか腹痛とかを引き起こすという話を思い出した。
「ぅぅう……く、はぁ……はぁ……これで分かったでしょう? 敗者に情けなんてかけないで。勝者にも果たすべき使命があるの!」
「そ、それは……」
「はやくしてよ……約束を拒み続ける限り、この痛みは……あぐぅっ!」
涙を浮かべるほどの苦痛らしい。『乳治癒』で解消できるか!? いやどの道触るんじゃないか!
「ハイヤさん……!」
レスティアが妹の背を擦りながら、俺を見つめる。
「触ってあげてください。このままでは苦しみが続くだけです!」
「ーーッ!」
「リリミカを救うには、乳房を触るしか無いのです」
なにそのシリアスパイタッチルート。
震えるリリミカを見る。隣のレスティアを見る。覚悟していないのは俺だけか。
「……分かった。リリミカ、お前のおっぱいを触るぞ」
ふ、とリリミカの顔に朱が差した。歪んでいた眉が開いたことから、苦痛が取り払わているらしい。
「……その……優しくしなさいよね?」
リリミカの言葉に、俺は首を縦に振る以外の答えを持たない。
「絶対に痛くなんてしない。もし痛かったら剣で俺の指を全て切り落せ」
「……アンタ、そこまで――?」
戸惑う色を多分に瞳に滲ませ見つめてくる。そこまで? いや違うな。
「お前の(おっぱい)為なら、それでも不十分だ」
「ッ!」
揺らいだ目に浮かんだ感情は何か、俺には到底分からない。けど覚悟は伝わったらしい。
「――――うん」
彼女はキツく目を閉じ腕を解いた。へたりこんだまま、無防備な上半身を正面から俺にさらけ出す。
ごくりと、生唾を飲みこみ両手をその身体へ。いつの間にか静寂が場を支配していた。
薄目を開けたリリミカの瞳が、近づく男の両手を捕らえて再び瞼を閉じる。その羞恥の態度に俺の心臓が跳ねる。
ちょっと触ってすぐに手を引っ込めるだけだ。それだけただ。うん、人指し指でちょんとするだけで良い。ケーキの生クリームを摘み食いする程度さ。
あと十センチ、八、七、六……そして――。
「待ってください!」
ミルシェが待ったをかけた。意外な大声に、俺は両手を半ば突き出したマヌケな体勢のまま止まる。
「ど、どうしたのミルシェ? 今更なにを……」
異論を唱えたのはリリミカだ。覚悟を決めた所に水を差された形になり戸惑いが強く面に出ている。
「私がリリのおっぱい触ります!!」
「……へ!?」
一瞬、俺もリリミカもレスティアも何を言われたのか分からない。
決闘の結果とミルシェの発言に因果関係を見出せない。どうしてそんな話に?
「確かに負けたら胸を触らせるとは言いましたが、ムネヒトさんが触るなんて言ってないです!」
「おいおい、そんなまさか……あっ」
『リリミカ・フォン・クノリ、決闘受諾。敗北の際には胸を触らせる』
本当だ。触らせるとは言ったが俺に触らせるなんて限定はしちゃいない。
「だから! リリの胸は私が触ります!!」
有無を言わせない強い口調だ。いっそ睨むように俺をリリミカを、ついでに浮かぶ『証明』を見る。魔法の紙が後ろに下がったように見えた。
「……痛くない」
ミルシェの言い分を十分に理解したあと、しばらく待つが腹痛は起きないらしい。
それはつまり認められたということか?
「決まりですね! さ、リリ立って! ここじゃアレだから保健室に行くよ!」
「えっ、わっ!?」
強引にリリミカを立たせ、ぐいぐい保健室の方へ向かうミルシェ。
「ムネヒトさんは保健室のドアの向こうで待っててくださいね」
「あ、ああ。うん」
役目を剥奪された両手を引っ込め、俺もおずおず彼女らの後についていく。
「あー終わった終わった。さ、お前らも散った散った」
パシパシと手を叩く音と退散を促す声が合図となった。
ノーラのどこまでもマイペースな様子に毒気を抜かれ、やがて中庭を後にする観客達。その視線達を後頭部に感じながら、俺は第三保健室へ戻っていく。
・
・
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そして第三保健室、その廊下である。俺はドアに背をあて腰を下ろし、反対側の窓から雲を見ていた。
ちょ、ちょっとミルシェ……嘘でしょ? ホンキ?
当たり前だよ。さ、ベッドに仰向けになって。早く早く。
そこまでするの? あ、なんでボタン外すのさ!? ただ触るだけでいいじゃん!
夕焼け色を浴びた茜雲は、ゆっくりと空を旅する。
言っとくけどリリ、私少し怒ってるんだからね?
えっ? そ、そうなの?
そうだよ。クラス中でさ、私の胸が触られただのそうじゃないだの、恥かしかったんだから!
ご、ごめん。強引にあんなことになったのは反省してる……あ、ええ!? 駄目、下着まで取るのは駄目ェ!
おまけにムネヒトさんまで悪者にしてさ。ムネヒトさんが居なければどうなっていたか……本当に大変だったんだから。
分かったから! それを返して! 返してよーっ!
カァカァと鳴くのはカラスだろうか、それとも似ているだけの別の動物だろうか。
だーめ。いつも触られてるからさ、ちょっとお返し~。
ひぃ、ミルシェぇ……目が笑ってないよぅ……。
リリって肌綺麗だよね~……どんな石鹸使ってるの? やっぱりご先祖様の遺産?
え、待って本当に待って! これってさ変だと思うの! 友達のおっぱいを触った男を見極め成敗すべく決闘を申し込んだら敗北してしまい、結果としてその友達に裸にされておっぱい触られるってさ! どんな業を重ねたらこんな展開になるのかな!?
説明ありがとう。そろそろ触るね~。
待って待ってお願い待って! 私触るのは大好きだけど、触られるのは慣れてないから! こういうのは例えば、付き合って一年目などの記念日に手を繋いでデートの時とかにすることだよ! 良い感じのお店でディナーを楽しんだりして、アクセサリーのプレゼントもあったら嬉しい。この日の為に仕事で稼いだお金で買うならよりグッド! そしたらデートの最後に私が言うの! 『今日は帰りたくない』って! そして二人はやがて身も心も一つに……。
それはもういいから~。
あぁぁーっ! せ、せめて右だけにしてぇ! 私、左は敏感で「きゅっ」ひゃあああああん!?
彼女の嬌声を聞きながら、
「……少女達のおっぱいに値するだけの何かを、俺は出来たのだろうか?」
呟いた言葉は雲を流す風に飲み込まれていく。保健室の中を覗きたい衝動を必死で抑えながら、俺はただ雲を見ていた。
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