前哨戦(上)


「……妹がご迷惑をおかけしました」


 やがて保健室に着いた頃レスティアが口を開く。やっぱり血縁、しかも妹だったか。

 木椅子に腰掛け業務日誌の書き方をレスティアが後ろから手ほどきをしてくれる。俺に不信感を持っているというのに、キチンと指導してくれるのだから真面目だ。

 時々その豊かな(そう見える)バストが俺の背に接触寸前まで近づくが、彼女の体温は当然感じない。


「迷惑だなんて……俺の方こそこんな事態を引き起こすことになって、申し訳ない」


 しかし漂ってくる香りはどうにもならない。シトラスとミントを混ぜたような控えめな香りがレスティアからする。香水だろうか、素の匂いだろうか。

 なんか匂いフェチの変態みたいだ。俺は匂いフェチではなくおっぱいフェチなのだ。やっぱり変態か。


「リリミカは思い込んだら突っ走る傾向がありまして……ああなると、私の言葉も耳に入らなくなるのです……」


「気にしないでくれ。多分遅かれ早かれこうなってたから」


 日誌に名前を書きながら答えた。あのリリミカとはいずれぶつかっただろう。それが今だったという話だ。決闘イベントノルマ達成だな。


 それに今にして思えば、レスティアが俺とリリミカの言い争いを静観していたのは俺の人物像を計りかねていたからだろう。

 実妹と、未だはっきりしていない……しかも生徒に淫らな行為をしたかもしれない俺。信頼度は比べるまでも無い。

 でもその男は元副団長の推薦を受けている。

 そりゃ迷う。真面目に仕事を進めるタイプほど動きづらいのかもしれない。

 でもあのEカップ担任はニヤニヤして見てただけだ。レスティアを見習え。


「それで……その……」


 歯切れの悪いレスティアに、過去の業務日誌を眺めていた俺は手を止め振り返る。


「本当に……ミルシェさんの胸を……?」


「……ああ、はい」


 改めて問われると少し恥ずかしい。もしかしたら騎士団に報告され更にバンズさんの耳に入るかもと思うと、流石に気まずい。

 バンズさんの豪腕で殴られる位の覚悟はしておくべきか。


「それについて咎めるつもりはありません。私が知りたいのは……その先です」


「その先?」


「ミルシェさんのバストが、一センチ成長していたのは私も一目で分かりました。それはハイヤさんが触れたからですか?」


 なんなのこの姉妹。ミルシェのおっぱい見すぎだろ。


 回答をはぐらかそうとも考えないでは無かったが、彼女の顔は真面目そのものだった。怒るでもない、責めるでもない。強いていうなら、縋るような……だろうか。

 サンタクロースは居るの? と、サンタクロースに逢いたい少女が聞いてくるような声だった。


「……因果関係は不明だけど、確かにから成長したのは間違いないな」


「……ーー!」


 レスティアの目がガラス板の向こうで揺らいだ。

 揉んだら大きくなるというのは、女性ホルモンがどうのこうのとかである程度は正しいっていうのは聞いた事がある。

 だが間違いなく俺の影響と言えるのだろうか? ミルシェのポテンシャルならあれから成長しても決して変ではないと思う。

 とはいえ実験するわけもいかない。例えば右のおっぱいだけを揉み続けて、一ヵ月後に左右で比較するなんて現実的じゃない。

 おっぱいを揉んだ未来と揉まなかった未来、それぞれの平行世界を観測とかしない限り不明だ。平行世界とかSFみたいだ。S(証明する)F(膨らんだおっぱいを)。


「ーーそうなの……」


 レスティアの呟きには妙な色気があった。くすぐるような吐息にドキリとする。

 その四文字にどんな気持ちが含まれていたかなど彼女以外知る由もないが、なんだろう。変な予感がする。


「ハイヤさん……その、ですね……?」


 その予感が、言語として生み出される瞬間ーー。

 校舎に鐘の音が響く。放課後のチャイムだ。


「! ほ、放課後ですね! よっしゃ決闘だ!」


 漂うシトラスミントと年上の女性が纏う雰囲気を振り払い、日誌を机の引き出しに収納し室外へ飛び出した。


「あ……」


 置き去りにした彼女もその声にも、俺は振り返らなかった。


 ・


 そして放課後だ。なんか決闘前から疲れた気がする。


「よく来たわね、ハイヤ・ムネヒト!」


 青い瞳を爛々と輝かせ高らかに俺の名を呼ぶ。リリミカ・フォン・クノリ、俺の相手だ。

 腕を組み薄い胸を凛と張り仁王立ちだ。風になびく短い亜麻色の髪までが意気揚々と燃えてみえる。

 十分に戦意を高めていたのだろう、彼女の何処にも恐れは見えない。


 第三棟の中庭、俺とリリミカが最初に見えた場所だ。

 ギャラリーが多い、人の輪がまるでドーナッツだ。第三魔法科の生徒がほとんどなのだろうが、明らかにそれより数が多い。魔法科の友人や、人だかりに寄ってきた野次馬も居るらしい。

 ちょっとしたエンターテイメントだ。赴任一日目でこんな目立つことになって良かったのだろうか。

 歩み寄ると人の垣根が左右に分かれる。なんかムズ痒いな。


「この期に及んで逃げるほど俺は(おっぱいに対して)後ろ向きじゃないんでね」


「ふっ、分かってたわ。アンタが(おっぱいに対して)誠実であることくらいは」


「はははっ……」


「ふふふっ……」


 この世界に来てこんなライバルに出逢えるなんて、何とも不思議な運命だと思う。

 気持ちを入れ替える。戦闘の時間だ。


「はいはいごめんよー」


 ドーナッツを掻き分け、のんびりと言うより間の抜けた声が割り込む。担任のノーラ先生だ。屋外だからかパイプ煙草をぷかぷかさせている。


「ええ~、本日の立会人兼審判のノーラ・エーニュだ。副担任の赴任初日からこんなことになって正直驚きを隠せない。まー怪我には気をつけてくれ」


 本当に驚いているのかねこの担任の先生。


「決着はどちらかが戦闘不能になるか、降参するまで。もしくは勝負ありと審判が判断するかだ。何か質問はあるかー?」


「無いわ」


「俺もだ」


「よし、じゃあ――」


「ちょっと待てーッ!」


 俺でもリリミカでも無い、第三者の男の声が割り込んで来た。

 ざわざわ騒ぎだした人の輪から、頭一つ抜きでるほど背丈のある男がドーナツの中心へやって来た。


「ダルカンだ……」


 ダルカンって名前らしい。俺達の方……正確には俺の前まで来て睨み下す。明らかに敵意を持たれていた。


「引っ込んでろ、コイツは俺がやる!」


 体格相応の野太い声だった。短い金髪に有るか無いかの薄い眉毛、耳には赤いシンプルなピアスも見えるし、制服の前を大きく開き分厚い胸板を誇示するかのようだ。

 バンズさんには劣るだろうが、俺より縦にも横にも大きい。異世界のオラオラ系ヤンキーってイメージだ。


「はぁ!? この状況が分からないの!? アンタの出る幕じゃないわよ!」


 乱入者にリリミカは怒りを露わにする。それを軽く鼻で笑っていなすダルカン何某。


「出る幕が無いのはお前の方だ! まず俺が痛めつけてやるから、その後でやりゃあいいじゃねえかって言ってんだよ!」


「なに!? 私が負けるって言いたいの!?」


 俺を余所に言い争いを始めてしまう。所在無く視線を後ろの栗毛の少女に移す。


「カンくん。本名はダルカン・バスコーブ。私とリリの幼馴染で第三騎士科の代表なんです」


 ミルシェが注釈を加える。騎士科の男が何故俺のところに?

 俺の視線に気付いたのか、ギャアギャア言うリリミカを無視しギロとこっちを向く。


「コイツが気にくわねぇだけだ! お前が居なけりゃ俺がコイツに決闘を持ちかけていたところだ!」


「ふん、素直にミルシェにちょっかい出すハイヤ先生が目障りって言えばいいじゃないの」


「ばっ!? 別に俺はミルシェがどうとか、この野郎にエロイことされたからとか関係ねえぞ!? 新任教師がこのアカデミーに相応しいかどうか確かめてやるだけだ!」


 強面を赤らめリリミカに食って掛かるカンくん。あー……なんとなく分かってきた。


「コイツね、小等部の頃からミルシェに『牛女』とか『おっぱいオバケ』とかそういう風にからかっててさ。まあ中等部からはそんなことも無くなったんだけど……」


 リリミカの説明に俺は更になるほどと思う。

 つまりあれだ。気になる女子にちょっかいだす小学生男子にありがちなアレだ。

 それが中学生になり本格的に思春期に突入し、幼馴染を異性として意識しだすと何となく疎遠になる。更に高校生になり、精神的にも肉体的にも成長した自分と相手。

 一歩先に踏み出した関係になりたいが、この幼馴染という関係を壊したくない。甘酸っぱいなあ……。


「ミルシェはモテるんだな」


「な、何を言ってるんですかムネヒトさん!?」


 からかう成分を多分に込めて言う。ミルシェの予想通りの反応にイタズラ心が鎌首をもたげてきた。


「照れない照れない。で、誰が本命なの? このカンくん? 魔法科のクラス、それとも他のクラス? ちょっとお兄ちゃんに教えてくれよー」


 考えてみれば、このアカデミーの中にはミルシェの将来の旦那様候補が沢山いる。本人達の意思が最重要だが、パルゴアみたいなのは門前払いだ。


「カンくんとはそんな関係じゃないですし、アカデミーにはそんな人居ません! あとムネヒトさんはお兄ちゃんでもないですから!」


「あはは、隠さない隠さない」


「もうっ! ムネヒトさんのバカ!」


「あはははは」


「「イチャイチャしてんじゃねーーーーーーー!!」」


 びっくりした。リリミカとダルカンのハモリツッコミに気圧される。


「おいオッサン。チョーシこいてんじゃねえぞ、ぁあ?」


 額と額がぶつかりそうな距離で凄まれる。

 オッサン……俺ってば、もうそんな老けてみえる……?


「ともかくだリリミカ! この野郎と先に戦るのは俺だ! ミルシェに乱暴して痛め付けやがった礼は、タップリとしてやるからよォ!?」


「人聞きが悪いな!? 誤解だ誤解!」


「そうだよカンくん! ムネヒトさんは凄く優しかったよ!」


「ミルシェ! ミルシェ! 援護はありがたいが、誤解が新たに生まれるから今は勘弁してくれ!!」


 ほら、カンくんの顔めっちゃビキビキィってなってるやん。なんか観客男子諸君の殺気も酷い。「やれー!」とか「ぶっ殺せダルカーン!」とか叫んでる。これが四面楚歌か。


「ちょっと、割り込みとか良いんですか先生?」


 一縷の望みをもって担任に視線を送る。ノーラは旨そうに煙を浮かべていた。


「んー、生徒の自主性を尊重するのがいい教師なのさ。大きな問題にならなきゃあ大概は大丈夫だろ」


 いい教師……?


「さあどうだ!? まさか逃げるとか言いやしねえだろうなァ!?」


「……」


 実はこの喧嘩も買うつもりだ。俺がカンくんに思うところはないが、ミルシェが間に入るなら話は別だ。

 この少年はつまり将来の旦那様候補、その八だ。ちなみに一~七まではモルブさんの所の若い独身労働者達である。交流の長さなら、このダルカンがその一でも良いかも知れないが、そこは俺が知り合った順番ってことで。


 要するに、ミルシェに相応しい男かどうかを確認するチャンスだ。騎士科の代表っていうのなら、アカデミーのレベルを測る指標にもなる。

 そしてコイツは俺に喧嘩を売る権利がある。幼馴染の女の子の前にポッと出の男が現れて、更に彼女の身体に触れたというのだ。そりゃあ面白くないだろう。


 まだ誰のものにもなっていないミルシェに一番乗りして彼女の心を射止めたければ、俺に力を見せてみろ。


「わかった。でも先約がある。お互いが一番乗りしたいっていうのなら、順番はそっちが決めてくれ」


 ダルカンは獰猛な笑みを浮かべ、憮然としたままのリリミカと向き合う。そして無言のまま右手を前に出した。ため息をつき、リリミカも同様に右手を出す。そして、


「「じゃんけんぽんっ! あいこでしょ、あいこでしょ!」」


 日本人ならほとんど誰もが知っているシンプルな勝負が開始された。じゃんけんもあるんだ……本当に異世界なのかここ?


「しゃあっ!! 俺が先だな!!」


「あ”あ”あぁぁーッ!!」


 勝鬨を上げたのはダルカン、リリミカは悔しげに自分の出したチョキを睨んでいる。


「つーわけだ、俺からで悪いなァセンセー。リリミカとの決闘は来月以降になるぜ?」


 腕を捲くり上げ、肩を鳴らす。俺を既に呑んだものと思っているらしく不敵な笑みには、敗北を微塵も意識していない事が伺える。


「え、だ、駄目だよ! カンくんお願い、止めて!」


 慌ててミルシェが巨漢の少年に近づき、その前に立ちはだかる。「証明」で決闘が結ばれた訳ではないので、まだ制止が間に合うと思ったのだろう。


「心配すんなよミルシェ、別に殺しゃあしねぇ。ただ、ちょーっと痛めつけるだけだ」


 近寄ってきた幼馴染の少女を迎えるのは、どこまでも不敵な笑みだ。


「えっと、そうじゃなくてね?」


「ァン?」


 そのダルカンに迷いながらも声を続けるミルシェ。


「ムネヒトさんスゴく強いから……カンくんが怪我しちゃうよ……」


「…………………………」


 ああぁぁ……その諭し方は良くないよ……。

 腕に覚えにある男が、気になる女から「お前よりアッチの方が強いから戦うな」と言われたら面白いわけない。

 控えたリリミカもなんか気まずい顔してる。ダルカンに同情しているのかもしれない。

 ほら彼ってばやる気まんまん。視線だけで俺を殺しかねない敵意が剥き出しだ。


「手加減はしねぇ、ぶち殺してやるよォ……!」


 ミルシェの制止を振り切り、改めて俺の前へ。


(もう、なるようにしかならないかな……)


 一つ息をつく。じゃあお見合いを始めるとするか。

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