前哨戦(下)

 

「じゃあ始めるぞー。決着はさっき言ったのと同様だ」


 ノーラ女史がパシとパイプ煙草を手の平で鳴らし、最後の確認を行う。

 俺は頷き、ダルカンは手をバキバキ鳴らすことでその答えとした。


「おいセンセー、杖とか宝玉とかはいいのか? 魔術士なんだろ?」


「いや、素手が一番得意でな」


 得意っていうか攻撃魔法とか全然使えないし、実際は魔術士でもない。最近はバンズさんに格闘技を習っているから更に遠い。

 でも魔術士って思われていた方が良いだろう。レスティアの目だってある。いつの間にかこの場に来ていた彼女を見て思う。


 俺の返答にダルカンは口の端を歪める。


「奇遇だな、俺もゲンコツが得意なんだよ」


 そう言うと、制服を脱ぎ捨て上半身裸になる。

 その逞しい肉体は、一朝一夕で作れるものではあるまい。肌には裂傷の跡が幾つも見える。見た目どおりの近接戦闘タイプか。


 しかし、やけに土っぽい決闘になったな……もっと魔法とかビュンビュン飛ばすようなイメージあったんだけど……。


「――では」


 魔法科担任の声が合図となり、周りの人だかりは静寂に包まれた。


「――」


 俺は今からしようとしている事に対し、内心ドキドキで一杯だった。

 異世界ファンタジーのお約束をしてやろうと、決めたいたのだ。

 ダルカンは構えない。俺も同様だ。

 中庭に吹く風が止まったと思った瞬間――。


「始め――!」


 ダルカンが突っ込んでくることを警戒しつつ、それが無いと知って俺は一応距離をとる。

 そして、ずっと考えていたことを口にする。


「我は命じる――」


「……――!?」


 ダルカンの顔が驚愕と警戒に染まる。いいぞチャンスだ。


「頂の恵みよ、我が五体に比類なき剛力を――。頂の雫よ、我が肌に大いなる加護を――そして、我が魂に勝利を――! 『乳深度トラストポイント』『不壊アンブレイカ乳膜ブル・ホワイト』発動!」


 タイミングを合わせ二つのスキルを半開放する。体がハナ達の力が溢れ、肌の強度が鋼鉄を超える。

 ダルカンもノーラもレスティアも、誰もが目を見開き俺を注視している。


(どう――!? この詠唱、異世界っぽくない!? これなら皆、俺を魔術士と信じるだろ!)


 考えていたのはコレだ。せっかくの異世界決闘なのだから、それっぽいことを言ってみたかった。

 レスティアや他の生徒達に疑われないよう真っ当な魔術士を演じつつ、ファンタジームーブも出来る正に一石二鳥だ。

 噛まずに言えて良かった。いつか使うかもと、ハナ達のおっぱい搾りながら反復練習した甲斐があったというもの。

 ドヤ顔が浮かびそうになるのを我慢しながら、相手を見据える。

 ダルカンが警戒を深めつつ、口を開いた。


「……おい、なんだそりゃあ?」


 えっ。


「あんなタイプの詠唱、聞いたこと無いぞ?」


「初めて聴く様式だな……異国の魔術士ってのは本当なのか?」


「つーか他の国の魔術士も魔術使う前にあんな長い事を言ってるの、聴いた事無いぞ?」


「もっとシンプルなものなら無くも無いが……」


「ガキの頃に読んだ絵本にそんな魔術士が居たような……そうでないような……」


「いまいち何がしたかったのか分からん」


「でも少し変よねー」


「ぷぷっ、ねー」


 人だかりからヒソヒソ話が聞こえてくる。周囲の反応は困惑するものばかりだ。


 全然それっぽく無かったーッ! 恥かしい!!


 そういえば、あのライジルも魔術を使う前には詠唱なんて言ってなかったな! バラバラ髪の年齢詐称魔術士め、ちゃんと教えろよ!(逆恨み)


「わ、私は良いと思いますよムネヒトさん!」


 ありがとうミルシェ、でも中途半端な優しさも辛いんだ……だって君、顔引きつってますよ? いっそ素直に笑ってくれ。


「でもその……詠唱? ってこの間は言ってませんでしたが、それを言うと効果が変わったりするんですか? あと頂の恵みって何ですか? やっぱり山の上とかですか? あと雫? ムネヒトさん何時何処でそれを手に入れたんですか? アンブレなんとかホワイトって、何処か白くなったんですか?」


 やめてやめてやめて! 一つ一つ訊いてこないで! 今すぐB地区に帰って干し草の中であー! と叫びたい。


「格好いい――……!」


 えっ。


「ハッ!? んんっ、ふん! 私の方を見るなんて余裕ねハイヤ先生! ダルカンは強いわよ、私とやる前に大怪我しても知らないんだからッ!!」


 頬を染めて叱咤してくるリリミカ嬢。いかん気が緩む。


「ハハッ! 良く分からんが、どーやらお前のスキルらしいなあ!? いいぜ、じゃあ俺も見せてやる!」


 好意的に解釈してくれたのか、ここで初めてダルカンが構えをつくる。

 腰を落とし、長く息を吐いていく。両手は腰だめだ。そして――。


「右腕ドーン!」


「!?」


 発せられた珍妙な言葉も耳に共に、ただでさえ太いダルカンの右腕が二周りは膨張する。


「左腕ドーン! 右足ドーン! 左足ドーン!」


 ドーンドーンと力を解放していく。制服のズボンが彼の筋肉の形になるほど、内側から盛り上がる。


「はぁっ! 広背筋ドーン! 大胸筋ドーン!」


 やがて全身の主要な筋肉を一周し、ダルカンの体は背丈まで変わるほど変貌する。まるでボディビルダーのようなエッジの効いた肉体からはうっすら湯気すら浮かぶ。


「待たせたなァ……始めようか、センセー……!」


 溢れる戦気を熱い吐気にしながら、白い歯を剥き出しにして笑う。


 なんだよその詠唱!?


「ヒューッ決まったぜ! ダルカンの『全身フル筋力増大技巧パワープラスアーツ』だ!」


「一つ一つは下級魔術ロウ・スペルと同等の効力だが、全身を覆うことにより中級に匹敵、瞬間的にはそれすら越えうる技巧だ!」


「一緒に『防御強化技巧ガードプラスアーツ』も発動するダルカンの十八番、通称『筋肉大戦車マッスルタンク』!」


「キャーッ! 素敵ーッ!」


「いけー! やっちまえダルカーン!」


 そして何でアッチの方が大絶賛されてんだよ! それがコッチのトレンドなのか!?


「おお――ッ!」


 釈然としない俺を隙ありと見て、筋肉戦車が距離を詰める。後ろ足で蹴られた石畳にヒビが入るほどの強さ。大砲のような勢いで飛んで来た。

 唸りを上げて迫る巨拳は、生身で受ければ無事では済むまい。だが俺はそれを避けない。


「ぐっ――ッ!」


 顔の中央に命中したと感じた時には、俺の体はぶっ飛び中庭の端まで転がされた。

 降り注ぐ歓声と悲鳴。


「……拍子抜けだぜ。この程度でよくもまぁ俺に挑んだもんだな。おい、コイツを保健室まで運んでやれ。つーか、保健のセンセーが最初に大怪我しちゃ世話ねーな」


「んー? おいバスコーブ、どこに行くんだ?」


「ああ? 決まってんだろ帰るんだよ。アンタ担任だろ? 副担の後始末くらいしたらどーだ?」


「いやーそれはまだ早いんじゃないか? だって、ほら」


「はぁ……? ――っな!?」


 当然立つ。ダルカン驚きを隠せないのか、目を見開いている。衆目も同じだ。


「驚いた。やるなカンくん」


 僅かに滴る鼻血を拭いながら、素直に認める。

『不壊乳膜』の出力を百十分の一くらいに抑えはしたが、それでも俺の防御力は破格だ。

 それを貫きダメージを与えたのだから、ダルカンの実力は見かけ倒しではない。


「……どんな手品を使ったか知らねえが、そー来なくちゃおもしろくねぇ! オラ来い!! 突っ立ってるだけじゃ、俺は倒せねぇぞ!」


 驚愕も一瞬、すぐに立ち直り両手を広げ挑発してくる。

 それじゃ、お言葉に甘えるとしよう。膝に力を溜め、体を矢のように引き絞るイメージで構える。筋肉の塊へ照準を合わせ、踵を爆発させた。


「ふっ――!」


「ッ!? は、はや――」


 肉薄。油断はしていなかったのだろうが、地面をほぼ滑るような勢いで突っ込んでくる俺を一瞬見失ったらしい。

 その丸太のような腕を振り下ろし迎撃したが、俺の耳を掠めただけだ。

 飛び込んだエネルギーをそのまま右拳へ。腰を落としたままのフックはボディブローになった。くっきり割れた腹筋の中央へ命中する。


「ガハァッ――!?」


 響く音は中身の詰まったドラム缶を殴った物に似ていた。すげぇ、人体の感触じゃ無いぞ。

 拳を振り抜き、余剰エネルギーを全身に収め反撃に備える。

 ダルカンは中庭に電車道のような傷を残しながら、後ろへガリガリ滑っていく。

 後ろの観客が慌てて避け、その位置を通りすぎた所でようやく止まる。苦悶に閉じる事の出来ない口からダラダラ涎をぶちまけ、膝が震えていた。

 だが倒れない。

『乳深度』の出力も抑えたとはいえ、俺にはバンズさんにミルシェ、ハナ達に加え先日新しく加わった牛達八頭の力も加わっている。シャレにならない怪力のはず。

 それを受けても気絶するどころか、まだ立っている。


「が、ぐぅ……げはっ! はぁ、はぁ……! 何モンだテメェ……! 魔術士じゃねぇのかよ……!?」


「魔術士だ」


 立場上は。


「馬鹿言ってんじゃねぇ! そんな戦い方をする魔術士なんぞいるわけがねぇだろが!」


「仕方ないだろ、攻撃魔術とか使えないんだから……」


 俺の台詞にダルカンもリリミカもレスティアも言葉を失っている。

 そんな様子を見て魔術士じゃなく、僧侶とか闘士とかの方が良かったかなとちょっと思う。ここは一つ誤魔化しておこう。


「栄養満点のサンリッシュ牛乳を毎日飲んでるから、体力には自信があるんだよ」


「んなモン、俺だって毎日飲んでるわァッ!」


 常連様だったのか。これはポイント高い。

 巨体をぶつけてくるダルカンの攻撃をバックステップでかわし、その体勢を崩した巨漢の背へ蹴りを放つ。


「ぬんッ!」


 だがそれは囮。背を見せたのはわざとで突っ込んできた勢いを円の動きに変換し、巻き込むような裏拳を俺の頭へ叩きこんでくる。


「ぐぅっ!」


 回避は間に合わない。咄嗟にラリアット気味の攻撃と顔の間に腕を滑り込ませ防御する。

 それでも威力を殺しきれない。たたらを踏み横凪ぎに倒れる事だけは防いだが、上体が大きく流れる。

 そこへ降ってくるダルカンの右足、踵落としだ。デカいのに大した柔軟さだと舌を巻く。

 俺は倒れないことを諦め、地面に体を投げ出しそれをやり過ごす。石畳を強かに打ち付けた音がするときには、反撃に移ることが出来た。

 反対側の軸足を払う。が、それも予想の内らしく地面を丸く描くステップでそれをかわし、掬い上げるようなアッパーを放ってくる。

 しゃがんだまま上体を反らし、やっぱり間に合わないので、顎を両手で護る。そのまま勢いに逆らわず、自らも跳躍して距離を取った。

 そこでようやく息をつけた。


 おお……! と感嘆の声が観衆から聞こえてくる。


「どうなってやがんだよテメェは……!? 人をぶん殴ってる気がしねぇぞ!」


「そりゃお互い様だカンくん」


「カンくんって言うんじゃねぇ!」


 筋力や防御力は恐らく俺が上だ。それこそスキルを全開にすれば、完膚無きに叩き潰せるだろう。

 だがそれじゃダメだ。いつか自分以上の存在に相対した時に為す術が無い。

 実際、戦闘のテクニックはダルカンが明らかに上だ。

 今のままで勝てる方法を身に付けねば。


 ジリジリ距離を計りながら、俺と上半身裸の巨漢は中庭で円を描く。

 ん……? 裸? それってつまり……。


「オラァーッ!」


 思考の溝を飛び越え、ダルカンが視界一杯に広がる。しかし俺の目が正確に捉えたのは彼の全身では無い。

 男のは見ても嬉しくない一部だ。


 突きだされる右ストレートをかろうじて避け、俺は右手刀を真横に振るう。ちょうどダルカンの胸を横一文字に切り裂くような軌跡を描いた。


「なひゅぅん!?」


 奇っ怪な、あまり聞きたくない種類の叫びを上げダルカンは地面に沈んだ。

 シンとした場の空気に、巨漢の倒れた後の余韻のみが満ちる。


「……あれ?」


「えっ、嘘だろ? あのダルカンが……!?」


「おい何が起きた!? あの副担任なにをしたんだ!?」


 観客にとっては豪快な攻撃を叩き込んだダルカンが、そのまま前のめりに倒れたように見えたかもしれない。


「て、てめえ……! なにをしやがった……!?」


 意識はハッキリしているらしく、顔だけをこちらに向け憎憎しげに呟く。

 しかし全身も声も震え立つことはできないらしい。肘を突っ立て足をまごつかせているが、地面と仲良しのままだ。


「ちょっとち……いや、胸のツボを突かせて貰った。悪いがこれで決着だ」


 使用したのは『乳頂的当トップバスター』と『奪司分乳テイクアンドシェア』だ。

 手刀は左右の乳首を正確にホーミングし、一秒の何分の一にも満たない間でダルカンの体力を奪った。

 一瞬では意識を奪うに至らなかったが、戦力を奪うなら十分だ。

 思った通り服の上からよりも直に触った方が遥かに効率が良い。

 ハナもそうだったが、人に対しても同じだ。

 乳首を触るのが最大効力で間違いないとして、後は俺の触り方でどのくらい差が出るかだな。

 例えば腕で触る時と掌で触れる時とではどのくらい違うかとか、口でならどうかとかだ。


 ……一瞬、ダルカンのアレに口で触れる自分を想像し崩れ落ちそうになる。

 この考察は今は無しだ……ミルシェで妄想しときゃ良かったフヒヒ。


「なんで、なんで動けねぇんだよクソがぁぁァッ!! あんな変態野郎に、この俺が――ッ!」


 意識がある分、満足に動けない肉体をもどかしそうに呻いている。徐々に膨張していた金属のような筋肉も縮んでいく。


「そこまで、勝負ありだ!」


 そのタイミングでノーラ女史の声が響く。


「待てよ! 俺はまだ負けてねぇ! まだピンピンしてる、まだまだやれる!!」


「いいや終わりだ。見たところ、立つのも覚束おぼつかないみたいじゃないか。騎士科のクラス長なら潔く決着を受け入れな」


「……――ッ」


 魔法科担任の突き放すような一言に、うつむき地面を睨む。

 やがて騎士科の同級生か友人かが二人やって来て、ダルカンの腕を肩に担ぐ。


「クソッ、覚えてろよテメェ! ぜってぇにリベンジしてやるからな……! オイ離せ! 一人で歩ける! 離せっていってんだろうが!」


 怒号を撒き散らしながら去っていくダルカンと、それを宥める友人達を眺めながら何となく居心地の悪さを味わっていた。


「どれ、どーするハイヤ先生? 日を改めるか?」


「いいえ、クノリが良いって言うならこのままります」


 ノーラ女史の問いに即答する。ダルカンが去った後、ざわざわしていた衆目が俺とリリミカに再び集まった。

 誤解を長引かせるのは良くないし、ミルシェにも変な目が向けられないとも限らない。妙な噂が広がる前に火元を断ちたい。


「……私は勿論良いわよ、元より私に断る理由なんて無いし」


 一歩、リリミカは観客の列から前に出た。

 その目に戦意が充ちているのは先ほどまでと同じだが、油断の色が完全に消えていた。


「強いのねアンタ。ダルカンにはほとんど外傷が無かったけど、どんな魔術を使ったのよ?」


「秘密だ。今から戦う相手に教えるわけないだろ」


 魔術じゃなくて乳首を弄っただけです、とは勿論言えない。

 それもそっかと、リリミカは薄く笑いレイピアを引き抜く。


「アンタが決めたことだし、連戦だからって手は抜かないわよ? まあ負けたときの言い訳にでも使えばいいわ」


「そうだな、勝ってら使わせてもらう」


 笑い合い皮肉を言い合い彼女は剣を、俺は拳を構える。二回戦、今度は俺がリリミカに面接される番だ。

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